猿田彦神
サルダヒコノカミ
別称:猿田毘古神、猿田彦大神性別:系譜:天孫降臨に登場する神神格:導き(道案内)の神、伊勢の地主神神社:椿大神社、白髭神社、平野神社、巻堀神社、その他各地の道祖神
 猿田彦神は、多くの神々のなかでも最高にユニークな部類に入る神である。何がユニークかといえば、まずその容貌についての印象が実にはっきりしていて、しかも非常に特異であるということだ。日本神話に登場する神々で、この神ほど詳しく顔つきが説明されている例はほかにない。神話には、次のように記されている。
 「鼻の長さ七咫(ナナアタ=約1.2m)もあり、背の丈は七尺(約2.1m)あまりで身長は七尋(ナナヒロ=約12.6m)近く。しかも、口と尻は明るく光っていて、目は八咫鏡のように円く大きくて真っ赤な酸漿(ホオズキ)のように照り輝いている」
 いうまでもなくこのイメージは猿の化け物といった異形であり、いうまでもなくこのイメージは猿の化け物といった異形であり、こういう独特な味を持った神さまは、八百万の神のなかでも数少ない。そうした異形の猿田彦神が活躍するのは、天孫降臨の場面である。詳しくはそちらの項を参照していただこう。
 とにかく、役目を果たした猿田彦神は、このあと故郷の伊勢国(三重県)へ帰る。このときに彼を送ってきたのが天鈿女神で、彼らはのちに結婚して伊勢国の五十鈴川のほとりに住んだとされている。この天鈿女神との結びつきが、本来導きの神である猿田彦神の性格に複雑な要素を加えている。というのは、天鈿女神邇邇芸命に命じられ、猿田彦神の名を取って猿女君(サルメノキミ)を名乗る(猿女氏の遠祖)のである。猿女とは”戯る女(サルメ)”とも解され、神事芸能に関する役割を意味するという説もある。これに従えば、猿田彦神は芸能ごとにも深く関係していることになる。
 導きの神としての性格を持つ以前の猿田彦神は伊勢地方と密接に関係する神霊で、もともとの姿については、原始的な太陽神として伊勢の海人が信仰した神だったのではないかという説が有力である。また、猿田彦神の基本的なイメージである猿といえば、日吉大神の使いということでも知られるし、「日本書紀」には伊勢神宮の遣わしめとされている。日吉神の本源は山の神である。民俗信仰の山の神は、春に里に降り田の神として豊穣をもたらす。一方で、伊勢神宮は太陽神の天照大神を祀っているように、猿はまた日の神の使いとしても知られている。山の神にしろ日の神にしろ、稲作農耕と密接な関係を持つ。ということは、猿田彦神も農耕神的な性格を備えているといえるわけである。

 猿田彦神は、いろいろな民俗信仰と結びついている。そのひとつが、道祖神である。最近は田舎の道も隅々まで舗装され、車で通り過ぎてしまうからあまり馴染みがない人が多くなっているが、道祖神というのは基本的には邪霊を防ぐ神である。さらに、道の神、境の神でもある道祖神とされた猿田彦神は、江戸時代の中期頃から庚申信仰とも習合して信仰されるようになった。これは「猿と申」の共通性から、神道家によって結びつけられたものといわれている。
 また、古代の性器崇拝の信仰と結びついた金精さまも、猿田彦神の多様な顔の一面である。道ばたの道祖神には、性器を刻んだ男女の石像などがしばしば見られる。これは庶民が良縁、下の病、子宝、安産、子育てなど、性にまつわるさまざまな願いごとを道祖神に向けたことを示している。金精さまというのは、そうした道祖神の性にまつわる信仰の部分だけを取り出したような神さまで、男女の縁結び、出産、性病治癒などの霊験ありとして信仰される。猿田彦神が、日本の多くの神々のなかでも特に親近感を感じさせるのは、第一に猿という動物のイメージ、それに民間信仰と結びつくことによって、庶民的で身近な神さまとして活躍してきたからである。