石凝姥神
イシコリドメノカミ
別称:伊斯許理度売命(イシコリドメノミコト)、石凝杼売命(イシコリドメノミコト)、石凝戸辺神(イシコリトベノカミ)性別:系譜:鏡造部の遠祖の天抜戸(アメノミカド)の子で、天岩戸の前に集まった神々の一柱神格:金属加工の神、鍛冶の神神社:鞴神社、中山神社、鏡作神社、日前国懸神社
 「石凝」といういかにも固そうな名前のこの女性神は、三種の神器のひとつとして有名な八咫鏡を作った神である。 この鏡はいってみれば神社の御神体とされている鏡の親玉みたいなもので、天岩戸の話では、天照大神を洞窟から誘い出すために石凝姥神が八咫鏡を作ったとある。 また、この神は天香久山で採れた金を用いて日矛(ヒボコ=立派な矛)を作ったとも記されている。 この場合の矛は、武器というより祭具である。
 神名の「石凝」の意味は、石を利用した鋳型に溶鉄を流し込んで凝固させ、鏡を作るという作業から連想されたものである。 そこから、この神は銅鏡や銅矛の製造を職業とした金工の祖先神と考えられている。 神聖な祭具の銅鏡や銅矛を製作する金工の技能には、それなりの霊力が生じる。 その職業的な霊力を祀る巫女がいたのではないだろうか。 そうした巫女は、もちろん本来、太陽神に仕える巫女であることは、天照大神のために鏡を作るという神話での役割からもうかがえる。
 鏡は日の神の依り代であり、古くから宗教祭祀の非常に重要な道具であった。 のちには三種の神器にも加えられているように、皇室の祭祀とも密接に関係している。 中国では、古くから銅鏡は悪霊を退ける霊力を持つと考えられた。 日本でも古墳時代にはそうした信仰が重んじられていた。 我々が今日でも目にすることができる大型古墳から出土した銅鏡は、ほとんどが祭祀に使われたものである。 そうした霊力を持つ銅鏡を作る神であるから、この神自身もまた悪霊を退けるなんらかの力を持つとも考えられる。
 なお、銅鏡や銅矛というのは青銅器時代のものである。 青銅器はやがて大陸から製鉄技術が伝わると、鉄器に取って代わられていくことになる。 つまり、石凝姥神はもともと青銅器の神さまともいえるわけで、鉄の普及と共に登場したほかの鍛冶や金属加工の神々よりもさらに古い神と考えられる。 もちろん鉄器時代になってもその役割は変わることがなく信奉され、今日も鍛冶の神、金属加工の神として霊力を発揮している。