賀茂別雷神は、雷神である。
雷は「神鳴り」のことで、この神の名前につけられている「別雷」とは「若雷」を意味している。
つまり若いエネルギーを備えた「神鳴り」ということになる。
古来から雷神は龍神としてもイメージされてきたように、雷は降雨をもたらす力を持つ。
そういう若々しいエネルギーを秘めた雷神は、大切な作物をすくすくと成長させる霊力を発揮する存在なのだ。
そもそも、この神の出生からして水と深く関係している。
水源である山の神の大山咋神と、流れ下る川の水の神を祀る巫女、玉依姫との結婚によって生まれた神なのである。
当然その基本的な性格として水の神としての神格を備えている。
また、この神は成人すると、屋根を突き破って天に昇ったという。
これなどは雷の放電現象の神秘性と驚異をイメージさせるものである。
賀茂別雷神と同じような雷神としての性格を持つ神は、日本の各地に祀られている。
そうした雷神は、ほとんどが雨をもたらして作物を無事に生育させる水の神としての神威を発揮する。
賀茂祭の起源を記した「山城国風土記」逸文によれば、舒明天皇(539〜572)の時代のこと、天候不順に災いされて作物の生育が悪く、農民の憂い激しいことを心配した天皇が神官に占わせたところ、賀茂大神の祟りであることが分かった。
そこで、ただちに賀茂大神の祭祀を行った結果、晴雨のリズムは回復して無事に五穀が実り豊作となった。
それ以来、賀茂大神は祈雨止雨、河川、治水神、さらに農業、産業の守護神としての崇敬を集めるようになったという。
賀茂別雷神が、特にその神威を高めることになったのは、桓武天皇の平安遷都以後のことで、新たに作られた平安京の守り神とされたことによる。
それぞれの土地には、そこを古くから支配してきた神霊がいる。
新しい都が作られるときには、土地の古い神に対してそれなりに敬意を払わなければならないわけである。
賀茂別雷神が祀られる賀茂社は、もともとは葛野地方(京都全域)の産土神であった。
そのため、平安遷都にあたって、そうした産土神に都の安全を保障してもらおうということで、鎮護神として祀るようになったのである。
そうした朝廷による祭祀の様子を今にとどめているのが、毎年5月に行われている葵祭である。
ところで、賀茂別雷神は雷神であるわけだが、その意味では、怨霊となった菅原道真ともかなり関係があるといえる。
というのも、賀茂別雷神の父で丹塗矢に化身した神とは、「山城国風土記」には京都府長岡京市の乙訓神社の祭神となっている火之雷神(ホノイカヅチノカミ)だとされている。
火之雷神と結びつくことによって菅原道真は、朝廷をはじめとする京都の住民を震撼させる驚異的なエネルギーを得たのである。
そういう火之雷神の系統にあるあることが、皇都の守護神として崇敬されることに結びつき、いま悪霊を防ぐ厄除け、開運の神として信仰されることになった所以であるともいえよう。
また、賀茂別雷神の母方の祖父である賀茂建角身命は、神武天皇東征の折に八咫烏へと化身して東征を成功に導いた神である。
この二神は、賀茂別雷神は上賀茂神社、賀茂建角身命は下鴨神社にと分けて祀られており、この両神社の共通の祭事として有名なのが京都三大祭のひとつ葵祭(5月15日の賀茂祭の別称)である。
牛車を中心に平安朝の宮廷の装束をつけた行列が、京都の通りを練り歩く光景は、豪華絢爛たる時代絵巻だ。
古く「源氏物語」などにも描かれている華麗な祭りは、賀茂別雷神が王城鎮護の神として朝廷から厚く崇敬された時代の威勢を物語るものである。