熱田大神
アツタノオオカミ
別称:熱田大明神性別:?系譜:三種の神器の1つ草薙剣の神霊神格:剣神、戦神神社:熱田神宮、桜山八幡宮
 熱田大神は、三種の神器のひとつである草薙剣を祀る熱田神宮の祭神である。 草薙剣についてはその項を参照していただくとする。 しかし神話研究では、本来三種の神器の宝剣と熱田の御神体とは別々のもので、あとから日本武尊の伝承が付け加えられて混同されるようになったとも考えられている。

 草薙剣が熱田大神として祀られるようになった経緯は、「古事記」に次のように記されている。 日本武尊は父、景行天皇の命を受けて東国討伐に出かけることになり、その前に伊勢神宮に参拝した。 そこで斎王となっていた叔母の倭姫(ヤマトヒメ)から授かったのが草薙剣だった。 やがて無事東国を平定して尾張国まで戻ってきた日本武尊は、そこで尾張国造の娘、宮簀姫(ミヤズヒメ)と結婚した。 その後、姫に大事な護身の剣を預けて伊吹山の邪神を退治に出かけるが、逆に邪神の毒気に当たって病気になり、無念の死を迎えてしまった。 それを悲しんだ宮簀姫は、尾張一族の祭場だった熱田の地に社を建て神剣を祀ったという。
 さて、このことに関して、「尾張国風土記」逸文には、次のように記されている。 日本武尊が宮簀姫と結婚し、その館に泊まった夜、草薙剣が不思議な輝きを放っているのを見る。 それで剣の神気を感じた尊は、姫に対して「この剣を大切に祀って私の御影としなさい。」と言った。 その言葉に従って、姫は尊の亡き後社を建ててこの剣を祀ったのだという。
 この逸文の中心的なテーマは日の御子と熱田神宮を代々奉祀した尾張氏の祖である宮簀姫との神婚だ。 神婚というのは、神とそれに奉仕する巫女との結婚であるから、宮簀姫というのは尾張一族が奉斎した太陽神に仕える巫女だったと考えられる。 ということは、熱田の地でもともと祀られていたのは、伊勢と並ぶ有力な太陽神だったのである。
 また、この太陽神と草薙剣については、尾張国と皇室との結びつきを表すともいえる。 皇室の支配を象徴する草薙剣と尾張の太陽神の結合、神格化は、尾張の有力な地方神が大和朝廷を支える重要な神となったことを指す。 以来、皇室に重く崇敬されることになり、熱田大神は伊勢神宮に次ぐ由緒を持つことに至ったのである。 熱田大神が草薙剣を御霊代とする天照大神であるという説があるのも、この神が持つ太陽神としての性格の故である。

 太陽神というのは、本来農業の神であるわけだが、剣の神というのは戦神である。 熱田大神はその両方の性格を兼ね備えているわけだが、今日、一般に信仰されている神様としての機能は、戦神日本武尊の性格を反映した部分だけのようである。