稚日女神
ワカヒルメノカミ
別称:稚日霎命性別:系譜:天照大神の妹神格:機織りの神、祈雨の神神社:生田神社、安賀多神社・奥宮、比々多神社、今宮戎神社、香良洲神社
 稚日女神は、機織りを司る職能神である。日本神話では、この神が天照大神の着るものを織る機殿で仕事をしていたとき、これを見た乱暴者の素盞鳴尊が、班馬の皮をはいで機殿の中に投げ込んだ。これに驚いた稚日女神は、その拍子に機から転げ落ち、手にしていた梭(ヒ=機織りの横糸を通すのに使う舟形の道具)で体を傷つけて死んでしまった。
 神話のなかで、機織りの神としての稚日女神を示す記述は、実はこれだけである。もう一度この神の名が登場するのは、「日本書紀」の神功皇后摂政前紀のなかである。ここでの稚日女神は、前述したような機織りの神とのイメージとは大きく異なっている。その話は、次のようなものだ。
 神功皇后が、新羅遠征の事業を無事に成し遂げて凱旋し、船で大和の都へ向かおうとしたところ、神戸の沖合で船が突然くるくると回って進まなくなってしまった。そこで武庫(ムコ)の港(現在の兵庫県の武庫川の河口付近か)に寄って神に占ったところ、稚日女神が現れて「自分は生田神社にいたい」と託宣したため、現在の生田神社(神戸市中央区)に祀った。その結果、海は平穏になり、無事に海を渡ることができたという。
 神功皇后の新羅遠征に関しては、住吉神宗像神など多くの神が神威を発揮して海路の安全を守護している。稚日女神も、そうした神霊として風雨を司って神功皇后を助けた神霊である。神功皇后の凱旋に付き添って神戸の沖にさしかかったとき、稚日女神は自分は神戸に落ち着きたいと主張した。その理由は、稚日女神を祀る生田神社が神戸の氏神といわれるように、本来、神戸の地を守護する神霊だったからである。
 生田神社に祀られた稚日女神は、その後、平安時代には有力な風雨の神として朝廷から手厚く祀られている。それだけではない、伊勢神宮をはじめとする有力な神社と並び、疫病鎮護、年穀豊登などの守り神としても篤く崇敬され、庶民からは健康長寿、縁結びの神として信仰を集めた。
 機織りの神であり、祈雨の神や開発の神でもあるという複雑な性格については、ひとつの神霊の発展したもの、あるいはもともと別な神霊がひとつの神格になったとも考えられるが、その点ははっきりとしない。いずれにせよ、今日の稚日女神は、生田神社の祭神として健康長寿の霊験を発揮する神であるということだ。
 それにしても、乗り物酔いする私としては、もっとほかに自己主張の方法を考えてほしいと願う次第である。