日本の木の花の代表といえばもちろん桜である。
その桜の美しさを体現しているのが木花咲耶姫命だ。
「木の花」が美しく「咲く」というのは、ものごとの繁栄を象徴する名前である。
神話には、日本の山の神の総元締の大山祗神の娘で、天孫邇邇芸命と結婚してその子を産む、見目麗しい女性として描かれている。
ただ、桜の花は満開になればやがて散る。
美人薄命という言葉があるように、この神はまさに美しさと同時に花の命のはかなさも象徴している。
これを表しているのが天孫の寿命の神話だ。
詳細についてはそちらを参照していただきたい。
それにしても、現代においてこの話のように美女と醜女(シコメ)との対比をあからさまに描けば、すぐさまどこぞの婦人団体やらが騒ぎ出すに決まっているが、ふられた石長姫神のほうはそれを恨んで呪いの言葉を吐くような女であるのだから、容姿に限らず、邇邇芸命の選択は正しかったようにも思える。
それはともかく、この話のテーマは「花の寿命は短い」「石の寿命は長い」という、有限と無限の対比によって死の起源を語るものである。
そのテーマに沿って考えてみると、この神の本来の名は「古事記」上巻の素盞鳴尊の系譜に見られる「木花知流比売命」という方がイメージ的にもぴったりくる。
「サクヤ」という名は、実は神話の編者が「天孫の繁栄」ということに配慮し、「散る」というマイナスイメージを嫌ってつけたものと考えられている。
ところで、俗に女房のことを「山の神」という。
女性が強くなった最近では、怖いのが当たり前になったためかあまり使われていないようだが、俗信では「山の神」は女性が山の聖域に入ると怒り狂って災いをもたらす、と恐れられてきた。
さて、この「山の神」の原像なのだが、山の女性神となるとだいぶ限られてくる。
邇邇芸命に追い返されたあとに妹を呪詛したという話から察するに、これは石長姫神のことではないかというのが通説である。
さて、ここまででは、木花咲耶姫命の美しくもはかない女性としての一面が強調されてきたが、実はその内には強靱な”母性的なパワー”が秘められている。
これも天孫の寿命で述べたのであるが、木花咲耶姫命が炎の中で出産する話である。
ここで木花咲耶姫命の中に見えるのは、不死身のパワーとその意志の強さである。
また、この神話から木花咲耶姫命は安産の神として信仰されるようになり、子安神とも呼ばれている。
古来、日本では出産を控えた女性が安産を願う信仰が広く行われていた。
そうした民俗的な信仰が、木花咲耶姫命のイメージに重ねられたものだともいわれる。
なお、この神は日本を象徴する富士山の神霊であることもよく知られている。
その理由については明らかではないが、推測すれば、ひとつには山の神の総元締である大山祗神の娘であること、それと、富士山を火を噴く神聖な山として崇める古くからの信仰があったことなどもあげられるであろう。
そうした信仰と火中で子供を出産するこの神のイメージが結びつけられ、富士山の神として祀られるようになったという理由が考えられる。
木花咲耶姫命は、父神大山祗神と共に酒造の神としても信仰されている。
その理由は、前述の出産神話にちなんだものである。
「日本書紀」一書によると、木花咲耶姫命が天孫邇邇芸命の子を出産後、卜占によって稲田を選び、その他で収穫した神聖な米で父の大山祗神が芳醇な酒を醸造し、3人の子の誕生を祝ったとされている。
そうしたことから、大山祗神を酒解神(サケトケノカミ)、木花咲耶姫命を酒解子神と呼び、酒の守護神として信仰されるようになったのである。
山は清らかな水の源であり、さらに天孫邇邇芸命(穀霊)の子供を産むことはいい米を作ることに他ならない。
そんなイメージが酒造りの信仰につながったようである。