大山祗神
オオヤマヅミノカミ
別称:大山津見神、大山積神、和多志大神(ワダシノオオカミ)、酒解神(サケトケノカミ)性別:系譜:伊邪那岐命伊邪那美命の子。娘は木花咲耶姫神神格:山の神、海の神、酒造の祖神神社:大山祗神社、大山阿夫利神社、梅宮神社、三嶋大社、その他三島神社、大山祗神社
 多くの自然神の中でも、おそらく山の精霊はもっとも古く神格化されたのではないだろうか。人間の生活の領域には、命をつなぐ非常に重要なものとして水の精霊などもいたわけだが、その水の源をたどれば山に至る。つまり、山の精霊こそは水の精霊となって野に下り水田を支配し、川を下って海に流れ込み海の精霊となるものなのである。霊感がほとんど摩滅気味の現代人でも、秀麗な山の姿を目の前にしたとき、なんとなく神秘的な感じを受けるはずである。それ以上に自然の姿に敏感だった原始古代人は、高い山、美しい山、あるいは火を噴く山に、親しみや恐ろしさを感じたりした。そうした自然の威圧感、荘厳な冷気を、人々は神の気配として感じとったのである。古代の人々が自然と強調して生活していたからこそ敏感だったともいえるわけだが、とにかくそういうことで人々は山の精霊を早くから意識し、大切な神として祀るようになったはずである。そうした日本の山の神の代表格が大山祗神というわけである。

 大山祗神について語る前に、「山の神」について簡単に触れておこう。日本の山神信仰は、非常に複雑な様相を呈している。極端ないい方だが、民俗信仰の山神の世界に入り込んだら、二度と出てこれないような迷路に踏み込んだような感じになるだろう。たとえば山神は、その山の周辺地域に暮らす人々の祖霊であり、農民から見れば、春には里に下りて田の神となる穀霊である。また、山の民にとっては木地や炭焼、鉱山や鍛冶の神さまだったりする。さて、どれが本当の山神なのかといえば、当然すべてである。結局は、漠然としたその全体を山神というしかないのである。
 以上のように複雑な表情を持つ山神であるが、はっきりしているのは人間の生死を左右する大変な呪力を持つということだ。それくらい人間の生活に深く関わっているのが山神なのだ。

 この大山祗神などは、いうなれば”ふたつの顔を持つ神”といった存在で、一般に複数の性格を持つ日本的な神の典型といってもいいだろう。つまり、山の神と海の神の両方の性格を兼ね備えているのである。もちろん、本来はその名前の通り、山の精霊の神格化された存在だった。ちなみに「大山」とは、一般に日常的に目にしている一番高くて美しい(立派な)山に対する敬称であり、名前の意味するところは「偉大な山の神霊」である。
 なにしろ日本の”山神の総元締”といわれるほどであるから、その神威も農業、漁業、鉱業、商工業などの諸産業から、軍事、さらには酒造などの文化的な領域まで、とにかく幅広い分野に及ぶ。特に、この神の実力を全国に轟かせたのが、海の神としての顔だ。 その本拠地が愛媛県三島町に鎮座する大山祗神神社である。
 この神社のある芸予海峡は瀬戸内海の水運交通の要衝であり、大三島にある大山祗神神社は、古くから瀬戸内の水軍に崇敬され、のちにはここを往来する武門の信仰を集めるようになった。ちなみに、国宝、重要文化財の鎧兜のおよそ7割が同社宝物館に集まっていることは有名で、いずれも名だたる武将が奉納したものである。このように武運長久の守護神として広く武士の崇敬を獲得したことが、この神の神威を全国に広げる大きなきっかけとなったわけで、八幡神が武士の頭領、源氏の守護神として飛躍的に神威を広めたのとよく似ている。これはやはり、交通や商業の発展という社会的な変動と大いに関係している。特に戦国から近世にかけてのこの神は、海上交易の守護や武神、軍神としての性格が強かったのである。

 文化的な面でのこの神の特徴といえば、やはり酒造りの守護神であるということだ。娘の木花咲耶姫命が天孫邇邇芸命と結婚し、その子の日子補穂出見命を生んだとき、それを喜んだ大山祗神は、狭奈田(サナダ)の茂穂でアメノタムケ酒を造り、天地の神々に振る舞った。
 先に述べたように、山の神は里に降りれば田の神であり、穀物の実りを司る神である。また、清涼な流れとして山から発する水の神でもあることから、当然、その両方から造られる酒の精霊は、山の神の分身ということになる。そうした発想から、穀物から酒を醸造した始まりとされる神話が生まれ、大山祗神を酒造神、木花咲耶姫命を酒解子神と呼び、酒造の祖神として祀るようになったのである。