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 葵の太平洋戦争3

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『葵の太平洋戦争3』
2007年3月30日、実業之日本社より発売。
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§序章
 寒い。どこからともなく……いや、ありとあらゆる場所から冷たい風が吹き込んでくる。毛布を二重、三重にしてくるまってもまだ寒い。おかげで胸が痛み出した。症状はさほど進んでいなかったが、松岡は結核に冒されていた。寒風と高空の低い気圧が松岡の肺を痛めつけた。
 そして、いつまでもやまない雷のような発動機音。耳に栓をしても全身が揺すぶられ、振動から逃れられない。
 もうこんな状態が十二時間も続いている。
「特使、お変わりはありませんか」
 機長が様子を見に客室にやってきたが、弱音を吐くわけには行かない。乗員は四人交替とは言え操縦席に縛り付けられているのに、こちらはまともな寝台を与えられているのだ。
「ああ。気にするな」
 三一式大型輸送機。三一式陸上攻撃機を改造した機体である。もともとが六千キロもの長距離を行く機体の武装を外して重量を軽減し、爆弾槽に燃料を積み込んだ。銃座などは外してふさいであるし、爆弾槽も閉じてあるが、もともと密閉構造ではない。多少目張りしたところで、吹き込んでくる風を防ぎ止めきれるものではない。
「もうまもなくモスクワです。着陸して一日ほどの休憩と整備の時間があります。その間はベッドでお休みください」
 そのもうすぐが、まるで永遠のように感じられた。
 下野していた元・外交奉行、松岡洋右(まつおかようすけ)は、インド、ダッカの陥落を見た徳川家正、直々に講和を求めるためロンドンへ出向くように命じられたのである。日独伊三国同盟を強く押し進め、英米の反発を買うきっかけを作ったのは松岡であった。ならば、その片をつけい、というのが上意であった。
(略)

§第一章 (略)
 その時、小姓が家正の元に駆け寄って、来客を告げた。
「登戸からとな?」
 陸軍登戸研究所からの使いであるという。杉山陸軍大目付が早速動いたのである。登戸研究所となれば陸軍直属の秘密兵器研究所である。飛行戦車も登戸の産物であった。
 家正は千代場に振り返った。
「登戸のものであれば、お主もなにか参考になるであろう。そこに控えておれ」
 御簾がさげられた。おそらく、千代場よりは格下の人物なのであろう。
 やがてその人物が謁見の間に姿を現した。
 あらわれたのは怪人であった。ざんぎり頭はこの前いつ手入れしたのか判らぬほどの芒髪となっている。絣の着物は着崩れて、なおかつすり切れそうである。異様な人物であった、
 小姓が人物の名を告げた。
「登戸研究所に仕官いたしまする技手、平賀源造にてございます」
 平賀はまだ平伏したままである。
「その名からすると平賀源内の縁の者か。くるしゅうない。答えよ」
 家正が問いかけると、初めて平賀が言葉を発した。
「は。源内は我が祖父にてござりまする。祖父の汚名をそそがんと登戸に仕官いたしました」
 平賀源内。高松藩の足軽の子として産まれた江戸後期の博物学者である。エレキテル、火浣布などの細工物の発明で名は高いが、実生活は苦しいもので、これらの発明品も日々の糧を得るためにかろうじて作りだしたと言われている。末路も哀れで、些細ないさかいから人を殺し、罪人として獄中で没している。
「上様がカラチ攻略の策を求めていると聞き及び、参上いたしました。カラチ攻略にはどうしても撃ち破らなければならない壁が幾つかございます。一つは戦車。仮に移動城塞を送り込んだところで、いつまでも活動できるものではございません。また、奥地にまで達することができるものではありません」
 自分の作った移動城塞をくさされて、千代場はむっとした表情を浮かべたが、口に出すことはしない。みずから指摘した欠陥と寸分の違いもなかったからである。
(略)
「うむ」
 山下は軍配をふるって陣幕の外に待たせていた者を呼び入れた。
 入ってきたのはインド人たちだった。全員が日本軍の防暑服を着て、黄色三つ葉に線の入った日本軍の階級章をつけている。
「銀輪隊、各隊、各組に数名ずつのインド人を配備する。これは銀輪隊ばかりでなくほぼすべての部隊に適用される」
「言葉は大丈夫なのですか」
 インド兵の一人が進み出た。
「ご安心ください。語学訓練を済ませ、その後、志願しました」
 ラジプートのクシャトリア、シャハムであった。いささか、たどたどしかったが、確かな日本語だった。
「インド人は原則的にインド国民軍に編入される。その方がいまお主の言ったように言葉の問題や、身分の関係も簡単になるからだ。だが、今後、インド解放に向けて部隊が進出して行くとなると、現地で折衝にあたるインド人がいた方が望ましい。全部隊に数名のインド人が配属されるが、常に先鋒を勤める銀輪隊には優先して配属される」
 だれが、どこの部隊に配属されるのか、次々に名前が呼ばれる。
 庸司の組に配属されたのはシャハムであった。
 庸司の前にシャハムが跪き、ラジプート語で何事かつぶやいた。
「気にしないでください。私の国の言葉で忠誠を誓いました」
「まあ、立ってください。あなたはダッカではクシャトリアの部隊を率いてました。かなりの身分とお見受けします。私のような下士官の元で構わないのですか?」
 クシャトリア。インドの階級制度、カーストの一つである。インドのカーストはバラモン、クシャトリア、バイシャ、シュードラに分けられる。
 中でもクシャトリアは戦士階級であり、ダッカ攻略に当たって、最後の最後まで戦いをあきらめなかったのが、シャハム率いるクシャトリア軍団であった。シャハムの檄に答え、多数のクシャトリアが集結、敗走する英国軍を横目に、サムライたちと刃を交えたのである。
 最終的にチャンドラボース師の懐柔工作とともに「ラジプート地方のクシャトリアがサムライたちに合流した」との報がインド全土を駆けめぐり、各地でインド国民軍が結成された。
 結果、西方戦線で日本軍の進撃を阻むのは英国兵だけとなった。
「確かに英国軍ではメイジャーでした……日本語ではどんな階級になるのか判りませんが……ですがそれはあくまでイギリス軍でのこと。日の本に志願し直したからには新しい階級に従います」
 英語を解さない庸司には判らなかったが、メイジャーは上士官に相当する。
「しかもあなたはサムライ階級であり、代々サムライの家に産まれたとうかがいました。しかもあの勇猛さ。共に戦うのに不足はありません」
「いや、そんなに持ち上げられても……」
 相手はもともと階級も上で、年齢も年上である。庸司は頭をかいたが、悪い気はしない。
「まあ、いい。組に行きましょう。みんなにあなたを紹介しないとならない」
 当初、シャハムは奇異の目で見られたが、ダッカでの激戦を知る者はその時の指揮官であると判ると、尊敬の視線に変わった。
 銀輪隊の軍勢は足軽、つまり平民出がほとんどであったが、シャハムは知ってか知らずか、全員がクシャトリアであるように振る舞った。他の隊でもシャハムの影響によって、インド人たちも次第に日本人の中に溶けこんでいった。

【あとがき】
 いやぁ、苦労しました。
 できるだけトな兵器を考えるのが、もー、大変で大変で。いやね、そりゃ理由付け考えなければ、なんだってできるでしょうが、そうも行かないじゃないですか。ボクってほら、根が真面目だから(そこ、笑わないっ)。つーか、戦艦大和、空飛ばしたらもうやることないって。
 けどまあ、そんなこと言っててもこの商売ご飯食べられないので、頭捻りました。で、大活躍する移動城塞、実は原型があります。盟友、伊吹秀明の短編で「迷霧の荒鷲」(『帝国戦記』学習研究社)と言うのがあるのですが、作中の架空戦記作家B・マウントレーのモデルがこの青山なんだそうです。
「ネタがないか、ネタがないか」が口癖の架空戦記作家で、ついに作中でこの中でチョメチョメを動くというシーンが出て来るんですね。そんなものが動いてなんの役に立つんだ、ってツッコミがありますが、それはおいといて、考えましたね。
「どうやれば動くだろう」って。
 動くわきゃないんですが、アレは動かなくてもこれは動くだろうってな原理を考えました。
 これが移動城塞です。

 太平洋戦争は物量戦だった、というのは一面の真実で、飛行機の機数で言うと日本で一番多く作られたのが零戦でおよそ一万。英米の場合、最低でも単発機は一万程度作っている。
 戦車もまた同様で、アメリカはシャーマン戦車五万両も作ってます。一方マウスは二両です。マウスがどんなに強力でも、シャーマンが束になってかかってきたら敵うわけがありません。
 情況は日本も同じで、いくら地雷もって少年兵が体当たりかけても、かなうワケがない。んで、何とかならないかと思って出してきたのがアレです。アレでどうにかなるかどうは判りませんが。
 と言うわけで、やるだけやっちゃいました。
「葵の太平洋戦争」全巻の終わりにて御座います。

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