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書籍紹介
| ヒトラー全記録 著者:阿部良男 出版:柏書房 価格:4800円+税 ISBN 4-7601-2058-0 |
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| 「銀行マンのライフワーク」...ありきたりな一言で表現するとそういう性質のモノである。何かのきっかけでヒトラーに興味を持った銀行マン。本業の合間に、ヒトラーやその関連の書籍を買い集め、読破していく。そしてそれらに含まれる日付の入ったデータ(出来事)を抜き出して時系列に並べ再編集してみた。いわば「ヒトラーとナチスのクロニクル(年代記)」ということになるのだろう。 ありきたりでないのは、それにかけた時間と労力(多分、資金も)、そして作り上げたプロダクトのレベルの高さである。著者の阿部さんは、この「クロニクル」を一冊纏めるベースとして「3000冊」ものヒトラー関連書籍を集め、そしてそれを読破しているのだ!(これに関しては下の方に著書とその書評にリンクを張ってあるので参照されたい) 著者のあとがきの冒頭を引用すると:「二十世紀最大の怪物であったアドルフ・ヒトラーの関連文献には多くの場合、巻末に年表が着いています。しかしながらそれらの年表は紙面が限られているため、どれも一長一短といわざるを得ません。そこで、それぞれのヒトラー関連年表や関連文献内の事項を重層的に抜粋・集約して、年表形式のナチス・ドイツ史を編纂してみようと考えました。めまぐるしく起こる事件や相次いで発令されたナチス諸法令の日付は冷たく無味乾燥ですが、こうして具体的な事実を積み重ねることで、事実そのものが独自に語り出すような資料効果が生ずるとすれば、これまで描かれなかった興味深いヒトラー・ドイツ像を浮かび上がらせることができるのではないかと考えたのです。」 無味乾燥な膨大なデータが自ら語り始めるモノ、逆に言えばデータをして自ずから語らしむるには...データは適当に集めて意図的に並べたモノであってはならない。必ず、意図を排除して淡々と組織的に集められた「母集団の全ての生データ」である必要がある。集めることに、ある種の偏執狂的完璧主義が求められる。 今、私が読みかけている本の一冊に IBM and the HOLOCAUST がある。ナチス政権下、何十万・何百万人もに上る行政区域の住民全員のデータを国勢調査という形で収集し、あのIBMの流れを汲むドイツ企業が製造販売したパンチカードシステムで、粛々とその集計と統計処理が行われる。そこからはユダヤ人の単なる数や比率、年齢分布にとどまらず、職業や日常使用言語の分布などが、クロス集計などの統計的手法によって浮かび上がってくる。まさにデータが自ら語り始めるのだ。(そしてホロコーストはこのような統計やそれを可能にする手段:パンチカードシステムに支えられていたのであり、IBMはそれに積極的に荷担した...というのが趣旨である。) 「ある特定の日時に於ける特定区域の全データ」と「ある特定の人物・団体に関する時系列的全データ」という違いこそあれ、完璧に集められたデータが自ずから語り出すモノは、意図に沿って抜粋して並べられた情報とは全く性質と次元の異なった情報である点に於いて共通のモノがある。これを、パンチカードやその究極の発展形であるパソコン・データベースソフトを駆使するわけでなく、また歴史学の専門家が知識を駆使して仕上げたのではなくて、全てを「一介の銀行マンが」、時間と労力と(多分資金と)をかけて、データをして語らしむるところまでまとめ上げたことに、「一介のメーカー勤務のサラリーマン」である私は敬意を禁じ得ない。 この方は「定年燃え尽き症候群」や「濡れ落ち葉族」などという言葉とは無縁に違いない。むしろ定年になって有り余るほどの時間を自由に使える時が来るのを、いまや遅しと待っていたのではなかろうか? −−− パラパラとめくって見て、正直なところ最初は「戦意喪失」した。こりゃ、かなり時間がかかるぞ..という推測と、なんと言ってもデータが語り出すのは全てのデータを頭に読み込んで処理が終わってから、つまり全てを読み終えなければデータは語り始めないのだとすれば、かなり無味乾燥な毎日のデータの羅列に600ページ以上もつきあわなくてはならない!こりゃあ骨が折れる。海外出張の長時間フライト用か現地での時差ボケ不眠対策用にとっておくのが良さそうだと思われた。 たまたま、混んだ病院の時間待ちに持って行き、他に読むモノが無くてという消極的理由で読み始めてその杞憂は晴れた。これは面白い、止められない!もちろん、文体や文章の面白さでぐいぐいと読者を引き込んでいくという性質のモノではない。一人の人物の年代記というのは、あたかもその人物に(気づかれないように)影のように寄り添って、一緒に移動しながら、その人物が見聞きしたことをその人物の立場で一緒に体験することだと、読み始めて気がついた。遠く離れた上空から、歴史を客観的に俯瞰するのではなく、その人物と一緒に成長しながら、一緒に地上を移動しながら、今日起こる出来事を追体験していく。 1914年8月1日、ベルリン王宮で皇帝ヴィルヘルム2世が民衆に向かってロシアへの宣戦を布告し民衆は歓喜するのと同じ時、ミュンヘンのオデオンプラッツで群衆と共にそのニュースに熱狂するヒトラー。ヒトラーの横にいてオデオンプラッツに立って、数百キロ離れたベルリンが想像できる。そうだ、そしてその時、あのヴィルヘルム2世が同時代人としてベルリンにいた訳だ!と歴史のジグソーパズルの1ピースが小さな音をたててパチリとはまる。1919年前半、ヒトラーはミュンヘンのプロパガンダ担当部隊にいる。第一次大戦後の混乱のなか、ベルリンでは共産主義者のカール・リープクネヒトやローザ・ルクセンブルグが処刑される。そうか、そのニュースをヒトラーはミュンヘンで聞くわけだ。一方地元ミュンヘンではレーテ共和国が樹立されどたばたしている。6月、ベルサイユ条約の過酷な条件をドイツ議会は渋々承認し、8月にはエーベルトの元、ヴァイマール憲法が成立する。しかしバイエルンではプロイセンでの出来事など殆ど無視という雰囲気も伝わってくる。おお、このあたりに出てくる有名な政治家達はヒトラーとの時間的・空間的距離がそういう感じだったのかということが活き活きと伝わってくるのだ。またピースが2つほどはまる。 監修された永井清彦教授(共立女子大学)の前書きを引用すると「...苦戦の対ソ戦を指導しているヒトラーがお気に入りの女性とお気に入りのレストランで食事をし、しばしば日本の駐ドイツ大使を迎えるかたわら「黄禍」としての日本を語っている−具体的な日付と共にそんな事実が浮かび上がってくる。ともすれば、それぞれ別の次元の話として書かれることだが、ここではこれらが同時に展開する。」... 事実を淡々と時系列に並べたモノに、ある特定の人物という軸を一本通すことで、突如それは活き活きとした映像を映しだし、時代を語り始める。妙に物語的語り口より余程活き活きと...。年代記というのはこういう楽しみ方があったのだと大きな発見をした。 4800円という価格設定は、デフレの昨今、やや高く感じる。が、ヒトラーやナチス、ドイツの近現代史に関心を抱き、何冊かの本を読んで関心が深まり、もう少し包括的にそのあたりのことを知りたいと更に何冊かを読もうとするつもりがあるなら、是非この本を薦めたい。この一冊を読むことは結局、そういう追加の努力と出費を省略するはずだ。最初にこの本に出会うとすれば、それは幸運としか言いようがない。ここをベースキャンプとして、更に興味のふくらんだ事柄を深堀りしていけばいいのだ。既に何十冊をも読んでおられる方にとっても、この本の資料的価値は大きな意味があると思う。いずれの場合にも、この本は、関連図書をかなりの分量を読むことを時間的にも資金的にも結果として省略することを可能にする。なんと言っても、この本は3000冊の関連図書をベースとしているのだから...。4800円というのはその労力と時間と、プロダクトの質の高さにしては、適正以下の価格設定とさえ思えるのである。 |
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