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国境が開いた! (2)
11月10日金曜日、会社から5分ほどの所にある自宅に昼飯を食べに帰った小生は、いつものように真っ先にテレビのスイッチを入れ、ニュースをやっていないとみるや、文字放送に切り替えた。するといつもは細かい字が並んでいるニュース画面のトップに、文字放送独特のフォントの大きな文字で "" と書いてあり、おまけにそれが点滅している。そうか、ベルリンだけの話じゃないんだ!
昼飯を早々に切り上げて会社に戻り、上司にこれを話す。ソ連に駐在経験があり、今回の成り行きを非常に興味を持って見ていた上司も気もそぞろで、金曜の定時である午後3時になるのも待ち遠しく、二人で車で15分ほどのラウエンブルグの検問所に行ってみた。11月らしい暗い雨空で、ぽつぽつと小雨が降っていた。テレビを見たのはまだ余り多くないのかも知れない。見物人はまばらだった。しかし国境線ギリギリのラインには何人かが並び、警官も混じって皆で東の方を見ていた。 遠い東の方から、トラバントの2サイクルエンジン独特のパタパタパタという音が響いてくる。やがてそれが国境に到達すると、どっと拍手が起こる。警官にパスポート見せて握手をしている。中には詰め込めるだけの家族、一族を乗せている。これがあこがれ続けてきた西ドイツなのかと、目に映るモノ全てを見逃すまいとでもいうように、ハンドルにしがみついたお父さんは、目を剥いて運転している。やがて Begrüßungsgeld という西独政府から支給されるお金をもらう手続きをしたりして、トラバントはラウエンブルグの町の方に走り去り、静かになる。次の車が出てくるのはそれからまたしばらくしてからだ。 初日はこんな風にポツリポツリという感じだった。後で聞いた話だが、ベルリンの情報は国境の方には均一には伝わっていないとか、東側の検問所に指示が伝わっていなかったとかいうことだったが... 1989年11月12日日曜日 11月12日の快晴の日曜日、家族をつれて同じ所に見に行ってみた。もう報道は完全に行き渡っていた。ラウエンブルグに向かう途上でトラバントとすれ違う。みんなクラクションを鳴らし、ライトを点滅させて喜んで走っている。こちらも負けずにクラクションで応え、パッシングライトで祝福する。おお、すごい、すっごい!!トラバントの群がお祭り騒ぎでリューネブルグの方に向かっている。 検問所のはるか手前で渋滞となり、しかたなく路上駐車をして歩いて検問所の方にいく。ハンブルグに住んでいる日本人やドイツ人の同僚達にも出会う。みんな来ているんだ。おとといとは大違いで山のような見物人が集まっている。駐車場にはトラバントやヴァルトブルグもかなりの数が駐車している。検問所の向こうには大渋滞が起こっているようだった。
パスポート手続きを済ませた車が出てくる度に大きな喚声が上がる。東の若者だろうか、既にかなり酔っている様子で、なおビール瓶を持ってラッパ飲みし、あらん限りの声で「ドイチュラアアアアントッ」と叫び、文字通り感動に酔いしれている。近所のスーパーマーケットの袋にいっぱいのバナナを詰めて、トラバントが出てくる度に差し入れしている者がいる。東は外貨が乏しいのでバナナやオレンジなどの海外の果物がほとんど手に入らないらしい。商魂たくましいタバコ会社はキャンペーンガールを動員してタバコのサンプルを配っている。当時"Go! West!"というキャッチフレーズで売っていたWest というブランドがやったら受けるだろうな...などと冗談を言っていたが別のブランドだった。
リューネブルグの町に帰ると、トラバントがそこら中に駐車していた。町中にあの混合ガソリンの排気ガスの独特のニオイが充満していた。東の人は一目で分かった。概ね家族で歩いており、ショーウィンドウに釘付けになっていた。しばらくして町のスーパーなどは日曜も営業をするようになる。ドイツの小売店は有名な Ladenschlussgesetz(閉店法)によって営業時間が規制されていたが、この時ばかりは超法規だったのだろうか?そういえば駐車違反も東のナンバーは大目に見ていたようだ。 オイフォリーという単語を目にした。陶酔というらしい。まさしく、みんなが感動に酔っていた。 毎日なにか新しいことが起こっていた。ホーネッカーが退きエゴン・クレンツが後任になった。目の下に隈のあるクレンツはしかし、着任早々、かつての天安門事件を礼賛したことがあるというのでケチがついていた。ノイエス・フォールムのバーバラ・ボーレイ、ルンデン・ティッシュ(円卓会議)、LDPDのゲルラッハ...いろんな新語や人名がめまぐるしく登場しては消えた。ルーマニアではチャウシェスク政権がなんだかあやしくなっていた。 12月...日本へ出張している最中、同僚と飲んでいた居酒屋のテレビが、ルーマニアの独裁者チャウシェスク夫妻が殺されたことと、ベルリンの壁の一部が撤去されたことを伝えた。思い出に残る夜であった。 |
