鋤という文字からも連想されるとおり、阿遅鋤高日子根神は農業の神である。
あの大国主命を父に持つという点から見ても、それは間違いあるまい。
また、穀霊の天若日子神と非常に親しい友人であったという点も見逃せない。
天若日子神が死んだときに、わざわざ天上から地上に弔問に訪れるほどであったという。
そのときに死者と間違われて非常に怒ったという話が残っている。
その話は天若日子神を参照していただくとして、重要なのはこの2人が非常によく似ているという点だ。
なにしろ実の父や妻でさえも見間違えるというのだから相当だ。
神話において、姿形の似ている神というのは、その神としての性質もよく似ていることが非常に多い。
この2神の場合は、生者が死者と間違われるという点で、本質的な同一神であることを示す象徴性が感じられる。
つまり、この2神はいずれも穀霊だということである。
そこから、この話は一般に穀物の死と再生という農民の信仰がもとになったものと考えられている。
また、この話の中で生者の立場をとる阿遅鋤高日子根神は、春に芽を出してすくすくと育つ生命力を象徴していると言えるだろう。
古代において、鋤という道具は、単なる道具である以上に田の神を祀るときの呪具としても用いられた。
阿遅鋤高日子根神の字を見ても分かるとおり、もともとはこの鋤を御神体とする農業神として祀られたものであろう。
さらに、「日本霊異記」の道場法師のエピソードに興味深いものがある。
昔、農夫が畑で鋤柄の金杖を持って立っていると、突然雷雨が襲ってきて彼の前に落雷した。
そのあとを見ると頭に蛇を巻き付けた奇妙な姿をした子供が立っていた。
その子供は、後に元興寺の童子となり、出家して道場法師と名乗った。
そして、元興寺の田が渇水に悩まされていたときに鋤柄の杖を水門の口におき、たちまち田に水を引き入れたという。
この話は、鋤が神霊の依り代と考えられていたことを如実に物語っており、この鋤に宿る神霊は雷神(=水の神)である。
道場法師の出現とその霊力の発揮は、農耕を助ける鋤と雷神の霊力を結びつけたものといえる。
このような文献が残っているくらいだから、鋤と雷の密接な関係は農民の間でもかなり一般的な信仰としてあったのだろう。
阿遅鋤高日子根神は本来は穀霊であるが、この穀霊がすくすくと成長するためには雷(水の神)との密接な結びつきは欠かせないものである。
稲の無事な成長を願う農民は鋤と雷が通じ合うことを切実に願った。
そういった信仰から、次第に阿遅鋤高日子根神は雷神を呼ぶ神、ひいては雷神と同様の霊力を発揮する農業神として信仰されるようになったのであろう。