スチュワーデスになりました

     こだわった事は一つだけ − 2007年3月19

 

当時のルフトハンザの試験は今とはかなり違っていて

面接が5回と筆記試験が一度ありました。

初めから最終面接まで面接官が34人×受験者1人の個人面接で、

それぞれ1時間ほど、長い時にはそれ以上の面接が5回あり、

期間も応募から内定が出るまで半年以上掛かりました。

 

以前のアメリカの航空会社の時もそうでしたが、

このルフトハンザの時にも面接を受けながら

「面接官は頭が良い人達なのだなぁ。」とつくづく考えていました。

(当たり前!)

なぜって・・・・・・

面接官はとりあえず誰にでも似たような質問から切り出すのかも知れませんが、

返ってくる答えは受験者によって千差万別かもしれない。

それなのに私が答えを言い終わるか終わらない内に、

(私のような全てアドリブの会話に対して)

何とも的確なつっこみ質問がスマッシュで飛んでくるのです。

「頭の回転が早い!」と感服しました。

これでもかこれでもかと、しばらく突っ込み合いの会話が続き

結局ニコッと笑ってオチがつくと、はい、また次の話題・・・の繰り返し。

でもそのやりとりのスピード感が面白くもありました。

しかし、私といえばこの時も相変わらず以前と同じようにLufthansaに関して

何の予備知識もないまま受験していたので、Lufthansa の事を聞かれても

知らない事だらけでした。 が、なんとか切り抜けたようです。

受験者3000人、合格者8人だったと後から聞きました。

そして私は8人の方に入りました。

とは言え、私はもしも全くの他職種を受験していたとしたら

みごとに沢山のSorry Letter を受け取っていたのかもしれませんね。

ま、(私にとって)運よく航空会社は私を拾ってくれたのです。

 

ところで、私という人間はまずどんな場合も緊張してアガルということはありません。

緊張して頭が真っ白になったなどという経験も未だかつて一度もありません。

いつも地のまま。

場合によりここぞと言う時には気を引き締めて程よい緊張感を保つ事はあります。

・・・・・いつもよりちょっとは頭が働いてほしいので。

楽天家なのかも知れませんね。

その私が、人生で二度だけ受験した二つの航空会社の合計8回の面接で

こだわった事は一つだけ。

それは8回とも全て違う服装で面接を受けた、という事です。

人に会う折に、特にビジネスの場において、

当然知識や中身は最も大切な部分ですが、人に見られる職業となれば、

同時に外面の印象もとても大切な部分だと思っていました。

私には同じ服装で何度も面接を受けるなんて考えられないことでした。

そこまで考える必要はなかったのかも知れませんが。

本当はこだわったというより単なる日頃からの趣味の延長にすぎなかったかも知れません。

そんなわけでこれで当面の私の身の振り方は決まりました。

 

ちなみに、一緒にアメリカ行きを企てていた友人はその後

一人でアメリカに行ってしまいました。

そして私はトレーニングの為にドイツへと旅立ったのです。

(完)

 

 

意外な事 − 2007313

航空会社受験二社目、その航空会社は Lufthansa ドイツ航空です。

実は、前の会社を辞める時になぜか人事部長から

「もしまた航空会社を受けるなら連絡するように。」と

言われた事を思い出しました。

どういう意味なのか全く解からず「Yes.」とだけ答えておきました。

何かの理由で連絡しなければいけない事なのかと思っていたのです。

電話をすると会社に直ぐ来るように言われました。

次の日に数ヶ月ぶりに遊びがてら懐かしい会社に行ってみました。

若い人たちはもう辞めてしまった人もいましたが、

比較的古い人たちはまだ会社に残っていて懐かしい再開でした。

面接官だったおじ様達、パーサーH氏等々。

そしてパーサーH氏と一緒に人事部長を訪ねて行くと、

「Lufthansaを受けるのだね。」と念を押され

「では、応募書類にこれを同封しなさい。」と言って一枚の手紙を手渡されました。

Lufthansa German Airlines宛ての英文のRecommendation Letter(推薦状)でした。

「君に会社を辞めてもらったのは本当に残念だったけれど、

一番下だったので順番で仕方がなかった。

Lufthansaとは何の関連もないし、推薦状があるからといって合格する訳ではないけれど

何かの役に立つといいな。Lufthansaがだめだったらまたいらっしゃい。」

と優しい言葉で励まされました。

特別にここまでしてもらったらLufthansa受けるしかないじゃない。

     (続く)

 

で、どうする。 − 200735

その後もちろん私達はフライトにも馴れてあっという間に

きちんと一人前のスチュワーデスになりましたよ。

Kさんは空港のすぐ近くに引っ越してきて一人住まいを始めたので

よく泊りがけで遊びに行ったりもしたものでした。

Kさんだけでなく、フライトの度に一緒に飛んだ同僚達とも

みんな仲良くなり公私共に良い仲間になりました。

当然フライト自体も飛ぶ度に新しい発見、面白い経験を重ね楽しい毎日でした。

ところが飛び始めて一年程経った頃、私達は会社の事情でリストラに・・・・・なりました。

新しい人たちから順にまとめてリストラです。

これは本当に想定外の事でしたが結構アッケラカンと受け止めました。

一年余り前に入社手続きをしたと思ったらもう退社手続き!

あわただしいことです。

退職後は通訳をしていて、それなりに充実していたのですが

一方で、一緒に退職した友人と二人でアメリカに行く計画もありました。

一年間有効のアメリカ往復のオープンチケットも既に買って

二人で地図などを広げては予定や計画を話し合って楽しんでいました。

彼女はとても積極的でしたが、なぜか私にとっては

いまさらアメリカに行く目的がはっきりと見出せずゆるゆると考えている日々でした。

 

ところでフライトアテンダントという仕事は不思議な仕事です。

「何が何でもフライトアテンダント」と思ってなった仕事ではないのに

やめてみるととても懐かしく思いました。

そのころは空を飛んでいる飛行機を見るたびに、「今頃機内はこんな感じなのだろうな。

フライトアテンダントはこんな事をしているのだろうな。」

なんて事がいつも頭に浮かんできて楽しかったフライト生活を思い出していました。

そんな日々のある日また偶然に新聞の求人欄で

航空会社のスチュワーデス募集記事を見てしまいました。

家で購読していた新聞にたまたま出ていたのです。

「もう一度受けてみようかな。」とちょっと心が動きました。

(続く)

 

初フライト − 2007226

実は同期のKさんも屈託がなく、かなり楽しく面白キャラの人なのです。

私達の初フライトはそんなKさんが「主役」の様な日でした。

 

パーサーは一番上位の男性パーサーH氏(真面目な男性です)です。

お客さんは全員アメリカ人です。

離陸後サービスの始めに、まずトレイで飲み物を配りましょうということになり、

パーサーH氏がKさんをご指名です。

Kさんは飲み物の入ったグラスをトレイに積み、ゆっくり客室に初お出ましです。

そして客室の前から後ろに向かってそろりそろーり、

かなりおぼつかない足取りで飲み物を配り始めました。

誰がどう見てもこれぞ正に「The 新人!」。

通路の中程まで進んだ頃、無常にも飛行機がホンの少し揺れだしたのです。

すると、Kさんはお客さんの座席の背もたれにつかまって動けなくなってしまいました。

通路の真ん中でずうっと固まったまま、予期せぬ状況に苦笑いしています。

というより自分で自分の事を笑っちゃっていました。

キャビンの真ん中で余りに素直に新人振りを発揮しているKさんを

周りのお客さんが笑顔で励ましていました。

(お客さんもちょっと喜んでいたみたい。。。Kさん、ゴメンネ。)

それを後ろで見ていたパーサーと私は大笑いでした。

他のクルーは笑いながらも、さすがにいつでもKさんを助けに行けるように

片足を前に出してヨーイドンの姿勢で構えていました。

でもKさんえらい!

「ダルマさんがころんだ」風に、鬼が後ろを向いている間に

チョコチョコと時々小幅に2〜3歩前に進むように、

時間をかけて、一生懸命頑張って、飲み物もこぼさず、

ついに後ろまで一人で笑顔で戻ってこられたのです。

何とか生還したKさんにパーサーH氏は

「よくやった!」とほめていました・・・・・ため息をつきながら。

 

一通りのサービスも ナ ン ト カ 終わり、飛行機が目的地に向け下降を始めると、

Kさんが今度は気圧の関係で耳が痛いと言い出したのです。

パーサーH氏はそれ以降ずうっとKさんの隣に座り、付きっ切りで、

あの方法この方法と耳抜き(空気抜き)のアドバイスをしていました。

本当に親切なのです。

パーサーの血のにじむようなアドバイスの甲斐も無く、

Kさんは耳抜きできないまま、「まだだめです。」とか言いながらも

何とか無事に到着しました。

地上に降りて、しばらくしてからKさんは突然に

「あっ、耳がちゃんと聞こえるようになったわ!」

と言って喜んでいました。めでたし、めでたし。

 

初フライトって、どんなことが起こるのか先が読めない上に

ハラハラドキドキ神経を使い、かなり気を使うものなのです。

初フライトって大変なのです。

パーサーにとって。             

(続く)

 

トレーニング(訓練) − 2007219

改めて入社初日。

オフィスに行くと初めて会う若い女性を紹介されました。

後からもう一人スチュワーデスが必要になったので急遽もう一人採用したそうです。

Kさんという人です。 同期の仲間ができました。

同時に会社の人達にも紹介されました。

そこで初めて解ったのですが、

面接時にいつも真ん中に座っていたあの面接官はチーフの機長でした。

この会社ではパイロット、フライトアテンダントを含む飛行機という現場での全てのトップの人でした。

そして面接の待合室でエスコートしてくれていたユニフォームの女性は

女性のフライトアテンダントのトップの人でした。

(他にもちろん男性のフライトアテンダントも多数います。)

次の日から本当にトレーニングの始まりです。

まず、トレーニング最初の日にスーツケース一杯にもなろうかという程の

マニュアルをまとめてドサッと渡されました。 重かった。

帰宅してマニュアルをパラパラと見ると内容は当然私の全く知らないことばかりでした。

でも知らない事を教えてもらえると思うととても楽しみでした。

面接も全て英語でしたが、トレーニングもマニュアルももちろん全て英語です。

まるでお給料をもらいながら留学させてもらうようなものではありませんか。

私は改めて「航空会社ってなんて良いところなのだ!」と本当に思いました。

 

二ヶ月近い訓練はあの面接官だったチーフの機長を中心に行われ、

その大半は緊急時の為のものでした。

そのために飛行機の中には実に理にかなった数多くの設備や装備品が有り、

そのどれをとっても私にとっては新しい知識であり興味は尽きなく、とてもおもしろい勉強でした。

様々な緊急時を想定して勉強したり、実施訓練有り多岐に渡っています。

また水上不時着の訓練は訓練センター内の大きな室内プールで行われました。

救命胴衣を着用したり救命ボートを膨らませたりしてそれぞれの使い方、

避難の仕方等をかなり細かく教わります。

いつも訓練は難なくスムースに終わってしまい、時間が余り気味でした。

すると、「残った時間はプールで好きなだけ泳いでいっていいですよ。」

と言われて、Kさんと私はよく大きなプールを二人だけの貸し切状態で

あきるほど泳いでから帰ったりしたものでした。(楽しかった。)

大きなプールでたった二人だけで思う存分おもいっきり泳げるなんて

普段は余り経験できません。

通常、トレーニングは毎日朝から夕方までありましたが、

Kさんも私も何の問題も無くどんどん予定をこなして行ったので、

時々急に予定を変更して「今日の授業は午前中でおしまい。」なんてことも何度かありました。

決していいかげんに訓練をしていたわけではありませんよ。

そんな時にはよくKさんと遊び遊び帰ったものです。

このトレーニング期間は本当に有意義で楽しい日々で、

もっとずっといろいろな勉強をしていたいと思った程です。

これも同期のKさん初めアメリカ人のインストラクター達すべての人達が

とてもユーモアにあふれ元気で親切な人たちばかりだったお陰ですね。

 

本当に楽しくこの訓練も終わり、次はOJTを兼ねた初フライトです。

初フライトもまたKさんと一緒でした。

(続く)

         

 

初めての・・・・・(6 − 2007213

何と一次面接は合格だったようです。

何回面接があるのかも何も知らなかった私ですが、

その後更に二度も呼ばれて結局三次面接までありました。

それぞれが一時間程度で、一部面接官の顔ぶれが変わったものの

毎回4−5人のアメリカ人の面接官と私一人でした。

一次面接の延長のような雰囲気で何やら楽しく話をしていて

時間は気付かぬうちに過ぎていった気がします。

ただ、最初の面接の時に待合室で一緒だった他の受験者達には

その後誰にも会うことはありませんでした。

そして、そして、くどいようですがクッキーもコーヒーもありませんでした。

更に後日、面接合格通知が届いたのです。

そして身体検査。

初めて募集記事を見た時から既にかなりの時が経ち季節もすっかり変わっていました。

そんなある日、学生時代の数人の友人から前後して同じような内容の電話が掛かってきました。

「結婚でもするの? あなたの事をいろいろ聞きに来た人がいるのよ。興信所?」

「??? 何のこと・・・・???」

後で解ったのですが、私の学校、友人知人、親の知人そして近所にまで

かなり広範囲に客観的な裏付け身辺調査があったそうです。

これは入社後人事の人から聞きました。

今だったらこんな事まではできないでしょう。

まあ、そんなことしている内に結局全て合格。

そして後日入社手続きの為に改めて会社に行ったのでした。

そこで初めて聞いたのは・・・・・合格者は一人だけ!つまり私です。

しかも応募者は7人ではなくて、1000人近くいたのだとか。

何も知らなくて、最初の面接で一緒だった7人が全応募者だなんて思っていたのは

私の全くの大いなる勘違いでした。

という事を人事の人に話したら、ここでもまた皆なに笑われたのでした。

知らないということも場合によっては良いことです。

さてこれからトレーニングが始まります。

私にとってはここまでも、これからもすべて始めての経験です。

(続く。)

 

初めての・・・・・(5 − 200725

面接がおもしろいと思った理由は幾つかあります。

一つには単に話がはずんで楽しかった事。

もう一つには正にインタビューだと思った事。

5人の面接官がこんなに一生懸命私一人を相手にいろいろな事をきいてくる。

アドリブだらけの私の話や考えをこんなに一生懸命聞いてくれる。

まるでトークショーのゲストみたいではないか。

ただ、話をしながら5人の面接官は私のすべてを観察しているのかな、

と、ふと考えたりもしていましたが。

そして、いろいろな話をした後で最後になんと

「では、部屋の端から端まで歩いて戻って来てください。」とのご要望。

(スチュワーデスってやっぱりそんなことまでチェックするの!)

と、これまた少々想定外。

ま、言われた通りにおじ様達に見られながら部屋の中を往復しました。

これで今日の面接は終わり。

時間にしてせいぜい3040分位だったはず。

ところが、席を立ってドアに向かおうとしている私の背中越しに、

真ん中の面接官からもう一つ最後の言葉が追いかけてきた。

「あ、そうそう、帰る前にクッキーを食べていきなさい。」(笑)

反射的に「Thank  you,  I  will !」 と振り向いて思わず一緒に笑ってしまった私でした。

あああ、笑いで始まり、笑いで終わった面接でした。

 

さて、待合室に戻ってテーブルの上を見ると、

あれっ、私のコーヒーとクッキーはきれいに片付けられてしまっている!

そして、私はあのユニフォーム姿の女性に「こちらからお帰り下さい。」と

エスコートされてあっという間に部屋の外に出てしまったのです。

(クッキー・・・ついに食べられなかった! まっいいか、楽しかったから。) 

ちなみに他の人達は誰もコーヒーも紅茶もクッキーも食べた形跡はありませんでした。

ウッ、一瞬でこんな事を観察している私って。

(続く)

    

初めての・・・・・(4 − (2007129日)

一口大に割ったクッキーを手に持って口まであと10cm!

という瞬間、面接室のドアが開き、私の名前が・・・・・

呼ばれた。 私が最初!! 

一瞬の差で口まで届かなかったクッキーを急いでお皿に戻し、

面接室に入って行くと、{アラ、5人もいる。}

5人のアメリカ人の男性面接官が横一列に座って待ち構えていました。

5人の目が私に集中。

ワクワク気味に私は「Good  morning ! 」とご挨拶。

席に着くと、真ん中に座っている多分一番えらそうな面接官の

紳士的な一言から面接が始まりました。

How are you this morning ?

私はとっさに「 Im fine, thank you,  but・・・・・

あのクッキーを食べられなかったのでちょっと残念なんです!

ちょうど食べようとしたところで呼ばれてしまったので。。。」

と、のっけからつい普段と同じ本音トーク。

想像できますか。

初めての面接が想定外の大爆笑で開幕なんて。

真ん中の面接官が「オォ、それは気の毒に。」と言いながらまだ笑っていました。

それから先はそれぞれの面接官から代わる代わる矢継ぎ早に

いろいろな質問やつっこみが飛んできて、

私はドッジボールで真ん中に残った一人のようでした。

話題があれこれと広がってゆき、話がはずみ、

「面接っておもしろいなぁ」と思っていたのでした。

(続く)

 

初めての・・・・・(3 − (2007年1月22日)

こんな時は、地味色系のリクルートスーツに、

長い髪は後ろできっちりと束ねて、

お行儀良く静かに座って待つ事・・・・・あれこれ、あれこれ・・・・・。

何ともやたらと細かくて独特の面接用のマナーとやら何やらが良し、と

されているらしいと知ったのは随分後になってから。

そんな雰囲気からはまったくかけ離れた私でした。

むしろほとんど逆でした。

そして、伏目がちで、ジッとしているばかりの他の受験者のことは

正直なところまったく気にならなかったのでした。

それよりあのテーブルの上のクッキー・・・・・気になる。

見た目はめずらしくもない普通のクッキーなのですが、

大きさが・・・・・草加せんべいより一回り以上大きい

アメリカンサイズのアメリカのクッキー!

せっかく「どうぞ」と言われたのだから話の種に食べなくては・・・・・。

私はユニフォームの女性の方を見ながら「いただきます。」と小さく言うと、

彼女も「どうぞ。」と言ってニコッと微笑んで目で答えてくれた。

私は立ち上がってコーヒーを注ぎながら、

一応周りの人にも、合図をしてみたものの、

誰からも積極的な反応が返ってこない!

シーン・・・・・

みんなとっても静か。

そんな中で、まるで私はオンザロックのグラスをゆっくりと

かき混ぜているマドラーのような。。。。。

一人で踊りを踊っているような。。。。。

ならばと、自分の分だけコーヒーとクッキーをとり分けて自分の前に置き、

そしてもう一度小さく「いただきます。」

ニコッ!

(続く)

    

        

初めての・・・・・(2 − (2007115日)

しばらくして忘れた頃に、見慣れない手紙を受け取りました。

応募したアメリカの航空会社からの面接案内でした。

 

案内通り某月某日(実は覚えていないだけ)朝、

ちょっと嬉しい様な気分で家を出ました。

なぜって、単純にスチュワーデスの面接を受けられるからです。

指定の場所に行くと、私を含めて7人の若い女性の受験者が集まりました。

まもなく私達は、スチュワーデスのユニフォームを着た30歳代の

ステキな女性にエスコートされて待合室に案内されました。

その部屋の真ん中には大きな丸いテーブルがあり、

そのテーブルを囲むように私達7人は座りました。

私は目でテーブルを一巡して、

「なるほど、つまり、応募者は全部で7人だったんだ。」

と、心の中で勝手に理解していたのです。

テーブルの上にはコーヒー、紅茶とクッキーが用意されていました。

まもなくユニフォーム姿の女性が、

「これから一人ずつ順に隣の部屋で面接を致します。

お名前を呼ばれるまでここでお待ち下さい。

そのお飲み物とクッキーはセルフサービスですので

待っている方はご遠慮なくご自由に召し上がって下さい。」

とニコヤカに言って部屋の端の椅子に座ってしまった。

部屋の中は静かになった。

みんな表情もなくうつむきかげんに座っている。

「本当はみんなどんな人なんだろう。」

なんて私一人で受験者を見回しながら考えていたのです。

シーン・・・・・。

(続く)

 

初めての・・・・・ (1) − (20071月9日)

植村直己さんのような型破りな冒険はともかく、

彼のように行動範囲は広げられそうな気がしてきた私でした。

というより、「行動範囲を広げたい。」と思った私でした。

そんなある日、たまたま見ていたThe Japan Times の求人欄に、

偶然外国の航空会社の “スチュワーデス募集” 記事を発見。

ちょっとだけ興味が湧きました。

と言っても、「英語が使えそうだし・・・・・どんな試験をするのかなぁ。」

という好奇心が先だったのです。

どんな試験をするのか知りたくてとりあえず応募。

航空会社の情報も試験の予備知識も全く無く、全てがゼロ状態の私。

応募要項に書かれていた通りに、とりあえず一人で

英文の書類一式をタイプして応募してみたのです。

生まれて初めて目にした “スチュワーデス募集” 記事。

生まれて始めてのスチュワーデス応募。

正直言うと、もともと受かるとは思っていなかったので、

このあたりの事に関しては、書類を送った事以外に

細かい事は全く覚えていないのです。

初めてなんてこんなもの?

かなり昔のことだとお見逃しを。。。。。

(続く)