饒速日尊
ニギハヤヒノミコト
別称:天照国照彦火明櫛玉饒速日命(アマテルクニテルヒコホアカリクシタマニギハヤヒノミコト)、邇芸速日命性別:系譜:天忍穂耳神の子、子は宇摩志麻遅神、物部氏の祖神神格:穀霊神神社:石切剣箭(イシキリツルギヤ)神社、物部神社、高倉神社
 饒速日尊が天上の神から授かった職能は、古代の呪術を司るという役目である。
 神武東征に先立ち、饒速日尊は天照大神の命で、十種の神宝(トクサノカンダカラ)を授かって天磐船に乗って天降る。 ここでの彼の活躍については、神武東征を熟読してほしい。 ここでは、東征神話の項で扱わなかった、彼が授かった十種の神宝について詳しく見ていこう。
 これは、天璽端宝(アマツシルシノミズタカラ)ともいわれ、「旧事日本紀」によれば、澳都鏡(オキツカガミ)、辺都鏡(ヘツカガミ)、八握剣(ヤツカノツルギ)、生玉(イクタマ)、死反玉(マガガエシノタマ)、足玉(タルタマ)、道返玉(チガエシノタマ)、蛇比礼(ヘビノヒレ)、蜂比礼(ハチノヒレ)、品物比礼(クサグサノヒレ)という十種であったという。 大別すれば、鏡、剣、玉という三種の神器の構成に比礼がプラスされている形になる。
 古来、鏡、剣、玉は、大いなる呪力を持つ祭器とされてきたものである。 この十種の神宝について詳しくは記されていないが、おそらく、鏡は物事の本当の姿を写し出し繁栄させる力、剣は邪悪なものを退ける力、玉は生命力をもたらし、肉体を充足させ、あるいは死者をよみがえらせて魂を呼び戻す、といった力を発揮するものだったようである。 また、比礼とは古来、女性が正装するときに肩に掛ける薄くて細長い布(領巾=ヒレ)のことで、中国の民族舞踊などでよく見かけるものだ。 昔からこの比礼を振ると災いを払う呪力が生まれると信じられていたのである。
 この十種の神宝は、物部氏の祖神とされる饒速日尊の息子の宇摩志麻遅神が神武天皇に献上。 神宝の呪力によって天皇の健康を祈ったといい、こうした宮廷での呪術祭祀が、やがて宮廷で行われるようになった鎮魂祭の起源だとされる。 饒速日尊を遠祖とする物部氏は古代の有力氏族で、宮廷の鎮魂祭、大嘗祭などの祭祀にも深く関わっていた。 要するに、さまざまな古代祭祀を管理する立場にあったわけで、そういう実際の職能が強力な呪力の神宝を所有する神のイメージへとつながったのだろう。
 とにかく、十種の神宝という呪術祭祀の道具を支配する饒速日尊、それを受け継いだ宇摩志麻遅神というのは、死者を生き返らせたり、去っていこうとする魂を呼び戻したりする力を持っているということである。 これを我々の日常生活に引きつけていえば、病気治癒、健康増進のパワーを司る神ともいえよう。