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 蒼穹の海鷲2

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 アスキー/アスペクトノベルズより発売中→あとがきを読む

§昭和一六年一月四日。夜。トラック泊地。
 西太平洋ミクロネシアのカロリン諸島トラック島。直径六五キロの大環礁内、約五〇の島々よりなる。
 島自体は大規模であるが、本来であればヤシの木が揺れ、サンゴ性の白い砂浜には熱帯魚が遊ぶ平和な南洋の島にすぎない。
 しかしながら、トラックを特別な存在としているのは環礁に碇を降ろす艨艟たちにあった。
 環礁ないは波も穏やかで絶好の停泊地となった。日本の真珠湾とも呼べる連合艦隊の一大根拠地、トラック泊地である。ここに集う艦艇だけで世界の半分の海軍力に相当するのである。
 熱帯の太陽が海に落ち、宵闇があたりを覆う。泊地に浮かぶ戦艦群はまるでうずくまる恐竜のようだった。ひときわ巨大な戦艦にむけて一隻の内火艇が進んで行った。
 便乗者はただひとり。
 第六航空戦隊、参謀長。源田実大佐である。
 源田はやって来た方向を振り返った。そこにはマッチ箱のような黒い影が遠ざかっていた。第六航空戦隊旗艦、空母龍驤である。
 今一度、源田は進行方向をみつめた。迫りつつあるのは戦艦、長門。複雑な形状の艦上構造物が威容を呈している。源田は骨の髄からの航空論者であったが、迫り来る長門の迫力に圧倒されるのを感じていた。
 無論、長門の威圧感は質量が発する物だけではない。源田に畏敬の念を抱かせるのは、長門が連合艦隊の旗艦であるからであった。

 一九三九年の欧州大戦勃発とともに全世界は混乱の度を強くしていった。
 日独伊三国同盟を解体させるべくイギリス、アメリカは日本に対して政治的商業的な圧力を強くし、圧力は次第に軍事的な軋轢にまで達し、頂点に達したのが、一九四一年。春。
 緊張緩和の目的で日本は第一航空戦隊の空母、赤城、加賀をシンガポール港に入港させた。空母機動部隊にとって、存在位置の暴露は的の攻撃を招きかねない危険な状態である。意識的にイギリスにとって優位な情況を現出させる行為によって日本は敵意のない事を示そうとしたのであるが、第一航空戦隊が出港した直後、ダウニング10は日本に宣戦布告。
 北上中の赤城、加賀の二空母に対して、ハーミズの搭載機が襲いかかったのである。
 太平洋戦争の火蓋が切って落とされたのである。
【中略】
 源田が寺師に振り回されている事を話すと山本が苦笑した。山本ばかりでなく宇垣さえも困ったような表情を見せた。
 源田は自分一人だけ取り残されたような気分を味わっていた。連合艦隊司令部は当然のことながら、寺師の正体を知っているのだ。
「山本長官、教えてください。あの寺師雅彦長官とはいったい何者なんです?」
 源田の中に寺師に対する様々な疑念が浮かび上がった。ぼんやりしているのかと思えば、時には鋭い冴えを見せる。航空出身ではないはずなのに、理解を示す。極めつけが、兵学校の学籍である。源田は卒業者名簿を調べて見ても、寺師雅彦の名前は見当たらなかった。
 山本は源田を見返した。
「そんな事を聞いて、どうする?」
「公開された情報で寺師長官について調べました。ですが、何も判らないのです。以前、どこで何をやっていたか、航空出身でもないのにあれほど飛行機の運用に詳しいのか、驚くべき事に兵学校の席次すら判りません」
「一つには、君の調べ方がいささか浅かったためだろう。寺師は自分の経歴を喧伝したがらなくとも当然だが、不自然な隠し方はもうせんだろう。そういう意味では正直な男だ。そしてだ、本人が口を閉ざしているのなら、我々もいう必要は感じない。違うかね?」
 山本のいう通りだった。隠したがっている物をわざわざ暴きたてる必要もない。しかしながら、源田が寺師に対して言い様のない居心地の悪さを感じているのも事実だった。
「あの男はな、叛逆者なんだよ」
 作戦室の隅で声をかけて来たのは宇垣参謀長だった。
 山本は宇垣の発言を止めようとねめつけたが、宇垣はこれを軽く受け流した。
「何も判らないでは、源田もやりづらいでしょう」
 宇垣の反論は一言だけであったが、山本は仕方あるまい、と言うようにうなずいた。
「叛逆者が罪を償うために危険な場所に割り当てられた。そう受取って構わない。あいつが何をやったか、どう考えているのか、儂にも推測は可能だがこれ以上、付け加えるつもりはない。だが、もし貴様が知りたかったらフィリピンから帰ったとき、考えよう」
 フィリピンから帰れば、というのは闘って勝てばと同義である。戦勲を立てれば寺師の罪は相殺される、と言うことであるようだった。
「もっとも、寺師が帰って来なければ、それはそれで構わんがな」
 源田は背後にある隠された物の大きさを感じて寒気を感じていた。

§昭和一七年一月十日。深夜。
 フィリピン、ルソン島東方海上、一〇〇海里。空母龍驤艦橋。

 小編成の機動部隊が粛々と波を切っていた。
 龍驤を旗艦として、空母鳳翔、巡洋艦天龍とそして峯風、澤風といった旧式かつ中小型艦を集めた第六航空戦隊である。
 龍驤は開戦直後、サラトガの主砲直撃を受けて損傷していた。幸いにして重要部分を外れており、浸水もなかったためにドックも必要なく、修理にそれほど手間はかからなかった。司令部、搭乗員にとっては休む暇が無くなったと嘆くべきか、手柄を立てる機会が与えられたとするべきか難しい所である。
 艦橋は航行の便宜と敵からの発見を未然に防ぐため計器類を照らす最低限の照明以外はすべて消されて、星明かりだけが目に付く。
 闇の中、参謀長、源田実が猛禽のようだと表される表情を一層鋭くした。源田ばかりではない。司令部の要員、当直士官、そして龍驤艦長杉本丑衛大佐も顔面をこわばらせている。


蒼穹の海鷲2 あとがき

 お待たせしました。蒼穹の海鷲の2、です。
 さて、いつものぼくのあとがきのパターンだと、大体登場する機種とかの説明や技術的解説を加えるのだけれど、この蒼穹の海鷲に限ってはその欲求を感じない(でも、やるけれどね)。
 なぜあまり説明する必要性を感じないかと言うと、登場する機種が零戦の三二型に、グラマンワイルドキャットでしかない。シュミレーションに戦記にしろ、ノーマルな戦記にしろ必ずと言っていいほど出てくるある意味、凡庸な機体だからだ。
 三二型はそれほど評判のよい機体でもなく、実戦の場でも真珠湾攻撃に参加した二一型、良くも悪しくもガダルガナル戦の中心戦力となった二二型と比べて目立たない。
 強いて上げるなら、他のタイプが連合軍のコードネームでジークあるいはゼロと呼ばれていたが、これだけは別の機種と考えられ「ハンプ」の名を戴いた。もっとも、すぐにジーク三二に改められ。
 一方、ワイルドキャットもそれほど突出した機体ではないとされている。零戦より一回り大きなエンジンを積んでいるくせに速度、上昇力、運動性能、航続力すべての点で零戦に遅れを取っている。唯一優っているのは搭乗員保護ぐらいのものだ。
 だが、ワイルドキャットは結果として長期間、アメリカ海軍の主力戦闘機として使用され、次期艦戦の本命と目されるヘルキャットが登場するのはマリアナ沖海戦である。
 ここに至るまで日本軍のボロ負けは続いており、何も新型戦闘機の出現を見ずとも勝敗の帰趨は決っていたはずである。ワイルドキャットが戦闘機として有効に機能した証左である。
 では、劣性能のワイルドキャットで零戦が追い詰められたのはなぜか?
 サッチウィーブを始めとする様々な運用方法の研究の結果、であると言われている。ワイルドキャットは零戦よりも高い急降下制限速度を利用して、ともかく機銃弾を相手にぶち込み、時には正対して正面から打ち合う戦法をとった。
 あまりにも単純で、戦法と呼べないほどの幼稚さであるが、アメリカの国力まで考慮した物量を活かす方針である。一撃離脱最優先となる旋回性能、コーナー速度、ロール率などをそれほど重要視する必要はない。機首方向を変えるには戦域から遠く離れた場所でゆったりとやるだけである。何しろ、アメリカ軍には物量があった。一度やり損ねても、次の機会に何割かの零戦を落とせれば、いつかはすべてたたき落とせる、そう考えていた節があり、事実そうなった。
 いずれにせよ戦闘機は敵にすれ違いざまにでも弾丸をたたきこめばよいとの思考と、戦略爆撃機の発達が大平洋戦争後、戦闘機の重武装化を促進し、ミサイルの高性能化と相まって、戦闘機は空飛ぶミサイル発射台と言った趣を呈するに至った。
 にもかかわらず、ベトナム戦争では複雑な空中戦が発達し、ミサイルを撃ち尽くしたファントムが旧式機に撃墜されるという事件が起きたり、ミサイル発射に好適な位置を得るためにドッグファイトが発生したたため、アメリカ軍は臨時に戦闘機の機首にバルカン砲を装備するなどの応急措置を取らなければならなくなった。
 もっとも、ミサイル化が進む中でも、唯一、日本の航空自衛隊だけは機銃装備を外そうとはせず、後に国際的に高い評価を受けた……と言われているが、外させなかったのが時の航空幕僚長、源田実であり、ぼくがこの話を読んだのも源田実の著作からなので、いささか我田引水じみてくる。

 結局、ワイルドキャットが優秀な機体であったかどうかとは別に、人間がいかにそれを有効に利用したかという、人為的な要因が絡み合ってくる。
 それと同様、今までのぼくの作品では飛行機が主人公、という部分が強かったのだが、この蒼穹の海鷲では比較的、人為的要素が前面に出ている部類に属する。
 むろん飛行機が出てこないわけではなく、かなりの部分が空中戦シーンに当てられている。
 また(一巻をお読みの方ならおわかりだろうが)だからといって、もし誰某がどこそこでこのような戦闘に参加していたら、という展開とも違う。
 シュミレーション戦記の場合、倫理的な問題に触れなければならない場合がある。
 日本の戦争責任であるとか、様々な要因があり、いまだ解決されていないものも多い。もちろん、これらを無視できないのは当然であるが、太平洋戦争を舞台とした小説の楽しみをスポイルしかねない。
 倫理的な問題は今後とも考え続けなければならないだろうが、小説にはそれとは別の次元で、娯楽性という言う要件も存在する。作者によっては「日本はもともとそれほど倫理的な問題があるわけではなく、ドイツでは大きかった。従って枢軸に入らなければ問題は解決する」というような複雑な解決策を採ったり、いっその事「あれはアレで良かった」と堂々と肯定する手法を取ったりする。
 しかし、ぼくが考え過ぎなのかも知れないが、そこまで考慮する必要性があるのだろうかという気もする。
 時代劇という物がある。小説の分野では言うに及ばす、テレビ、映画などでも一定の割合を占めている。人気のあるジャンルだ。中には明治維新を扱ったものも散見される。
 明治期を舞台とする作品では攘夷と開国の対立が登場人たちの前に立ち塞がる壁となっている。だが、今では尊皇か、攘夷とかを重要視する人間はいない。明治政府が行った投降者に対する非人道的な行いであるとか、反対勢力に対する強引な押え付けなどまるでなかったかのように描かれて問題を生じない。

 それだけ読者、視聴者に受け入れられているし、倫理的な障壁を感じさせない作品群として仕上がっているのである。

 太平洋戦争を舞台とする作品の場合、倫理的問題を忘れ去ってしまうわけには行かないだろうが、何らかの手法を講じて、魅力あるストーリーを作り出せるはずである。本書の場合は、昭和初期に軍の体制を大きく変化させる事件が起こったとして障壁を通過した。 なお、本書の場合、登場する人物で連合艦隊中枢部、政府部内の人々は実在の方々であるが、寺師以下の多くの搭乗員たちは架空の存在である。

 青山智樹


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