高霎神 / 闇霎神
タカオカミノカミ / クラオカミノカミ
別称:闇淤加美神(クラオカミノカミ)性別:?系譜:伊邪那岐命が火の神迦具土の首を切った血から生まれた神神格:水の神、雨の神神社:貴船神社、丹生川上神社、大山阿夫利神社
 高霎神と闇霎神は、罔象女神と並んで代表的な水の神で、やはり女性神としてイメージされている。とくに、この二神は古来、雨乞いの神さまとして信仰されてきたことで知られ、雨乞い信仰で全国的にも有名な京都の貴船神社の祭神(貴船神)は、高霎神とも闇霎神ともされている。また、この二神については、同一の神の別称のようでもあって、その神格の区別に関してははなはだ曖昧な存在である。
 たとえば、「日本書紀」の一書第六には、伊邪那岐命が迦具土神の首を切ったときのその血から闇霎神が生まれたとあり、一書第七には高霎神が生まれたとある。そこからこの二神は、一対の神格であると考えられたり、同じ神格であるとも考えられたりしているのである。
 ただ、厳密にいえば、それぞれに微妙な性格の違いがないわけではない。神明から判断すれば、高霎神の「高」は高い山の峰にあって雨を司る神霊、つまり高い天空で発生して雨をもたらす神として山神、雷神の性格を基本としている。それに対して闇霎神の「闇」は、峰から下る渓流に宿る神霊のことであり、その基本的な性格は谷の水を司る神霊ということになる。この二神の機能を総合すると、山に降った雨はやがて谷を下って川となり野を潤す、という意味で、二神を合わせて源流の神ということができる。だから、二神を役割の異なる一対の神格とも同一の神とも、どちらにも考えられる。まあ、あえて区別をはっきりさせなくても、基本的にほとんど同じ機能を持った神なのだから、信仰する側としては何ら支障はないのである。

 水の神といってもその性格によって飲料水などを司る井戸神、水田の灌漑用水の神、漁業や水運業の神、あるいは火難除けの神などさまざまな特徴を持つが、前述したように、この神は雨乞いの神として信仰が篤い。ということは、水田の灌漑用水として利用される川の水と深く関係しているといえる。同様に、稲作と深く関係するのが雨水の神である。全国に分布する雨乞社、雨宮、雨降社などの神社は、ほとんどが雨の神を祀ったものである。もともとは、川の神、雨の神もそれぞれ独立して信仰されていたのであるが、のちにそれが統一された神格として考えられるようになったのが高霎神や闇霎神ということである。もちろん、今でも民間信仰では名もない川の神(水神)や雨の神が祀られている例が多い。それらの神を二神と同じ神さまと考えても間違いではない。
 ところで、源流の神とは雨を司る神なのであるが、一般に雨をもたらすのは雷神であり、それが水となって川に流れるとき龍神に変わるといういい方もできる。そういう考え方から、民間信仰の中での雨の神は、雷神信仰あるいは龍王や龍神信仰という形を取ったりしているのである。だから、神話に登場する高霎神や闇霎神などの水の神も、もともとは雷神や龍神であったといっていいかもしれない。龍神は池や川の縁に住む大蛇であるが、時には美しい女性に化身して人間の前に現れる。