藐姑射秘言
 
この「はこやのひめごと」は旧仮名遣いのまま、意味の取りにくいところにカッコで意味を入れ、その意味はときに意訳もしています。ただ、原文が擬古文体で書かれているため、意味が取りにくかったり、判読できない漢字等もあり、かつあたしは専門家でもないので少なからず間違いがあるやもしれません。それらをねぶっても、ほぼ7〜8割は意味が取れるようにしたつもりです。

原文はそのほとんどが平仮名なので適宜、漢字をあてはめました。

初編は、上代から平安あたりに時代設定されています。ただ、遊女の手管を描く第7話は江戸時代のこととしか思えませんが。

後編はそのはしがきにもありますが、故事や伝説などに基き、こんなことがあったのではと伝えられていたり、想像した後日談、伝承譚です。


藐姑射秘言 初編

藐姑射秘言 後編


「はこや」後編の全話は、伝説や巷談などを踏まえた話なので、それらを知らないと理解や面白味が半減します。そこで知りうるかぎりのことをメモしておきます。(99/09/04)

第一話 女帝に寵愛された道鏡の新手枕の話
これの説明は不要だと思います。史実として、孝謙天皇が恵美押勝や道鏡と懇ろになったのかは定かではありませんが、道鏡は重んじられて出世します。それも異例の出世なので、きっと持ち物がよかったに違いないとされ、並のものを20本ばかりも集めたほどという道鏡・巨根説が言い伝えられました。この時代、道鏡・巨根説は広く知られていて、別ページの源内「褥合戦」をはじめ、このことを詠んだ川柳も多く残っています。

第二話 高師直が兼好に頼んで人妻に横恋慕する話
足利時代初期の武将で尊氏の参謀格だった高師直は有名な色好み。塩冶判官(えんやはんがん)高貞の妻に横恋慕し、兼好に恋文を代筆させたという噂があります。第二話に出てくる「正身」とはこの人妻のことなのでしょう。すると、最後に登場する「主」は塩冶判官と推測されます。話は夢落ちで終わりますが、史実では続きがあり、それが原因でか、塩冶判官は自殺してしまいます。

第三話 在五中将を誘う白髪おばばの話
在五中将は当時、随一の色男なので、言い寄る女が少なくありません。白髪のおばばもその一人。伊勢物語の中で在五中将に「百年(ももとせ)に一年(ひととせ)足らぬつくも髪……」という歌を詠んでもらったことをありがたく思い、在五中将をたばかって懇ろになるのがこの話の筋です。つくも髪は漢字で九十九髪、おばばの白髪のことです。どうでもいいことですが、附喪神(つくもがみ)というのは妖怪のことです。

第四話 天下国母と判官義経の一夜の情事
源範頼と弟義経に京から追われ西国へと逃げた平氏一門は、最期のときを迎え、次々と船から海へ身投げし、壇ノ浦の藻屑となっていきます。が、助けられた者もいました。その一人が建礼門院。平清盛の娘で安徳天皇の実母です。この建礼門院と義経の一夜の情事は、史実にはありませんが、別ページ「壇ノ浦夜合戦」にもあるように、これまた巷説ではよく知られた噂でした。

第五話 将軍川辺臣が命惜しさに妻を差し出す話
川辺臣なる人物が新羅に囚われたという話は知りません。欽明王朝時代、百済に請われて援軍を派遣したという話は、日本書紀に出てくるそうです。

第六話 平中のたばかりに本院侍従が褥を濡らす話
平中と呼ばれた兵衛佐貞文はこれまた天下の色好み。なびかぬ女はいませんでしたが、ただ一人、本院侍従だけは振り向こうともしません。平中は、樋洗が持ってきた本院侍従の筥の物を奪い取り、黒棒を食い、水を舐めるほど、恋に恋い焦がれていました。本話の半分を占めるここまでの話は今昔物語に出ています。絵を上手に描いたという下りからが作者の創作です。

第七話 常盤が平清盛と懇ろになり子どもを助ける話
武士が台頭してきた平安末期、棟梁と呼ばれた源氏と平氏はその二大勢力であり、宿命のライバルのような存在。それに決着をつけたのが平清盛。宿敵・源義朝を破り、唯一の天下人となります。しかし、その遺児たちの敵討ちを恐れなかったわけではありません。義朝の妾で1000人に1人の美女と言われた常盤御前には、今若、乙若、牛若という3人の男児がありましたが、早いうちに手にかけてしまわなければ、いずれ自分や一族がやられてしまいます。本話はそのことを知っている常盤が、どのようにして子どもを助けたかという話です。諸国に散っていた源氏の一族が平氏打倒の挙兵したのは、これから約20年後のことでした。

第八話 静の閨に梶原景時が夜這い違いをする話
平氏の直系を壇ノ浦で天皇もろとも滅亡させた判官・源義経は、兄・頼朝を打つ命令を朝廷から受け取ります。一方、頼朝は逆に義経を打つ命令を取り付け、義経は出奔します。頼朝は義経を捜すべく、その愛妾だった白拍子・静御前なら行方を知っているに違いないと鎌倉に連行。「しづやしづ しづの苧環……」と謳いながら静が舞う下りは、義経記あたりに出ていたはずです。史実ではその後、義経は平泉の奥州藤原氏のもとに身を寄せていたことが判明。一方、静は義経の子どもを生みますが、男児だったため、由比ヶ浜に沈められ、義経は平泉で自害。それからの静の消息は知られていません。

第九話 鼻もたげの僧都の閨事に新発意が皮つるみをする話
鼻もたげの僧都の話は、禅珍僧都という名で今昔物語に出てきます。鼻もたげの木というのをこしらえ、稚児に持たせて鼻を持ち上げてもらい、食事中にその道具が外れ、椀の中に鼻を落とすところまでが今昔物語の話です。また、芋頭を好んで食べた盛親という僧は徒然草に登場します。それにしても僧都と稚児の睦言を新発意が皮つるみのネタにし、稚児をとらえたら女だったという話は、構成にちょっと無理がある気もします。

第十話 筑波山のかがい
かがいについては最後に入れた注をご覧ください。こんなことが上代には実際に行なわれていたんですねえ。憶測ですが、春のかがいは新芽がふく季節なので新しい生命の誕生を祝ったものなのでしょう、また秋は収穫祭のようなものなんでしょうね。


上の文書は原文にはない句読点をつけ、適当と思われる漢字をあてたものですが、句読点の位置を変えると意味が異なる箇所も少なくありません。読んでて何か違うんじゃないかなと思われることもあるでしょう。そこで旧仮名遣いの原文をつけました。翻刻は、たとえば変体仮名は原仮名遣いにするなど、一般的なやり方に従っています。また原文どおりに、次の話に移るときに1行、歌や手紙などの前後を3文字開けました。(99/10/17)


藐姑射秘言 初編原文

藐姑射秘言 後編原文




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