大山咋神
オオヤマクイノカミ
別称:山末之大主神(ヤマスエノオオヌシノカミ)、鳴鏑神(ナリカブラノカミ)、日吉山王権現(ヒエサンノウゴンゲン)性別:系譜:大年神の子。賀茂別雷神を生んだ丹塗矢(ニヌリヤ)神格:山の神、比叡山の地主神、神仏習合による天台密教の護法神神社:日吉大社本宮、松尾(マツノオ)大社、日枝神社
 日吉(日枝)・山王信仰の祭神である大山咋神は、比叡山(日枝山)に宿る山の神(地主神)で、延暦寺の鎮護神としての顔も持っている。これは平安遷都後の延暦25年(=大同元年、806)、伝教大師・最澄が比叡山の山頂に延暦寺を創建したときに、古くからこの山の地主神として鎮座していた大山咋神を寺の鎮護神としたことに始まるものだ。そのときに大山咋神が鎮座する日枝大社を、最澄が渡った等の天台山国清寺の山王祠という社の名にちなんで「日吉山王」と呼ぶようになり、やがて仏教風に日吉権現または山王権現と呼ばれるようになった。そもそも「山王」とは山の神を意味する言葉である。
 大山咋神は、もともとは比叡山の周辺地域の人々が信仰する素朴な山の神だった。古代には、のちに述べるように農耕民の生活と密着した神威を発揮するようになるが、それでも比叡山一円の地方区の神であったことに変わりはない。それが全国区になったのは、やはり最澄の広めた天台宗と結びついて以降のことで、天台宗の全国各地への布教とともに、大山咋神の神威もまた全国へと広がったのである。
 また、日吉山の神さまの使いとされる動物として有名なのが猿である。日吉大社と猿の関係については、はっきりいってよく分かっていない。ただ、日本では古くから、山にすむ猿を山の神の化身であるとする素朴な信仰が各地にあり、日吉大社の周辺の猿もそういうふうに考えられていたようである。中世以降、日吉山王信仰が全国に広まるとともに、猿も神使としての地位を獲得した、というのが有力な説である。
 一般に今日、日本人に人気のある神を見ると、その顔が全国区に売れるきっかけになったキーワードは「現世利益」である。古来、日本の神は人間に祈ることを強制しない代わりに、霊威を発揮することも確約しなかった。一方、人間の側ももっぱら神の荒魂の沈静を願うことに重きを置き、現世利益のような具体的な期待は今日ほど強くはなかった。そもそも現世利益という考え方がなかった。大山咋神にしてもある意味で、そういう素朴さを持っていたのであるが、その性格に革命的な変化を与えたのが天台密教である。密教は、鎮護国家、増益延命、息災といった具体的な霊験を加持祈祷によって実現するという体系を備えていた。
 なんといってもわれわれ俗人は、保証のある御利益の方が嬉しいのである。だから、そうした密教の体系と結びつくことによって、大山咋神は現世利益を実現する霊威と呪力を高め、今日われわれが神社で出会うような万能の神へと変身した。それで人気も高まったのである。実際、天台密教との出会い以後、日吉大社の末社には賀茂神や春日神などの有力な神霊が勧請されている。こうして、それまでの農耕や生活平穏の守護神から、中世以降に発展する商業や工業をはじめあらゆる産業の繁栄の守護神といったふうにその神威を拡大させたのである。

 大山咋神に関して、丹波国(京都府)の浮田明神にまつわる古い伝承がある。それによれば、太古の昔、丹波の国は湖水であったが、大山咋神がその湖水を切り拓いたので、水が干上がって国土となった。人々はこれを感謝して祠を建てて祀ったという。この話から連想すれば、大山咋神は国土開発の神であったことがうかがえる。実際にその御神体は鍬であるというから、農耕信仰の守護神として崇められたのだろう。伝承で大山咋神が発揮したとされる神威は、稲作農耕の初期における原初的な土木技術と考えられる。人々は神が司る洪水や旱魃などの自然現象から、灌漑用水の開鑿技術を学んだ。そして、そのヒントを与えてくれた山の神への畏怖と感謝の気持ちから、大事に祀るようになったのである。
 こうした農耕信仰の守護神という性格と深く関連するのが、大山咋神が松尾大社の祭神で、しかも伏見稲荷大社を奉斎した秦氏の総氏神だったということだ。5、6世紀頃、朝鮮から渡ってきた秦氏は、山城国や丹波国を開拓して農耕生産を興し、松尾山の神を一族の総氏神として祀った。それが京都最古の神社といわれる松尾大社である。松尾山の神は、古くから山麓一帯の人々の生活の守護神として崇められた神であるといわれるから、前述の伝承のなかに記される山の神、すなわち大山咋神とそのイメージがぴったりと重なる。現在の松尾大社には、御田植祭という田の虫除けと五穀の豊穣を祈る神事がある。
 また、大山咋神は、松尾大社では醸造の守護神として崇敬を集めている。本来、酒造とは関係がなかったが、松尾大社の近くの秦氏の氏寺、広隆寺の境内に祀られていた大酒神社の酒造の神が合祀されて、醸造の神として神格を備えるようになったものという。もともと農業の守護神としての性格を持っていたから、穀物から生まれる酒の精霊とも容易に結びついたのだろう。