神話でたいした活躍をしていなくても、もともとが有力な地方神であって、一般の信仰のなかでは大変なパワーを発揮している神がけっこういる。
この菊理姫神もそんな神の代表例である。
実際にこの神は全国2717社を数える白山信仰の神として知られる日本でも有数の霊威神なのである。
菊理姫神は、加賀(石川県)の霊峰白山を御神体とする白山比売神社の祭神で、古来、人々から「いのちの親神」と崇敬されてきた女神である。
一説に白山神は大山祗神ではないかともいわれるように、菊理姫神はその本源として山の神の神格を持っている。
山は神霊の宿るところ。
山は水源であり、その水泊だって水田を潤し穀物を実らせる。
それ故に農業の守護神としてそのパワーを発揮する神ということになる。
これが有力な神としてこの神が広く信仰される大きな背景としてあるわけだが、機能的に見れば他の山の神に共通するものであって、この神の個性といえるものではない。
それよりも、死者の霊を呼び出して憑依させて口寄せするイタコの先祖のような神というところに、神秘的な個性が感じられる。
菊理姫神は、神話では「日本書紀」の一書の一場面にわずかに登場するだけであるが、その中でのこの神の役割が興味深い。
詳しくは禊祓にて述べてあるが、要は黄泉の国から逃げ出してきた伊邪那岐命とそれを追ってきた伊邪那美命の言い争いを調停したということだ。
この場合、伊邪那美命はあの世の代表者であり、伊邪那岐命はこの世の代表者ともいえる。
そして、菊理姫神の基本的な立場は伊邪那岐命の側にあるわけだが、とにかく仲介役として両者の言葉を聞き、調和をはかる菊理姫神の姿は、神と人間、あるいはこの世とあの世の間に立って託宣を受ける巫女の霊能を連想させる。
「ククリ」の名は、縁をつなぐという意味で付けられたようである。
その根源はここにあったというわけだ。
さらに、この神については、次のような姿も考えられている。
日本の民俗信仰では、山は祖先の霊が宿る他界であると考えられてきた。
だから山の神はすなわち祖先の霊であり、生活を守ってくれる神でもあった。
巫女の役割はその祖先の霊の託宣を聞くことである。
つまり祖先の霊=死者の霊との交信。
民間でそういう役割を果たす霊能力を持った女性といえばイタコである。
イタコというのは、山の神に使える巫女が俗化して、もっぱら死者の霊との交信を生業とすることによって、庶民生活のひだの中に入り込んだ姿にほかならない。
死者の国と深く関係する菊理姫神は、いわばイタコの先祖のようなものである。