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 蒼穹の海鷲1

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・序章 二月事件
 昭和十一年二月二十六日未明。
 昨夜半から降り始めた雪は一向にやむ気配を見せずひたすら降り続いていた。
 世も明けやらぬ早朝、雪明かりだけを頼りに進む一団があった。中島莞爾指揮による歩兵第一連隊の隊列、百名であった。雪のため軍靴の足音はひそやかで、だれも中島隊の動きに気付く人間はいなかった。
 午前五時五分。
 中島隊は高橋是清蔵相邸に到着。同行する中橋基明少尉は蔵相邸に面する路面電車通りの人員を配置、さらには軽機関銃座を築いて交通を遮断。住人に気取られることなく高橋邱を包囲した。
 中島少尉はかねてから用意した梯子を持って東側の掘りを乗り越え、表門に向かった。鍵はかかっていたが古びた羽目板を簡単にうち破り邸内に侵入した。
 高橋邸には政府から派遣された警備の巡査がいた。
「黙まらせろ」
 数名の兵が物音に気付いてやってきた巡査に銃剣を突きつけた。巡査も拳銃ぐらいは持っていたが、多勢に無勢で銃剣を突きつけられては手も足もでない。
 中島、中橋の少尉は兵を伴って内玄関を突破。鬨の声を上げ、軍刀の鞘を払って高橋邸に乗りこんだ。
「覚悟。天誅であるっ!」
 相当の混乱は覚悟していたが、案に相違して邸内は静まり返っていた。女中の叫びも、飛び出してくる下男もいない。
「かまわん、行くぞ」
 中橋は兵に命じて灯りを付けるとともに、邸内をくまなく捜索させる。
 自分は事前情報により高橋蔵相の寝室があるとわかっていた二階に賭け登った。
 二階十畳の間には床が延べられていた。中橋少尉は軍刀の切っ先で布団を跳ね上げた。闇の中、白く重い冬布団が舞った。就寝中である大蔵大臣に拳銃を撃ちこまんと銃口をむけたが、そこには高橋蔵相の印象的な風貌はなかった。
「蔵相、どこへ消えた?」
 中橋少尉は夜明け前の一日で最も暗い闇を血走った目でにらみつけた。
「ダメです。どこにも、誰もいません」
 遠く闇の中、兵の報告の声が遠く響いて聞こえた。

「いつかは起こるのではないかと思われていたがな……」
 同時刻、宮中。
 首相、岡田啓介は現実に直面して唖然としていた。いつか起こるのではないか、予測されていたとしてもそれが現実になると人は衝撃を禁じ得ない。

(略)

・第一章シンガポールの相克
 昭和十六年六月。第一航空戦隊旗艦航、空母艦赤城、相模湾沖。
 世界最大級の空母の飛行甲板を蹴って次々と艦載機が飛び立って行く。最初は身の軽い戦闘機、急降下爆撃機、そして雷撃機。
 演習のため爆撃機と言えども重量物を積んでいるわけではないのでかなり楽々と上がって行く。戦闘機が母艦の周囲を一周するあいだに爆撃機が上がり、戦闘機と集合するころ、雷撃機が発艦を終えた。
 作業場所面積に制限のかけられる空母では全搭載機を一時に発艦させる事はできない。半数の搭載機を飛び立たせた飛行甲板に格納甲板から次の飛行機が運び上げられ飛行前整備が開始されている。
「遅い」
 赤城、艦橋で発艦の様子を鷹のような鋭い目でみつめていた参謀源田実は口の中でつぶやいた。
「最初の戦闘機が飛び立ってから、空中集合終了まで七分。そう悪い数字ではないと思うのだが、君の目には敵わないかね?」
 見晴らしはよいものの狭苦しい赤城の艦橋左側。司令長官席にどっかりと腰を下ろした人物が口を開いた。司令長官、南雲忠一中将である。
「駄目です。まったく。時間だけを見ればまあまあの成績にみえますが、一つ一つの機の動きを見ていると間にどうしても無駄があります。一つ一つの無駄は小さくともこれがつもり積もれば何分もの誤差になります。実際の戦場において一分二分が決定的な違いになりかねません。さらに徹底した訓練が必要です」
 源田の勢いこんだ様子と対照的に南雲の口調は穏やかだった。
「まあ、十分な訓練は邪魔になる物ではない。やりたいようにやりたまえ」
 正論であるが、ただの一般論である。
 源田は口をへの字に結んで今日何度目かになる思いを胸の内にたぎらせた。
「南雲長官ではだめだ」
 連合艦隊では、長官がある一定の事項のエキスパートでなくとも、スタッフに優秀な人材をそろえる事で司令部全体の能力を確保していた。
 魚雷戦を得意とする水雷の専門家であるような南雲が全艦隊の指揮をとる時、源田のような搭乗員出身の司令部員が南雲を補佐した。源田の意見具申に対して水雷の南雲は反論の方法がない。それだけに第一航空戦隊は南雲よりも源田の指導が全面に押し出され、口さがのないものは「源田艦隊」などと呼んだ。
 言われて源田も悪い気がするものではなかったが、現実に自分の艦隊であるのと、呼ばれているだけとでは大きく違う。
 第一航空艦隊航空参謀就任にあたって源田は空母の集中運用を提案していた。海軍の保有する空母を単一の艦隊で運用して作戦を実施するのである。飛行機自体は小機数を散発的に使うのではなく大機数を一元的に使用して大きな効果が得られる。
 そのためには飛行機を空中集合させて目標に向かわせなければならない。
 だが、空母が分散していては、艦載機が飛び上がったものの、他の機がどこにいるのか判らない。これでは、空中集合もままならない。最初からお互い目の届くような所にいて飛行機を発進させなければならない。
 それが源田の発想であり、連合艦隊もこの考えを受け入れたかのようにも赤城、加賀、蒼龍、飛龍の空母四隻からなる第一航空艦隊を結成した。
 だが、実際には二隻ずつ別々に行動している有様だ。合同訓練などただの一度しかない。
 しかも人事異動の季節とかち合って優秀な搭乗員が教官や、地上部隊の指揮官として転出してしまうと、代わりに入って来るのは飛練をでたてのひよっ子である。これらをまた一から鍛えなおさなければならない。
 再訓練は仕方ないとしても、好きなように飛行隊を編成できない。航空参謀として勤めながら源田は欲求不満をつのらせていた。
「自分で指揮出来る航空隊が欲しい」
 源田は切にそう願っていた。だが、源田はいまだ中佐でしかない。地上基地の司令であれば数年して大佐になればかなえられるが、艦隊の指揮などは夢のまた夢である。源田に出来るのは、いまこの場で航空参謀としての勤めを果たす事だけであった。

 飛行隊が訓練から帰投し、艦が横須賀に入港すると源田はあらかじめ選出しておいた数名の搭乗員を呼びしていた。

 昭和十六年六月。神奈川県横須賀。
 空母、加賀に配属されたばかりの飛行少尉、月島昂は緊張を隠しきれなかった。飛行練習部隊を終え、配属されたのが事もあろうに第一航空艦隊の加賀であった。
 加賀、といえば海軍の中でももっとも優秀な搭乗員の集まる第一航空戦隊、しかも南雲忠一司令長官直属のエリート部隊である。飛練を出たばかりの新人搭乗員が飛びこんで行けるような部隊ではないはずだ。
 月島は自分が戦闘機を志願した時の事を思い出した。

蒼穹の海鷲1 あとがき

 「最新鋭の戦闘機で、腕利きパイロットを集めた部隊を作って大暴れしてみたい」と源田実は口癖のように繰り返していたそうである。
 それが太平洋戦争の初期に実現していたら、というのがこの物語である。

 古い写真を整理していたら、ぼくが見覚えのない初老の人と並んで写っている写真がでてきた。その人はにこやかに笑っているが、顔つきも目も鋭く、ただ者ではない印象であった。一緒に写真を撮ったくらいだから、あっているはずであるが、四半世紀も前のこととなるとすぐには思い出せない。
 父親にたずねてみてやっと判った。
「おまえ、これ、源田さんだよ」
 当時、参議院議員であった源田実元大佐である。

 以前もどこかに書いたが、戦時中、我が父親は海軍飛行予科練習生とやらで、基礎訓練に励むかたわら、穴を掘ったり、防空壕を掘ったり、グライダー爆弾に乗り損ねたりして時を過ごしていたらしい。
 戦後五十年も経過するとこうした人たちの同窓会のごときのものも発足し、我が親父もそのようなもののメンバーであり、何かの集まりの時に連れて行かれて、その時の写真であったようだ。
 当時のぼくには源田実が松山航空隊の司令であったというぐらいしか知らなかった。

 源田実は口癖のように「最新鋭の戦闘機で、腕利きパイロットを集めた部隊を作って大暴れしてみたい」と漏らしていたそうである。
 教育期間も短くなり、消耗が激しくなってくるとパイロットの技量も低下するが、腕利きパイロットがいないわけではない。零戦ではヘルキャットに対抗できないが、常識的に考えて新型機が出現しても良い頃だ、源田はそう思っていたのだろう。
 こうした夢想は往々にしてはかなく消えるが、源田の夢は実現した。
 それが三四三航空隊、別名松山航空隊である。
 使用機は最新の紫電改が配備された。二〇〇〇馬力級の大出力エンジンにフルオートで作動する自動空戦フラップを搭載。翼面荷重、馬力荷重ともにライバルたるヘルキャットに引けを取らない。機銃も二〇ミリ機銃を四門搭載、単発レシプロ戦闘機としては実に航空機史上トップクラスの武装である。
 搭乗員も選りすぐりの者を各部隊から引っこ抜いてきた。
 山本長官直掩に失敗して冷や飯を食わされていた杉田庄一上飛曹。
 部隊付きの教官として、目を負傷して一線を退いていた坂井三郎。
 飛行長には志賀淑雄がやってくる。この人は真珠湾で加賀の戦闘隊長を務めたのち、隼鷹の戦闘隊長としてアリューシャン作戦、ついで南太平洋海戦に従事し、後者では最後の攻撃隊の隊長として出撃している。(ご存じ、たった七機でホーネットにとどめを刺した激戦である)。さらには空技廠に移って烈風のテストパイロットを務めた。
 もっとも、各部隊から遠慮会釈なしに熟練搭乗員を引き抜いたものだから、海軍内で源田はかなりの恨みを買ったようである。
 だが、ここまでやって作った三四三空は強かった。本当に強かった。
 アメリカ機動部隊を発った攻撃隊を迎え撃ち、一回の戦闘でヘルキャット、コルセアあわせて五七機をたたき落としたこともある。
 菊水作戦に置いては上空支援を受け持つ。いわゆる沖縄特攻である。沖縄作戦の期間中、およそ一千の特攻機が体当たりをかけた。
 当時、連合軍の機動部隊は二十隻近いエセックス級空母を配備して守りを固めていた。千機近い戦闘機がおり、レーダーピケット艦を持ち、上空哨戒を怠らなかったはずなのに、特攻機の接近を阻止できなかった。
 特攻の効果は絶大で十九隻の艦船を撃沈し、空母十六隻に被害を与えている。
 いまだ強力な護衛戦闘機隊が存在したためである。
 紫電改は事実上、横須賀と松山にしか配備されなかったが、終戦直前の劣悪な状況にあって相応の戦果を挙げている。一方、陸軍の疾風は生産数も多く(紫電改四百に対して、疾風三千五百)、紫電改をしのぐ高速機であったにも関わらずそれほどの戦果は伝えられない。海軍側の宣伝が巧みであったためでもあろうが、効率的な運用を行ったためである。

 突き上げを食ったとはいえ精鋭部隊の結成は成功を収めた。また、現代のアメリカ軍でもトップガン、自衛隊でも飛行教導隊のような特別に編成されたエリート部隊が存在するからには実効性は認められているのだろう(とここまで書いてきて、飛行教導隊を作らせたのは誰なのかと思い至った。意外と源田実航空幕僚長かもしれない)
 戦闘機のみのエリート部隊の実現性も無いわけではない。旧海軍に置いては事実上、母艦航空隊が特別なエリート部隊であったからである。だから、ここでもう一つ精鋭部隊を作るとすれば、それは空母機動部隊ということになるだろう。
 かといって、既存の航空戦隊より優先されるものとはならないだろう。一航艦を解体するわけには行かないし、なんだかんだ言っても、軍とは役所であり、役所は石頭と相場が決まっている。
 搭乗員は増員するとしても、開戦当初、貧乏海軍にとって零戦はまだ新鋭機であり、そうそう自由になるものではない。ありモノの戦闘機でまかなわなければならない。空母も同じだ。最新の空母を割り当てるわけにも行くまい。
 それがこの「蒼穹の海鷲」である。

 もちろん、戦争とは現実の物だろうと、そうでなかろうとなかなかもくろみ通りには行かないものである。



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