吉備津彦命といえば、すぐに連想されるのが鬼退治で有名な桃太郎である。
なんで桃太郎と結びつくのかといえば、そもそもは岡山市の吉備津神社の祭神であるこの神の伝説にちなんでいる。
その昔、異国からやってきた鬼が吉備国に住み着いた。
温羅(ウラ)と呼ばれるその鬼は、もとは百済の王子だったという。
巨躯、赤髪の異様な姿で性格はきわめて凶暴。
いまの吉備津神社から西北へ10キロほどのところの片岡山に作った「鬼の城」を拠点に、暴虐の限りを尽くして人々を恐怖のどん底に陥れていた。
そのため朝廷から派遣されたのが吉備津彦命である。
現在の吉備津神社付近の「吉備の中山」に陣を張った吉備津彦命は、激しい戦いの末についに鬼を退治した。
これがいわゆる「温羅伝説」といわれるものである。
岡山は桃太郎の鬼退治の物語発祥の地といわれているが、その元になっているのがこの伝説である。
さらにそれに黍団子=吉備団子という発音の共通性、そして岡山特産の桃といった要素が加わり、吉備津彦命は桃太郎伝説の主人公と考えられるようになった。
全国に桃太郎の誕生の地や鬼退治の伝承の残る地はいくつかあるが、その中でも有名なのが岡山である。
桃太郎というおとぎ話の主人公が、実際に神さまとして祀られているというだけでも、なんだか楽しい感じがする。
ちなみに、吉備津彦神社といえば、有名なのが釜鳴神事(カマナリシンジ)がある。
この釜を鳴らすのが吉備津彦命が退治した鬼の温羅であるという。
吉備津彦命は降伏してきた温羅の首をはねたが、それでも不気味なうなり声を発し続け、地中深く埋めても咆哮はやまなかった。
そこでその上に御釜殿を設けて祀るとようやく静まり、釜を鳴らして吉凶を占う霊となったという。
桃太郎との結びつきでなんとなく親近感のある吉備津彦命であるが、記紀神話では中央から地方に派遣された英雄として登場する。
第十代崇神天皇の頃、四道将軍のひとりとして山陽道の吉備国に派遣され、この地を統治する任にあたった。
以後、その子孫がこの地方に繁栄し、吉備臣となって勢力を振るったということである。
吉備津神社の社伝によると、吉備国を平定した吉備津彦命は、吉備の中山の麓に建てた御殿「茅葺宮」に住んで政治を行い、281歳まで生きたという。
吉備津彦命の信仰の中心に延命長寿の神徳があるのは、この異常な長寿の伝説にちなんだものだ。
現在も、吉備津神社の背後にある吉備の中山の中腹に、吉備津彦命の墓と伝わる墓陵がある。
吉備津彦命に関しては、謎とされる部分も多い。
そもそも吉備津彦命は、中央から派遣された英雄である。
力のある神がわざわざ中央から送り込まれるということは、もともとその地方に強力な神、まつろわぬ人々の信仰する地主神がいたということをうかがわせる。
つまり、もともといた神と新来の神との関係が複雑な要素になっているのだ。
吉備津彦命が退治した温羅もそうした神のひとつだといっていい。
特に、本来が敵である温羅が、吉備津神社に祀られていることも理由は定かではない。
倒した敵の霊を鎮め、逆に守護神として祀るということはよくあるパターンであるが、それだけ温羅と呼ばれる鬼の霊は強力な存在(敵)だったということである。
温羅の正体についても、古く吉備に発達した鉄器の生産に関わる渡来系民族だったのではないか、といった論議がなされるところである。