事代主神は、記紀神話では託宣神として活躍、一般には、豊漁、海上安全守護の神、またエビス信仰の福神として知られる。
七福神のエビスが、おなじみの大鯛を小脇に抱えた姿としてイメージされるようになったのも、事代主神が釣り好きであるという神話のエピソードから連想されたものといわれる。
もともと事代主神は、海から寄り来る神で、出雲の美保神社(島根県美保関町)の周辺地域の土着の神であった。
はじめは地元の漁民や航海関係者から、豊漁をもたらす神、航海の安全を守護する神として信じられ、出雲の有力な神となったのである。
出雲神話では、出雲国の支配者である大国主命の息子として国譲りの話に登場する。
このとき、弟の建御名方神は最後まで抵抗し、敗れて信濃国に追われたが、事代主神はあっさりと国譲りを認めてしまっている。
このときの事代主神の役割は、託宣の神としてのものである。
大国主命が息子に意見を求めることにしたことも、神意をうかがわせてその託宣を聞くという形を取ったもので、事代主神の託宣神としての機能が強調されている。
もうひとつ、この神話の中で彼が重要な意味を持つという点は、そうした託宣による返事が国譲りのあっさりとした承諾であるということだ。
このことにより、国譲りは侵略でなく、正義の行いであることが証明されているのである。
このあたり、神話の編者の苦労がしのばれる。
このときの大国主命の息子二人の行動は、事代主神が高天原の正当性を、建御名方神がその武力を象徴するという意味を持っているのである。
また、神話の中で事代主神が美保関で魚釣りをしていた話から、漁業の神として信仰されるようになったことに関しても、記紀神話の成立以後に意図的に結びつけられたという説が有力だ。
先に述べたように、事代主神はもともと海から寄り来る神霊であったが、神話の中で託宣神という性格を付与されることによって、今日のような神のイメージができあがったものといえる。
国譲りの取引が終わったのち、事代主神は静かに海の波間に消え去ったというが、おそらく神の住む地である常世の国に帰ったのであろうと推測できる。
事代主神という神名は、「事を知る」という意味である。
もともと固有名詞ではなく一種の役職名で、託宣を発する呪術の専門家(神懸かりする神主や巫女といった存在)に対する称号のようなものだったらしい。
美保神社の祭神の事代主神も、託宣の神として信仰されており、その祭りの大きな特徴として、一年神主(氏子が選ばれて神主をつとめる)が神懸かるという神事が行われる。
日本の神は、教義を語らない。
キリスト教やイスラム教の絶対神のように、人間に対して「こうしなければならない」とは言わない。
意図的にそうしているというのではなく、そもそも「姿を見せず、語らない」というのが日本固有の神の在り方なのである。
だから、人間が神の意志をうかがおうとするとき、巫女や神主のような神と交信する専門的な霊能者が神懸かりする必要がある。
逆にいえば、媒介する人間に神懸かりすることによってしか、神はその存在と意志を明らかに示すことができないともいえる。
だから、託宣神である事代主神は、神懸かりして神の意志を伝える巫女や神主が果たす”機能の神格化”といえるわけである。
託宣とは神の言葉を伝えることで、神の言葉は世の中の出来事を左右し、行為をコントロールする霊力を持つ。
それは、つまり言霊である。
そこから「事代」を「言(言霊)を司る」という意味にとらえて、日本古来の言霊信仰からイメージされた神とも考えられている。
そのため、一説には言霊の神格化である一言主神と同一神ともいわれ、実際に同一神として祀る神社もある。