大国主命
オオクニヌシノミコト
別称:大穴牟遅神(オオナムチノカミ)、葦原色許男神(アシハラシコノオノカミ)、八千矛神(ヤチホコノカミ)、宇都志国玉神(ウツシクニタマノカミ)、大物主神(オオモノヌシノカミ)、国作大己貴命(クニツクリオオナムチノミコト)性別:系譜:素盞鳴尊の六世の孫。沼河比売神、奥津島比売神など多くの女神と結婚。子は阿遅鋤高日子根神事代主神建御名方神など181神神格:国作りの神(文化神)、農業神、商業神、医療神神社:出雲大社、大神(オオミワ)神社、気多神社、大和神社、北海道神宮、大国魂神社、その他出雲神社など
 大国主命は、いわずとしれた日本の神さまのなかのスーパースターである。出雲大社の縁結びの神さまで、有名な「因幡の白兎」の話の主役、あるいは七福神の大国様だということは誰でも知っているだろう。さらに、出雲神話の主役で、全国の国津神の総元締みたいな存在である。英雄神としては、日本の素盞鳴尊やギリシア神話の英雄のように怪物退治といった派手なことはやっていないが、少彦名神とコンビを組んで全国をめぐって国土の修理や保護、農業技術の指導、温泉開発や病気治療、医薬の普及、禁厭の法を制定、といった数々の業績を残した偉大な神であることも知られている。ただ、それがこの神の魅力の全体像かといえば、否である。

 大国主命の複雑な魅力のポイントは、全体のイメージがなかなかつかみにくいところにあるといっていいだろう。もっとも我々を悩ますのがその名前である。「日本書紀」の一書には、「大国主命、またの名を大物主神、または国作大己貴命と号す。または葦原醜神という。または大国玉神という。または顕国玉神という」とある。
 複数の名前を持つ神は、多くの神さまがいる日本では珍しくもないが、それにしてもこの神ほどいろいろな呼び方をされる神はいない。プラスに考えれば、名前が多いということはそれだけ多様な性格を持ち、神さまとしてのパワーも強力といえる。そういう多様な性格から、いかにも謎めいた雰囲気を感じさせるのが大国主命の魅力なのだ。
 しかし、逆にマイナスに考えれば、ちょっとばかり失礼ではあるが、美男子で妙に多くの名前を使い分けたりするのは、俗世間では詐欺師かそのたぐいの怪しい商売をしている輩と相場が決まっている。そういう危ないイメージを膨らませてくれるところが、この神の面白味でもある。

 多くの名前を持つことは、多重的で複雑な性格を象徴していることになる。そこで、それぞれの名前の持つ意味から、その性格を探ってみよう。
 まず一番ポピュラーな大国主命とは、出雲国を治める大王を意味している。つぎに、大穴牟遅や大己貴などの「チ」は自然神的霊威にあてられる音で「地」を意味し、「大地の王」であることを表している。国玉(魂)は、国土の霊魂。さらに、大物主の「モノ」は霊威、霊格のことで、のちの悪しき「物化(モノノケ=怨霊・妖怪)」と共通するが、ここでは大きな力を持つ高い霊格をたたえる名だ。醜男の「シコ」は、醜い男ではなく葦原のように野性的で力強い男の意味で、八千矛は文字通り武力、軍事的なパワーを象徴する名である。
 大国主命が英雄神として語られるのは記紀神話や風土記のなかにおいてであり、それ以前はおそらく農耕民などが信仰する素朴な自然神だったのだろう。もちろん、そういう素朴な自然神から神話の英雄神として描かれるような強力な霊威神となる課程には、それなりの信仰形態があったものと考えられる。その推測のひとつが、大国主命を崇拝する巫女集団のような呪術のエキスパートグループ(各地を巡って信仰を広げる機能を持つ)があったのではないかという説だ。風土記などに記される広範囲な大国主命の足跡は、そうした巫女集団が巡り歩いた跡と考えることもできる。よく言われているように、大国主命のいろいろな名前はもともと各地で信仰された別々な神の偉業や神徳をたたえたものである。その信仰の中心は、大地神、農業神(地域の開拓神)ということで共通している。巫女集団は、そういう各地の有力な大地神をひとつの神霊として統一する役割を果たしたのではないか。もちろん、大国主命の複雑で多重な性格の成り立ちを説明する要素は他にもいろいろあるが、こうした巫女集団のような存在を想定するのもそのひとつということである。

 昔から「英雄色を好む」などといわれるが、大国主命は大変な艶福家である。記紀神話においてもすこぶるつきの美男で、「その御子すべて一百八十一(モモソヤハシラアマリヒトハシラ)の神ます」(「日本書紀」一書)と記されている。多淫、多産な愛欲神としての姿がここにあり、それが出雲の縁結びの神として祀られる所以である。
 英雄神話には試練がつきものだが、大国主命の生涯も試練と女性関係の連続である。彼にまつわる神話をいくつかあげてみよう。もっとも有名なのは因幡の白兎の話だろう。
 昔話などで聞いたことのある人も多いだろう。隠岐島にすんでいた兎は、本土の因幡国(鳥取県東部白兎海岸)へと渡りたいと思った。しかし、その間に横たわる海峡は広く、小さな兎など飲み込んでしまいそうに見えた。そこで考えた末に、兎はあることを思いついた。そのあたりには数多くの鰐が棲んでいたので(出雲の方言で、鰐=鮫とのこと)、彼らを呼びだし、「鰐さんたち、君たちは数が多いけれど、一体何匹いるのかしら。もしよかったら僕が数えてあげるよ」。鰐は喜んで承諾し、兎のいうとおりに島から岸まで一直線に並んだ。兎はその上をはねて渡りながら数を数えていった。そして渡り終えたとき、よせばいいのに兎は実は海を渡りたかっただけだと言ってしまった。結局数は分かったのだから別にかまわないと思うのだが、鰐たちは我慢できなかったらしく、兎に襲いかかってその皮をはいでしまう。その痛みに耐えかねて泣きむせぶ兎に近づいたのが、八十神(ヤソガミ)と呼ばれる神であった。この神は大変残酷な神だったようで、兎に「海水に浸かればたちまちのうちに治るだろう」と教えた。人間ならば一瞬で嘘だと見抜けたろうが、そこは海を知らない兎のこと、さっそく海に浸かってみると、全身が焼けつくような痛みに襲われた。もはや泣き声も出ず、必死で陸地に上がって倒れ伏しているところに通りかかったのが大国主命であった。彼は兎の体を真水で洗い清めてやり、さらに蒲の花にくるまって身を癒すことを教えてやった。そうして兎はなんとか回復することができた。
 さて、このようすを眺めていたのがヤガミヒメであった。八十神がかねてから求婚していた女性だが、こんなところを見てしまっては八十神よりも大国主命のほうがずっといい。そう思ったヤガミヒメは、大国主命のもとへと身を寄せる。大国主命も女性に関しては来るものを拒まぬ性格であったために、彼女を妻にしてしまった。そして、これを逆恨みした八十神とその兄弟たちは暴力的な手段に出て、大国主命はあっさりと殺されてしまう。ところが、大国主命は母神の力ですぐに蘇生してしまった。そこで、今度は兄弟たちは策を巡らせ、赤い猪と偽って大国主命に焼け石を抱かせた。これにもしっかりと引っかかった大国主命は、再び命を落とす。しかし、今度はキサガイヒメとウムガイヒメという若い娘たちによって蘇生させられた。その後は、根の堅州国(カタスクニ)まで赴き、素盞鳴尊の与えたさまざまな試練に打ち勝って、その娘のスセリヒメを娶る。
 とまあ、女性の影が絶えないわけである。

 ところで、大国主命がコンビを組んで国土開発をした少彦名神は、その本性が穀霊であり、ある意味では大国主命の分身ともいえる。そこから連想すると、死と再生と女性関係という要素は、穀霊の再生をイメージさせる。つまり、艶福は豊穣神としての霊力を象徴しているわけである。それに、この神は2度も殺されながらもしぶとく生き返っているところも見逃せない。そういう超人的な起死回生の能力が、治療し再生させる霊力と結びついているのである。
 大国主命は民間信仰の七福神の中の大国様とも同一視されるが、これはダイコクという音からインドの神の大黒天と習合したものだ。本来農業神だった神格が商業神に拡大するといったことは、おおらかな日本の神々の得意とするところで、その代表に稲荷神がいる。大国主命もその例にもれず、艶福・豊穣という性格が民俗的な福神信仰と結びついて大国様に変身しているわけである。