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第16号 記憶のなかの人(5/4)

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 僕は御巣鷹山の飛行機事故で死んだ大学の同級生のことを思い出した。
 そいつとは一、二年生のときの語学の授業で一緒で、教室の一番後ろ
の隅の席に並んで座って何度かしゃべって、「いい感じ」だと思ったけ
れど、三年で語学の授業もなくなるとほとんど話す機会もなくなり、卒
業してからも当然一度も会わなかった。その彼の名前を十何年かして、
事故の死亡者が新聞全面に二センチ画程度の顔写真つきでズラーッと並
んでいる中で見つけたのだけれど、そのときの僕の気持ちは悲しいので
もなく淋しいのでもなかった。
        (中略)
卒業してから一度も会わなかったし、生きていてもたぶん一度も会わな
かっただろうから、「もう会えない」ということではなくて、死んだの
を知ったことで「会わない」ということがはっきりした形になった――
というか、死んだのを知るまでは「会わない」という意識すら持たずに
会っていないだけだったのが、そうではなくなった――というか、この
時点で彼に関わる過去と未来という二つの時間がもう絶対に動かなくなっ
た(そして僕もその一つの要素として確定された)――とかそういうこ
とで、

            (もうひとつの季節)
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こんにちは。

『もうひとつの季節』からの引用ながくなっちゃいましたが、いちおう
今回はここ最近つづいている『コーリング』からの拡散みたいなもので
とりあえず「記憶のなかのひと」という題で拡散。

◆人のタイプ分類◆

ひとは、自分のことはああでもないこうでもないと明確に自分はこうい
うタイプだということを決めつけられないというか、こんな自分もあり
あんな自分もあると思い、自分で自分のことがわかっているようで、実
はよくわからないというかうまく定義できない部分をもっているように
思うのだけれど、こと相手というか他人に関しては、あの人はああいう
タイプだとかそうゆう人だとこちらで勝手に決めつけて分類したがる傾
向があるという気がするんです。

それはたぶんにその人に関する情報が少ないということで、少ないとい
うのは自分が自分自身のことに関して持っている情報と比べて少ないと
いうことだけれど、情報が少ないからある意味かんたんにタイプ分類し
やすいということなのかもしれないと思うんです。

ただ、よく「わたしはこういう人だから」というような言葉で自分を自
分で固定しちゃう人がいるけど、そういうのはなんか自分の無限の可能
性を無視しちゃっているようで、もったいないような気がしちゃうんで
す。

「わたしはこういう人だからこう思ったのはしょうがない」「わたしは
こういう人だからこういう行動をした」というのではなく、「こう思っ
た」「こう行動した」ことから自分はどういう人間なのかということが
つくられていくのであって、まずどういう人間だからというのがあるわ
けじゃないような気がして。

だから「わたしはこういう人だから」と言われちゃうと、ああそうです
かということで終わっちゃうようなところがあるんですね。

でも基本的にはひとは自分より他人に対してのほうが、意識無意識に関
わらずタイプ分類したがるんだとは思うんですが、ん〜でももしかして
これって一般的じゃないのかなあ、わたしがそう思ってるだけなのかも
しれないけど、まあそういうことで。

◆記憶のなかの人の分類の固定◆

あまり会わない、あるいはもうたぶん会わないだろう人で、だけれども
印象に残ってる人のことを自分の記憶のなかにしまっておく場合、さら
にこういうタイプ分類をする傾向が強くなってるんだろうと思うんです。

「あの人はこういう人だった」というのが自分の記憶のなかに完全につ
くられていて、でももちろんそれはその人のある一面でしかなく、その
ひとの全体をあらわしているものではないんじゃないかと。

でもまあ、どんなにいろんな断片を集めてきてもある人の全体をあらわ
すなんてことはとうていできないことなんだろうけれど。
できるとしたら、自分が自分で存在してること自体で自分の全体をあら
わすということなのかなあ。

比較的頻繁に会っている人に対しては、自分のなかでもその人のタイプ
分類が頻繁に更新され修正されていくんだけれど、もう何年も会ってな
い人に対しては、その人自身はたぶんいろいろ変化してるのだろうけど
自分の記憶のなかでは更新されず固定された記憶となっていく。

◆名前の連想◆

人の名前っていうのは、もしかしたら人が存在する数だけあったほうが
いいのかなとも思うのだけれど、そしたらやたら長い名前ばっかり多く
なったり、数字と記号の羅列みたいになってつまんなくなっちゃうんだ
ろうなあ。

と思ったのは、例えば山田Aさんというひとがいて、自分のなかで山田さ
んといえば、すぐ山田Aさんを連想するようになってたとします。
山田Aさんとは、次第に疎遠になりあまり会う機会もなくなってきたとし
ても、いぜん山田さんと聞けばやはり自分のなかでは山田Aさんしかいな
い。

でもそのうち山田Bさんと知り合いになって、その山田Bさんのひととなり
を理解するようになると、山田さんと聞いたときには山田Bさんを連想し
てしまう。
山田Aさんは、山田Bさんがあらわれたことによって、その人の記憶から
薄れてしまったわけで、ちょっとかわいそうな気がします。
といっても何がかわいそうなのかというと・・・
山田Aさんがかわいそうなのではなくて、山田Aさんの記憶がかわいそう?
すぐに思い出してもらえなくなってしまって。

そんなこといっても記憶はどんどん捨てられていくんですね。

でも、もらった手紙はなかなか捨てられないのとおなじように、ひとから
もらったかけがえのない記憶もできれば捨てずにいつまでもすぐ思いだせ
るようにとっておきたいものですね。 ちゃんちゃん。

◆執筆後記◆

ほんとはもうちょっと早く「ぴょんかつ」発行したかったんです。
というのも、ぴょんかつ掲示板に保坂さんの奥さん(という言いかたでい
いのかわかりませんが、もし嫌だったらすいません)が書き込みしてくだ
さって。

4/22の読売の夕刊に、保坂さんの愛猫、花ちゃんが載るという情報でした。

できればその夕刊が出る前に発行しようと思ったんですが、こんなに遅く
なっちゃいました。

花ちゃんは片目で、うちのぴょんちゃんも片目なんで、これもなにかの巡
りあわせかなと。

それで花ちゃんのことを書いた保坂さんの『生きる歓び』のことは知らな
くて、このあいだ初めて読みました。

なんかぴょんちゃんのこととダブらせながら読んだせいもあるけれど、今
までの保坂さんの小説とはまたちょっと違う感じの感動みたいなのがあっ
て良かったです。うまく言えないけど。

GW真只中のところ、それではまた。
次号は、え〜、いつ頃発行するか何書くかまだ決めてませんが、そのうち
に。


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発行人  あかま としふみ akama@din.or.jp
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