覚書へジャンプ


我々はこの日本という国において、きわめて不思議な現象を目の当たりにしている。
国が信ずる神のいない国。
その一方で、あらゆる神が出入りする国。
これほど奇異な宗教体質を持った国はほかにない。

私は神の存在を信じていない。
だが、神の持つ力は信じている。
一見食い違っているが、私の中には矛盾はない・・・と信じている。
つまり、自分に刃向かった人間を片っ端から天罰とやらで始末するような意識体としての神は信じない。
古来、人々が神の行いと信じてきたのは純粋な自然現象である。
ではなにをもって私は神の力を信じるのか。
優秀なる指導者が愚かな民たちを統率する道具として使用した神の力である。
神の名の下に愚民はひれ伏し、畏れ、敬い、許しを請うのである。
これが恐るべき力と言わずしてなんだというのか。

なぜ人はかくも神を恐れるのか。
神とは、先ほどの通り、人がいくらあがいてもうち破ることのできない自然そのものであったからだ。
為政者が強大な力として神を利用する前、どこにでも様々な神がいた。
その神々を知ることは、当時の人々が何に怯え、何を大切にしていたかを知るために重要である。

しかし、我々は不思議なほど祖国の神を知らない。
あらゆる神が出入りするだけに、本来の神々の姿が見えにくくなっているのだ。
神社にお参りしていても、そこにいる神様がなんという名前で、どういう神様なのか分からないのだ。
これでは寂しい。

そう思ってこんなページを作ってみた。
現在日本の神々に対しては、様々な議論がなされており、誰と誰が実は同一だとか、そんな話は数多い。
神話にでてくる神々はほとんど人間だというのもある。
しかし、真偽はさておき、ここでは神社があって祀られているものは何でも神として扱っている。
本来、神とは信じる者のあるところにあまねく存在するものだからだ。