読書ノート 『愛するということ』フロム

 『愛するということ』(エーリッヒ・フロム/紀伊国屋書店)を少しずつ読んでみることにします。その中からヒントをいただいて私が考えたことを書くことにします。
  1 愛は技術である
  2 愛されるために
  3 愛の対象
  4 恋と愛
  5 愛の技術習得法
  6 愛は能動的な活動
  7 愛の基本的な要素
  8 幼稚な愛? 成熟した愛?
  9 自己愛
 10 愛の実践の基本

 21 自分を愛することと他人を愛すること
 22 自己愛
 23 一体化
 24 ナルシシズムの克服
 25 信じる
 
 11 意識して努力する
 12 集中と忍耐
 13 本気になってやる
 14 一人でいられる
 15 自分に敏感になる
 16 謙虚さと客観性を備えた理性
 17 信じる
 18 信念と勇気
 19 愛のパワー
 20 愛は幸福に生きる技術

 26 愛の技術を習得する
 27 性格の発達
 28 生命力の表現
 29 与える人が豊かな人
 30 愛とは愛を生む力




愛について

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幸せ雑記

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1 愛は技術である
 愛は技術だろうか。技術だとしたら、知識と努力が必要だ。それとも、愛は一つの快感であり、それを経験するかどうかは運の問題で、運がよければそこに「落ちる」ようなものだろうか。この小さな本は、愛は技術であるという前者の前提のうえに立っている。しかし、今日の人びとの大半は、後者のほうを信じているにちがいない。
 愛は心の中にあるだけでは、ほとんど幸せを生まないし、相手にも伝わりません。愛の行為が必要なのです。行為には技術が必要です。

 幸せについても同じことが言えます。幸せは運の問題より、技術・能力の問題だと思います。
 私は、幸せになるために役立つ方法や考え方(心の中の具体的な言葉)を見つけ、身につけたいと思っています。それは技術とも言えるでしょう。

 「技術だとしたら、知識と努力が必要だ」ということは、知識を得、努力をすれば上達できるということです。その技術を活かせるようになれば、幸せになれるということだと思います。
 私も、この本から愛の技術を学び、私流に実践方法を考えてみたいと思っています。



2 愛されるために
 誰もが愛に飢えている。(中略)
 ところが、愛について学ばなければならないことがあるのだと考えている人はほとんどいない。
 なるほど、「誰もが幸せになりたいと思っている。ところが、幸せについて学ばなければならないことがあるのだと考えている人はほとんどいない」とそのまま置き換えることができそうです。
 「愛には学ぶべきことはない」と考えてしまう理由として、フロムは3つを挙げています。
 まず第一に、たいていの人は愛の問題を、「愛する」という問題、愛する能力の問題としてではなく、「愛される」という問題として捉えている。つまり、人びとにとって重要なのは、どうすれば愛されるか、どうすれば愛される人間になれるか、ということなのだ。
 確かにそうだと思います。私も以前はそうでした。
 「(私を)愛してくれる人がいない」と嘆く人もいます。そういう人は「愛される」ことが問題なのです。

 人に愛される方法や、愛される人間になるための方法はいろいろあると思います。
 「愛する」=「相手を幸せにする」だとすれば、「愛する」は愛される方法の一つだと思います。人は自分を幸せにしてくれる人を好きになり、その人を幸せにしたいと考えるのがふつうだと思います。(もっとも、愛されても愛することができない人もいますが。そういう人を選ぶのはやめたほうがよさそうです)。
 心の中ではみんなが「愛されたい」と願っているはずです。「愛されるために、相手を幸せにしよう」と考えるのもいいのではないかと思います。
 自分は人からどういうことをしてもらったら幸せか?とよく考えてみれば、相手を幸せにする方法が見つかるのではないでしょうか。

 「愛される人間になるために、愛する能力を育てよう」と考えるのもいいと思います。



3 愛の対象
 愛には学ぶべきことなど何一つない、という考え方の底にある第二の原則は、愛の問題とはすなわち対象の問題であって能力の問題ではない、という思いこみである。愛することは簡単だが、愛するにふさわしい相手、あるいは愛されるにふさわしい相手を見つけることはむずかしい──人びとはそんなふうに考えている。
 愛する人がいない理由として、「いい人がいない」「いい出会いがない」と言う人がいます。そういう人は対象の問題だと考えているわけです。

 愛には対象となる人が必要です。
 愛の対象の条件として1つは、自分が愛せる・愛したい人であること。人を愛する能力の中には、愛せる対象の広さも含まれているようです。いろんな条件があったり高望みをする人は、愛する人を見つけるのが難しいわけです。
 愛の対象の条件としてもう1つは、相手が自分の愛を受け入れてくれること。相手の様々な状況や事情や能力や好みなどによるところが大きいと思います。もう1つには、自分の愛する能力だと思います。愛し方がうまければ相手が受け入れてくれる可能性が高くなるでしょう。「うまく人を愛せない」という人もいます。

 愛の対象を見つけやすくするためには、出会いの場を増やすという方法もありますが、自分の愛する能力を高めるという方法も有力だと思います。



4 恋と愛
 愛について学ぶべきことは何もない、という思いこみを生む第三の誤りは、恋に「落ちる」という最初の体験と、愛している、あるいはもっとうまく表現すれば、愛の中に「とどまっている」という持続的な状態とを、混同していることである。
 「恋」と「愛」の違いについては、いろんな人がいろんな所でいろんなことを言ったり書いたりしています。
 私は、「愛」は「人を幸せにすること」だと考えることにしています。
 「愛」は自らする(行為を伴う)ものです。「恋」は無意識にしてしまうものではないでしょうか。(「恋愛をしたい」と、出会いを求めるのは意識的な行為ですが)

 恋せる人は限られているけど、愛せる人はもっと広げることができます。
 恋はいつかさめるものだと思います。愛は育てることができ、長く続けられるものです。
 もちろん、恋から始まり、愛に変わることも多いのですが。
 自ら幸せになるためには、「愛する」ほうがいいと思うのです。



5 愛の技術習得法
 「愛は技術である」。では、その技術を習得するためには、
 技術を習得する過程は、便宜的に二つの部分に分けることができる。一つは理論に精通すること、いま一つはその習練に励むことである。

 しかし、理論学習と習練のほかに、どんな技術をマスターする際にも必要な第三の要素がある。それは、その技術を習得することが自分にとって究極の関心事にならなければならない、ということである。
 愛の技術(私的には、人を幸せにする方法)はたくさんあるのだと思います。
 基本的な理論は共通することも多いと思いますが、実践する方法は人それぞれだと思います。自分なりの実践方法を見つけるためのヒントとして様々な理論を学習してみればいいと思います。私も、この本などからヒントを見つけられたら、と思います。

 私もまだまだ習練が足りません。やはり実践経験がないと、自信もできないし、技術は身につかないでしょう。

 理論学習も習練も、本気になって取り組むことが大事なのだと思います。
 『くよくよしない考え方』の「10章 くよくよしない考え方ができない、とくよくよしないために」では、まず第一に「くよくよしない自分になろうという決意」を挙げました。
 あとは、「続ける」ことが肝心です。どうな技術も、時間をかけて少しずつ習得していけばいいのだと思います。



6 愛は能動的な活動
 愛は能動的な活動であり、受動的な感情ではない。そのなかに「落ちる」ものではく、「みずから踏みこむ」ものである。愛の能動的な性格を、わかりやすい言い方で表現すれば、愛は何よりも与えることであり、もらうことではない、と言うことができよう。
 受動的(人任せ)では、いつ幸せになれるかわかりません。能動的なら、自分しだいで幸せになれるのです。
 また、愛は活動であり、行為が必要なのです。

 「愛は与えること」とよく言われますが、自己犠牲のような感覚はよくないと思います。できれば喜んで与えられたら、と思います。
 与えるものはいろいろあるのでしょうが、「幸せ」を与えると考えたほうがよさそうです。
 また、相手の幸せのためには与えすぎ、甘やかしすぎはよくないでしょう。

 愛は、与えられる人も与える人も幸せになれるのです。
 自分の幸せになる方法としては、愛すること・与えること・幸せにすることを考えたほうがいいのです。それを意識して実践できるようになれるかどうかが、愛で着実に幸せになれるかどうかの分かれ目です。



7 愛の基本的な要素
 愛の基本的な要素として、フロムは「配慮」「責任」「尊敬」「知」の4つを挙げています。

 「配慮」は「思いやり」と解釈したいと思います。
 『「責任がある」ということは、他人の要求に応じられる、応じる用意がある、という意味である』と書かれているので、「責任」は「相手のため」と考えることにします。
 『尊敬とは、人間のありのままの姿をみて、その人が唯一無二の存在であることを知る能力のことである』とありますので、「尊敬」は「尊重」に置き換えたいと思います。
 「知」は「相手を知る」ことです。

 ということで、「愛」には「思いやり」と「相手のため」と「尊重」と「相手を知る」が大切だということを学びました。
 これらを実践するためには、どうしたらいいのでしょうか?
 今後の課題としたいと思います。



8 幼稚な愛? 成熟した愛?
 幼稚な愛は「愛されているから愛する」という原則にしたがう。成熟した愛は「愛するから愛される」という原則にしたがう。
 さて、あなたの愛は幼稚でしょうか?成熟しているでしょうか?

 フロムが言っていることはわかるのですが、タマゴが先か?ニワトリが先か?的なこともありそうです。
 自分を愛してくれる人を愛するのはいいことです。自分が愛したい人を愛するのもいいことです。きっかけはともかく、互いに愛の行為を交換して、愛が育てば何よりです。
 また、幸せにしたい相手なら、相手の愛の行為を素直に喜んで、それをいいきっかけにお返しをすればいいでしょう。

 幼稚でも成熟でもいいと思います。自分が人を愛することが大事なのです。幸せにしたい人を幸せにすることで、自分が幸せを感じられればいいのです。



9 自己愛
 フロムは、愛の対象は1人ではなく、愛する対象によって愛にも様々な種類があるとして、兄弟愛/母性愛/異性愛/自己愛/神への愛について書いています。
 この中に「自己愛」が入っているのはもっともだと思います。
 私は、自分を愛する(=自分を幸せにする)ことが第一でいいと思っています。自分が幸せになる方法の一つが「人を愛する(=人を幸せにする)」ことなのです。

 「自己愛」と言うと、わがままで自分勝手な利己主義を考える人もいると思いますが、そのことについて、フロムは次のように書いています。
 利己主義と自己愛とは、同じどころか、まったく正反対である。いや実際のところ、彼は自分を憎んでいるのだ。
(中略)
 自分自身をあまりに愛しすぎているかのように見えるが、実際には、真の自己を愛せず、それをなんとか埋め合わせ、ごまかそうとしているのである。
 利己主義、我利我利亡者の人は、何か心が飢えているような気がして、幸せそうな感じがしません。
 「自分を好きになる」ということも必要なのかもしれません。



10 愛の実践の基本
 愛は自分自身の愛する能力にもとづいて、愛する人の成長と幸福を積極的に求めることである。
 これが「愛」を実践する際の基本のような気がします。

 愛の行為は自分の能力でやるしかありません。能力がなければできません。でも、誰にでもそれなりの愛の能力があるのだと思います。だから、人それぞれに愛し方が違うのは当たり前です。自分らしい愛の実践ができればいいのだと思います。また、能力は努力を続ければ向上させることができます。

 愛する人(幸せにしたい人)の「幸せ」を求めることが、「愛の基本」だと思います。

 愛する人の成長(=人間性の向上=幸せになる能力の向上)を求めることが、いちばんの相手を幸せにする方法ではないかと思います。成長できれば、相手は自分がいなくても幸せになれるのです。相手の成長を考えられるのは深い愛がある証拠です。

 愛することは積極的に行えることなのです。だから、自分が幸せになる方法でもあるのです。
 もう一つ、基本を付け加えさせてもらうとしたら、「愛の実践によって自分が幸せになれることが大事」でしょうか。



11 意識して努力する
 まず第一に、技術の習練には規律が必要である。規律正しくやらなければ、どんなことでも絶対に上達しない。
 「愛は技術である」「技術を習得するためには習練が必要」ということで、愛の技術を習得するための習練には「規律」が必要ということのようです。

 意識して実践を伴う努力を続けることではないでしょうか。
 習慣になっていないことは意識しないとできません。
 「○○をやろう」と思っても、それを生活の中で実践できないことは多いと思います。たとえば、「愛をもって人に接しよう」「幸せに暮らそう」と思っても、それを実践することは本当に難しいと思います。
 また、やり始めたとしても、それを続けることがまた、難しいのです。はじめの頃の意欲もだんだん薄れていきます。なかなかうまくできないことはなおさら続きません。

 意識して努力を続け、愛を実践することが習慣になることで、愛の技術が多少とも身につくのだと思います。



12 集中と忍耐
 愛の技術の習練には「集中」と「忍耐」も必要ということです。
 集中するとは、いまここで、全身で現在を生きることである。いま何かをやっているあいだは、次にやることは考えない。

 他人との関係において精神を集中させるということは、何よりもまず、相手の話を聞くということである。

 集中力を身につけるための習練は、最初のうちはひじょうにむずかしい。目的を達成できないのではないかという気分になる。したがって、いうまでもないことだが、忍耐力が必要である。
 集中するためには、今を大切にし、余計なことは考えないことが大事だと思います。
 愛の技術のまず第一は「相手の話をよく聞く」というのは大賛成です。
 何かを身につけるためには努力が必要で、ラクにはできません。ある程度の忍耐をするのは当たり前です。

 一所懸命に努力を続ける。多少の我慢も必要。
 当たり前のことが大事なのです。
 でも、過程を愉しむことも大切だと思います。少しでも愉しみがあれば、つらい努力も少しは続けられるのではないでしょうか。



13 本気になってやる
 最後にもう一つ。技術の習得に最高の関心を抱くことも、技術を身につけるための必要条件の一つである。もしその技術がいちばん重要なものでないとしたら、その技術を身につけようとしても、絶対に身につかないだろう。
 「愛の技術を習得する」「くよくよ(イライラ)しない自分になる」「幸せに暮らせるようになる(幸せになる能力を向上させる)」
 このような目標は「最高の関心」を抱いていいものだと思います。
 でも、このようなことはそう簡単にはできません。よほど本気になってやらないと無理だと思います。

 「もっと愛し合いたい」「強くなりたい」「幸せになりたい」と考える人は多いでしょう。では、そうなれるためにちゃんと努力をしているでしょうか。
 「愛してくれる人がいない」「私は弱い」「幸せになれない」などと嘆いているだけの人も多いような気がします。はじめからあきらめて考えようとしない人も多いでしょう。
 努力をすれば、なりたい自分になることはできると思います。時間はかかると思いますが、少しずつなっていけると思います。
 私は、幸せに(暮らせるように)なるための方法、くよくよしない自分になるための方法、夢をもって幸せに生きる方法、愛をもって幸せに生きる方法、自分を育てる方法などを考え・実践し・紹介し続けていきたいと思っています。
 あなたが本気になってやろうと思うのなら、参考になるかもしれません。



14 一人でいられる
 一人でいられるようになることは、愛することができるようになるための一つの必須条件である。もし、自分の足で立てないという理由で、誰か他人にしがみつくとしたら、その相手は命の恩人にはなりうるかもしれないが、二人の関係は愛の関係ではない。逆説的ではあるが、一人でいられる能力こそ、愛する能力の前提条件なのだ。
 「心の自立」ということでしょうか。
 自立しているから、人に愛を与えることができるのかもしれません。
 「ひとりではいらない」という人は、相手から拒絶されるのを怖れすぎてしまいます。相手から悪く思われる、相手に嫌われる、相手に拒絶されるのを怖れてしまいます。それが逆に、愛に臆病になってしまうこともあります。

 ひとりでいられるようになるためには、どうしたらいいのでしょうか?
 一つは、ひとりを愉しめるようになること。ひとりで愉しめることはたくさんあります。私はひとりが好きです。
 もう一つは、やりたいことをやること。本当にやりたいことがいくつかでもやれている人は自立しているような気がします。
 そして、人の幸せをちゃんと考えられるようになることも、自立の一部だと思います。「寂しいから」でも「幸せになりたいから」でも、はじめはともかく、人をちゃんと愛せるようになれれば、自立できるのではないでしょうか。逆に言えば、自立できるようになるために、愛の能力を向上させることを考えてもいいのではないかと思うのです。

 ひとりでいても幸せ(好!好!)、幸せにしたい人といても幸せ(好!好!)になれれば、もっと余裕をもって(人も自分も)愛することができるのだと思います。



15 自分に敏感になる
 自分にたいして敏感にならなければ、集中力は身につかない。
 (中略)
 人は自分にたいして敏感になることができる。たとえば、疲れを感じたり、気分が滅入ったりしたら、それに屈したり、つい陥りがちな後ろ向きの考えにとらわれてそうした気分を助長したりしないで、「何が起きたんだろう」と自問するのだ。どうして私は気分が滅入るのだろうか、と。同じように、なんとなくいらいらしたり、腹が立ったり、また白昼夢にふけるとか、その他の逃避的な活動にふけったりしたときにも、それに気づいたら、自問するのだ。
 「自分に敏感になる」って、すごく大切なことだと思います。
 自分の今の体調/感情/気分/考え/行動/状況などに気づけると、次のいい考えやいい行動につなげることができます。気分が悪ければ気分転換をする。不幸になる考え方は幸せになる考え方に切り替える。悪い行動はやめて今の自分とっていい行動を始める。これらのことは、今の自分に気づけなければそのまま続けてしまうことになってしまうのです。

 これらの切り替えができるようになると、ずっとラクに過ごせるようになります。幸せを感じて暮らせるようにもなれます。
 でも、自分に敏感になるのは相当に難しいのです。その時にやっていることにとらわれたり、自分の無意識の考え方(のクセ)にとらわれたりして、今の自分に気づけないのです。また、気づけたとしても自分の心をコントロールすることも難しいのです。

 私が役に立つと実感している方法は、「ハオハオ」です。
 「ハオハオ?」と自分に聞く感じて使えると、自分の問題のある所に気づくことができます。その問題は(ハオハオと)受け入れ、どうしたい?/○○たらいいな(ホープホープ)、どうしたら?(ハウハウ)と、3Hの考え方の習慣に従えば、いいほうに向かうことができます。
 さらに「ハオハオ」がいいのは、体調でも気分でも状況でも、いい時にはそれに気づき、素直に「好!好!」と喜べ・幸せを感じられるのです。

 さてところで、自分に敏感になることは「愛」に必要なのでしょうか?
 とても大事なことだと思います。人を愛そうとした時に、その邪魔をいちばんするのは自分だからです。
 自分の体調や気分が悪い時に人にあたってしまったり、自分勝手な考え方を相手に押しつけようとしてしまったり、相手のちょっとした言動に過敏に反応してしまったり。また、自分の心にやさしさや思いやりの気もちが足りなかったり、「相手のため」を考えられなかったりしてしまうこともよくあります。
 そういうことにならないように気をつけるためには、自分に敏感であったほうがいいのです。
 人を幸せにするためには、自分の心を幸せに保っておけることが大切なのです。



16 謙虚さと客観性を備えた理性
 客観的に考える能力、それが理性である。理性の基盤となる感情面の姿勢が謙虚さである。子どものときに抱いていた全知全能への夢から覚め、謙虚さを身につけたときにはじめて、自分の理性をはたらかせることができ、客観的にものを見ることができるようになる。
 このことを、私たちが論じている愛の技術の習練にあてはめてみると、こういうことになる。人を愛するためには、ある程度ナルシシズムから抜け出ていることが必要であるから、謙虚さと客観性を備えた理性を育てなければいけない。
 人を愛する(幸せにする)ためには「相手本位」に考えることが重要です。自分勝手な考えに基づいた愛の行為は、相手を幸せにできないし、ありがた迷惑や余計なおせっかいになってしまうこともあります。
 「自分勝手な考え」には、「相手本位でない考え」の他に、「現実的でない考え」があります。なんでも自分が思うようになるということはありません。むしろ、思い通りにならないことが多いのが現実だと思います。でも、相手への本当の愛があれば、きっといつかそれなりに伝わると思うのです。「それなりに」と書いたのは「現実的」という意味です。「現実的な考え」をするためには、「客観性」が必要なのだと思います。

 客観的に考えるためには「謙虚さ」が大事なのですね。
 自分の考えは正しい、自分の考えた通りになると思い込んでしまっている時に、自分勝手な考えをしてしまうのでしょう。
 もしかしたら、自分の考えは間違っているのかもしれない、現実的ではないのかもしれないと考えられる(感じられる?)ためには、ある種の「謙虚さ」が必要なのでしょう。

 このようなことを考えると「愛」に臆病になってしまいそうですが、ここまで考えた上での「愛」が人を本当に幸せにできるのではないでしょうか。



17 信じる
 愛の技術の習練には、「信じる」ことの習練が必要なのである。

 他人を「信じる」ということは、その人の根本的な態度や人格の核心部分や愛が、信頼に値し、変化しないものだと確信することである。

 他人を「信じる」ことのもう一つの意味は、他人の可能性を「信じる」ことである。(中略)つまり、人を愛するとか、幸福になるとか、理性を使うとかいったことにたいする可能性、あるいは芸術的才能のようなもっと特殊な可能性である。この可能性は、いわば種子であり、もしその発達を促すような条件が整えば成長するし、そうした条件がなければ枯れてしまう。
 人を愛することで重要なのは「相手を信じること」です。

 人に対して性善説と性悪説がありますが、人(の心の中)にはいい所も悪い所もあるのだと思います。その人が育っていく中で、様々な成り行きで、どの部分かが強くなって表にでたのが現在のその人(の性格)ではないでしょうか。もちろん、遺伝的なこともあるのでしょうが。
 どんな(に悪い)人の心の中にも、必ずいい所があるはずだと思います。今は見えていないいい部分がきっとたくさんあるのだと思います。そういう部分があることを信じたほうがいいのだと思います。

 また、人にはいろんな可能性があるのです。それは、その人が変わる可能性があるということです。現在はどうでも、その可能性を信じることも大切なのだと思います。たとえば、「この人にはやさしさなんて伝わらないのではないか」と考えて愛の行為をやめてしまうより、「いつかはきっと気もちは伝わるはず」と考えて(小さくてもいいから)愛の行為を続けたほうがいいと思うのです。(自分が幸せにしたい相手であることが前提ですが)

 人の隠れたいい面を見いだし、その人が善く変わる可能性を引き出せるのも、その人に対する「愛」なのかもしれません。



18 信念と勇気
 愛するということは、なんの保証もないのに行動を起こすことであり、こちらが愛せばきっと相手の心にも愛が生まれるだろうという希望に、全面的に自分をゆだねることである。愛とは信念の行為であり、わずかな信念しかもっていない人は、わずかしか愛することができない。

 信念をもつには勇気がいる。勇気とは、あえて危険をおかす能力であり、苦痛や失望をも受け入れる覚悟である。
 愛の可能性を信じられない人、愛(する能力)に自信がない人は、愛に対して臆病になってしまいます。信じようと努力することも大切だと思いますが、やはり経験によって自信をつけていくしかないのかもしれません。

 少しぐらい信じられなくても、自信がなくても、勇気があれば行動できるのでしょう。
 愛に慣れていない人にとっては、愛の行為を実践するためには相当に勇気がいると思います。愛が受け入れられないリスクもありますが、日本人の場合には「恥ずかしい」というような気もちもあると思います。

 愛にリスクはつきものです。信念と勇気が必要なのでしょう。



19 愛のパワー
 人を愛するためには、精神を集中し、意識を覚醒させ、生命力を高めなければならない。そして、そのためには、生活の他の多くの面でも生産的かつ能動的でなければならない。愛以外の面で生産的でなかったら、愛においても生産的にはなれない。
 人に愛の行為を実践しようと思っても、その習慣がない人は、意識しなければできません。意識するのはけっこうたいへんなことです。慣れていないことをやる時には、集中しなければできません。その上、心身ともに余計なところに力が入ってしまうものです。だから、パワーを使い、疲れます。

 愛にはパワーが必要だと思います。
 愛の行為を実践しようという気もちになるためにも、心に愛のパワーが必要です。相手を幸せにしたいという気もちが愛のパワーです。心に愛のパワーを増幅させる工夫の一つが、「感謝の気もちから始めよう」です。

 「愛」とは人に自分のパワーを与えることかもしれません。
 では、愛のパワーを人に与えると自分のパワーが減り、自分にとってはたいへんなだけで損なことなのでしょうか?
 愛の行為をイヤイヤやっていたり、損だと思っていたら、それは疲れるでしょう。
 愛の行為を喜んでやり、相手の幸せを自分の幸せと感じられれば、そんなに疲れることはなく、多少の疲れは“いい疲れ”ではないでしょうか。それどころか逆に、心の中の愛のパワーは充電できるのかもしれません。

 世の中には、愛のパワーにあふれている人がいます。そういう人は、きっと愛からパワーをもらっているからじゃないか、そんな気がしてきました。



20 愛は幸福に生きる技術
 愛とは、孤独な人間が孤独を癒そうとする営みであり、愛こそが現実の社会生活の中で、より幸福に生きるための最高の技術である。

 愛することは個人的な経験であり、自分で経験する以外にそれを経験する方法はない。
 最高かどうかはわかりませんが、「愛(人を幸せにすること)」が幸せになる方法の大きな1つであることは間違いないと思います。
 人はひとりでは生きていけません。どんなに成功しても、どんなに金持ちになっても、誰も愛する人がいない、誰からも愛されない、何も望まれないとしたら、その人は幸せではないと思います。

 愛するためには、技術・能力が必要です。
 愛し方は人それぞれです。自分らしい愛し方があるのだと思います。自分に向いた愛し方、自分を活かせる愛し方もあると思います。
 愛の技術を身につけるため、また、自分らしい愛し方を模索するためにも、自ら経験し、工夫と努力を続けていくしかないのだと思います。
 本を読んだりして、「愛」についてよく考えてみることも大切ですが、やはり向上心をもって実践を積み重ねることが必要なのだと思います。
 私も心がけていきたいと思います。




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