少彦名神
スクナヒコナノカミ
別称:少毘古那神性別:系譜:造化三神(ゾウカノサンシン)神産巣日神の子神格:国土経営の神、医薬神、酒神、温泉神神社:酒列磯前(サカツライソサキ)神社、大洗磯前(オオアライイソザキ)神社、札幌神社、大神神社
 少彦名神は、海の向こうの常世の国から光り輝きながらやってきた小人神である。日本神話のなかの人気者であり、中世の「日本霊異記」の道場法師や近世の御伽草子の一寸法師などの「小さ子」のルーツとされている。その人気の秘密は、小人神でありながら国造りという大きな仕事を成し遂げるという、サイズとスケールの関係の飛躍性にある。さらにその性格は明るく、いたずら者でユーモラス。しかも豊かな技術や知識と優れた知恵を備えている。力ではなく、持ち前の知恵を働かせて困難を見事に克服してみせるという独特なヒーロー性も見逃せない。
 大国主命が出雲の御大(ミホ)の岬にいるとき、波頭を伝わって天の羅摩船(カガミブネ=ガガイモの殻でできた船)に乗り、鵝(ヒムシ=蛾)の皮を着て現れた。不思議に思った大国主命が家来の神に尋ねたが、誰もその正体を知らなかった。そのときそばにいた蟇蛙(ガマガエル)が「クエビコ(山田のかかしのこと)なら知っているでしょう」というのでクエビコに聞くと、「神産巣日神の御子で少彦名神です」と答えた。そこで大国主命が出雲の祖神である神産巣日神に伝えると、神は「これは私の掌の股からこぼれた子である。これからは兄弟の契りを結び、国を造り固めるがよい」と二神に申し渡した。
 こうして少彦名神は、大国主命とコンビを組んで全国を巡り歩き、国造りを行い、その任務を果たしたのちに再び常世の国に帰っていくのである。

 少彦名神が大国主命をパートナーとして行った一番の仕事は、全国の国造り、山造り、島造りなどの国土開発事業や農業技術の指導普及である。たとえば、少彦名神と大国主命のユーモア性を伝えるエピソードに、我慢比べの話がある。
 あるとき二神が、土を背負っていくのと大便を我慢していくのとどちらが大変かという競争をした。数日後、大国主命がこらえきれずに大便をすると、少彦名神も土を放り出してしまった(「播磨国風土記」)
 これは肥料と土壌の関係を象徴するもので、まさに農業神としての性格を示している。それにしても、真面目な仕事をしながらも子供っぽい遊び心を発揮するあたりが、この神の不思議な魅力を感じさせるところである。
 さらに、鳥獣や昆虫の外から穀物を護るための禁厭(マジナイ)の法を定めたり、稲や粟の種の栽培法も広めたとも伝わる(「出雲国風土記」「播磨国風土記」)。これなどは穀霊としての性格をうかがわせる活動である。その仕事をトータルにみれば、国土の開祖神、農耕文化の根源神といった姿が浮かんでくる。

 農業技術のほかにも、この神はさまざまな文化的事業も手がけた。そのひとつが、人々や家畜のために病気治療の方法を定めたことだ。その一環として、病気を治す薬である酒造りの技術も広めたりもした。「酒は百薬の長」などというが、古来、酒の消毒力や肉体を興奮させて生命力を高めることが、薬効として大変重視されたのである。このように科学技術のエキスパートとしての能力も発揮したから、今日でも医薬の神、酒の神としての信仰を集めているのである。
 また、温泉を初めて医療に用いたこともよく知られているところだ。有名なのが「伊予国風土記」逸文に見られるエピソードである。それによると、あるとき病気になった少彦名神が湯に浸かると、やがて病状は回復して健康になった。このときに開いた湯が現在の愛媛県松山市の道後温泉の基となったという。
 古来、温泉は「常世よりきたる水」と考えられ、「常世」は生命力の源泉でもある。そこから儀式の禊や正月の若水のように、神聖なものとして信仰されてきたのである。常世から来たこの神が、温泉神としての機能を発揮するのはそういう理由からである。
 以上のような多くの仕事をやり終えた少彦名神は、淡島(現在の鳥取県米子市の上粟島・下淡島とも、瀬戸内海の島ともいわれるが定かではない)で粟の茎に登り、その弾力ではじき飛ばされるようにして常世の国に渡った、あるいは熊野の御崎から常世の国に渡ったともいわれる。海の彼方からこちらの世界にやってきて技術や文化を伝え、また常世の国に帰っていくという行動のパターンは、他界から豊穣や富を運んでくる来訪神としての性格を表している。

 これまで述べたように少彦名神は、なかなか多彩な能力を発揮してみせる。そうした一種スーパーマン的な能力を備えている理由のひとつは、その出生にある。親神が最高神の神産巣日神(「日本書紀」では高御産巣日神)であり、いってみれば高天原生まれのエリートということになるだろう。
 ところが、生まれは高天原でも実際に住んでいるのはなぜか常世の国である。そして、あくまでも常世の国の住人としてこの世にやってきて、その優れた能力を発揮する。ということは、高天原での出生は、優れた能力を所有するべき資質が保証されただけで、実際にその能力が備わったのは常世の国においてであるということである。
 「常世」というのは、古代日本人が信じた祖霊の鎮まるところ、豊穣の源泉地であり、日本の神々が所属する「高天原−葦原中国−黄泉国」という垂直的な世界には含まれていない。そういう意味では、高天原の系統の神々を主流派とすれば、「常世」に所属する神は非主流派ともいえるわけである。
 少彦名神は出生としては高天原の直系の神として主流派に属するのだが、その能力や機能という個性の面では非主流の系統に属しているということになる。そして、われわれがこの神の魅力として感じるのはその個性であり、一種アウトサイダー的な要素である。
 東北地方の民話に登場する座敷童子やヒョウトクなどの子供(小人)神も、やはり少彦名神と同様に異界からやってくる来訪神である。こうした来訪神が運んでくるのは、富や幸福と決まっている。それは人間が常々抱きつづけている願望にほかならない。少彦名神の姿もそうした人間の夢を反映しているといえよう。