蛭子神は、古くは海の神として豊漁や航海安全、交易などに霊験ありとされていた。
のちに市場の神としての信仰が発展して商売繁盛の福神として大衆的な信仰を集めるようになり、それが農業の神にも拡大。
今日では商工農業などあらゆる産業繁栄の守護神とされている。
島国の日本では、新しい文化は海の彼方からやってきた。
宗教的にいえば、「文化」は「神」と置き換えることができる。
日本では古来、神々は海の彼方から岸辺にやってきた。
そういう神を一般に来訪神という。
海辺に暮らし、海を生業の場とする人々にとっての海の恵み、あるいは海からの漂着物は、神の贈り物だった。
そしてまた、神自身が岸辺に寄り来ることもあった。
そうした神は「エビス神」と呼ばれ、人々はその神を幸福をもたらす尊い守護神と思い、この神の定住を促すために大事に祀るようになった。
日本各地にはそうした由来を持つ神社が数多くある。
蛭子神が祀られている神社もまた、そんな海からの来訪神の伝承をその起源にもっている。
その中でも代表的なものが、蛭子神を主神とし、福の神エビス信仰の総本社である兵庫県西宮市の西宮神宮の伝説も、海から流れ着いた蛭子神を海神として祀ったのを起源としている。
記紀神話によると、蛭子神は伊邪那岐命、伊邪那美命夫婦がまだ混沌としていた地上に降り立って日本列島の島々の神を生もうとしたとき、最初に生まれた子であったという。
しかし、水蛭子(ヒルコ)と呼ばれたその子供は成育が悪く、3才になっても足が立たなかった。
そのために両神は、葦船に乗せて蛭子神を海に流した。
このあたりの事情は国生みを御覧いただきたい。
神話では蛭子神のその後の運命は語られていないが、海の彼方の常世の国に渡ったのかもしれない。
その点について西宮神社の伝説は、海に流された蛭子神は海を漂ったのち摂津国西浦(兵庫県西宮)の海岸に漂着。
土地の人々は拾った蛭子神を大事に養い育て夷三郎(エビスサブロウ)と呼び、そののち夷三郎大明神、戎大神として祀られるようになった、と伝えている。
このような形でエビス神は海の神として信仰されるようになり、豊漁や航海の安全、交易の守護神としてその霊験を発揮するようになったのである。
蛭子神はエビス神とも呼ばれ、一般には「えびっさん」として親しまれている。
エビス神というのは、七福神の中で恵比寿、大黒と並び称されるように、商売を繁盛させて富と幸福をもたらすと信じられている福神である。
もともとは漁業関係者の信仰が中心的であった蛭子神が、いつから福神の性格を備えるようになったのかというと、それは商業の発達する室町時代のことである。
商業が盛んになると物や人が集まる市場が形成され、そこには神霊が宿ることになる。
一般に市神というとき、土地の神さまや稲荷神をはじめさまざまな神がいるが、そもそも海産物の恵みを司る蛭子神もそうした市場の守護神の仲間に加わり、次第に商都大阪の商人たちの間で商売繁盛の神として崇敬されるようになったのである。
とくに、西宮神社の蛭子神が福神として広まった理由として、当社に所属する人形操りを特技とする傀儡師(クグツシ)集団の存在が大きいといわれている。
百太夫という者を始祖とするこの傀儡師の集団は、芝居や演劇の一座と同じように各地を巡り歩いていたといい、その出し物としてエビス神の神徳や縁起をテーマにして、「夷かき」「夷まわし」と呼ばれる演芸を見せて人々を楽しませた。
そうやって生活する傍らで、エビス神の神徳を大いに宣伝したのである。
その結果、都市では商工業繁栄の、農村では農業守護の福神となり、今日のような庶民的な信仰が全国に広がったといわれている。
この蛭子神に関して、なぜエビス神と一緒にされるのか、あるいはまた七福神のエビス神になるのはなぜかといった謎がいろいろとあるが、これについては民間信仰や仏教との習合など、さまざまな要素が絡み合っていて、はっきりとはしていない。
そういう意味で、非常に複雑かつおもしろい神さまといえるだろう。
この神に関して、なんとなく庶民的な感覚を覚えるのにはそういった理由もあるのかもしれない。
とにかく、豊漁豊作、商売繁盛の霊験がある非常に便利な神さまであるということははっきりと言える。