★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★ ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 保坂和志拡散マガジン  ∧ ∧   ★ぴょん吉くんはかつおぶし中毒★ =〆ェ^=          略して『ぴょんかつ』 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★ 第45号 父のこと 其の壱(2/11)  ============================================================  急に後ろから声をかけられてはっとしたように振り返った幸子姉が、 「お父さんの声にそっくりだった」  と言った。 「それはそうさ。  いまさら隣のおじさんの声にそっくりだって言われても、俺も困る」 「いま歩いてきた姿なんかも、お父さんにそっくりだったわよ」  私が感じたのと同じことを奈緒子姉が言うと、 「子どもはみんな年齢をとるにつれて、あちこち親に似てくるもんだ」  と英樹兄が言い、私も含めた四人が居間で立ったままお互いの顔を 見比べてしまった。         『カンバセイション・ピース』 ============================================================ いつのまにか正月も過ぎ節分も過ぎ・・・ 今年は「ぴょんかつ」をたくさん発行できますように。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 正月は孫の顔を見せる意味もあってひさしぶりに実家に帰って父と母に 会ってきたのだけれど、ふたりとも仕事もしていない年金生活のわりに は、なんやかやと忙しいらしく、それはそれでこの歳まで元気に過ごせ ているのだからいいことだとも思いました。 去年実家に持っていった古いパソコンが調子悪く、とりあえずちょっと なおしてもらったらしいのだけど印刷の仕方がわからないから、いるあ いだにおとうさんの同級会の案内文を打ち込んで印刷してやってくれ、 と母に言われていたのだけれど、パソコンをいじくったりプリンターを いじくったりしていて日が過ぎてしまい、結局帰る前日の夜にちょっと 酔っ払いながらなんとか父の下書きをワードに打ち込んで印刷したので した。 父はずっと同級会の幹事をしてて、今度の同級会は70才になる古希の同 級会らしく、とりあえずこれで最後の集まりになるらしいのです。 父の字は癖があり、あいかわらず読みづらいなあと思いながら文章を打 ち込んでいたら、ちょっと変な気分というか、まるで自分が書いた文章 のような気がしてきたのでした。 特に、世界の人口が62億人いる今、その62億人のなかの同級生何人が集 まる、ということに偶然のすばらしさというか意味があるというか、そ んなような表現があって、もちろんそれはありふれた表現かもしれない けど、おなじ立場であったならいかにも僕も書きそうな表現かもしれな いなと感じたのです。 父は無口なひとです。 こどものときから、ああしろこうしろなどと指図されたおぼえはありま せんでした。 自分のことを語ることもあまりありません。 そんな父が、僕が中学生だったときのある夕食のあとに、自分が若いと きに職を転々としたことなどを話してくれたことがありました。 父は僕が生まれるずっと前は、もともと貨物船の船乗りだったのだけれ ど、辞めて建設会社で働いたり自宅に近所の子どもを集めて英語塾をやっ たりと職を転々としたらしいのだけれど、知り合いの人の紹介で地元の 銀行に入社してからはそこでずっと働きました。 僕にとっては父がそんな自分のことを話してくれることは初めてで、こ どもごころに今まで知らなかった父親の若いときの話に感動しある意味 誇りにも思ったような覚えがあります。 当時はBCLといって海外の短波放送を聞くのがはやっていて、多くの国 から日本向けに日本語でも放送がされていて、僕もBCLに夢中になって いたので、どういうふうに書いたのかははっきり覚えていないのだけれ ど、ラジオ・オーストラリアの日本語放送の番組に、その父から聞いた 若いときの話を投稿して放送で読まれたことがありました。 それほど当時の僕にはそのときの父の話が新鮮だったのかもしれません。 僕はずいぶんまえから、職を転々とした父と自分を重ね合わせながら、 父との共通点を漠然と感じていました。 それが、父の同級会の文章を打ち込みながら、文章にまでも自分のなか の父の存在を意識するようになったのです。 父はある意味では頑固かもしれないけれど、それを人やこどもに押し付 けることはしないところがあります。 こどものときに怒られてなぐられた記憶も一度しかありません。 かといって仕事人間というわけでもなく、海にハマグリやキノコを採り に連れていってくれたり、通勤用に使っていたカブに兄と一緒に乗せて もらい、おまわりさんに三人乗りで注意されたりといったような思い出 がたくさんあります。 子どものとき僕はよく腹痛をおこし、そんなとき父は僕に横になるよう に言い、ゆっくりとお腹をさすってくれてしばらく手を当ててくれたも のでした。 「どうだ、痛くなくなったろう」 たしかに父にそうやって手を当ててもらうだけで不思議とお腹の痛さは 消えてしまいました。 僕は何年か前、レイキ(靈気)という日本の古くからの手当療法から発展 したヒーリングテクニックを受けたことがあるんですが、 そこでアチューメントといって、いわゆるエネルギーの回路を開いても らうのですが、 そのとき、レイキの先生から 「けっこう強いねえ、前になにかやってたの?」 と言われたことがあって、 べつに霊感が強いと思ったこともないし、 そのときは、そうなのかなあと思いながら少しうれしかっただけでした。 父に子どもの頃よく手を当ててもらったこと自体忘れかけてたけれど、 いま思えば、そんな父の手当てによって子どもの頃からあるていど自己 治癒力の回路が開かれていたのかもしれないなとも思います。 自分に子どもができて父という立場になったからなのか、 歳をとったからなのか、 父ももうすぐ70歳になり、いつ死んでもおかしくない年齢だと思うよう になったからなのか、 近頃、父のことを考えることが増えるようになってきたなと思うのです。 いままで忘れていた父の記憶がいろいろと蘇ってきて、 もちろんその記憶が実際にどこまで過去の現実と一致しているのかは 定かじゃないけれど、そんなこととは関係なしに素直な気持ちで この歳になってやっと父に感謝の念を抱けるような気もします。 思うに父は、銀行員という仕事はあまり好きではなく、しかし結婚して 僕たちこどもがいることや社会的な責任のようなもので、会社員として 定年まで勤め上げたのだと思います。 そこではある程度自分の可能性ややりたいことを抑えてきたのではない かなという思いもあります。 もっと好きなことをすればよかったのに、とか 家族のためにある意味自分を犠牲にしたことへの感謝とか そんな単純なことではなく、 でももっと単純に 父がこれまで生きてきて、これからも生きていくその父の人生を おこがましい言い方だけれども認めてあげたい、というか そのまま受け取ってあげたい、 いまそんな気持ちになれた気がします。 (次号につづく) ●執筆後記● 何歳ぐらいのときか、海水浴に行ったのか潮干狩りに行ったのか定か ではないけれど、 ぼくは子どもごころにただ単純な好奇心で、波打ち際に打ち寄せる波 にそのまま身を預けたら、波はどのくらい僕を運んでくれるだろうか と思い、波が来たときに横に寝そべって引いていく波と一緒に自分で も多少回転をつけながら海にむかって転がっていったのでした。 そしたら父が「おおおおー」と慌てて飛んできて、僕を抱き起こし 砂浜に急いで運んでいきました。 僕としては無邪気な遊びのつもりだったのだけれど、 そのときの父の慌てぶりの様子はこどもの目から見ても、 これはまずい、と思い ただの好奇心から転がっていったとは言えなかったのでした。 父はそんなこと覚えているだろうか。 いまさらだけど、 おとうさん ごめんなさい。 ○○○お知らせ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○ ★「言葉の外へ」2月20日発売 http://www.k-hosaka.com/ ★出来るだけ等幅フォントでお読みください。 ☆ご意見・ご感想・投稿などはこちらへ   akama@din.or.jp ★「ぴょんかつ」は『まぐまぐ』( http://www.mag2.com/ )と E-Magazineを利用して発行しています。( http://www.emaga.com ) ★「ぴょんかつ」の登録・解除は 『ぴょんちゃん倶楽部』(http://www.din.or.jp/~akama/)か 『まぐまぐ』(マガジンID:0000019217) 『E-Magazine』(マガジンID:akama) のそれぞれで各自お願いします。 ★「ぴょんかつ」は転載自由です。 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 保坂和志拡散マガジン   ぴょん吉くんはかつおぶし中毒 略して「ぴょんかつ」                       第45号 発行人  あかま としふみ akama@din.or.jp               http://www.din.or.jp/~akama/ ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆