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第88回「オール・アバウト・マイ・マザー」

オール・アバウト・マイ・マザー 監督…ペドロ・アルモドバル
脚本…ペドロ・アルモドバル
撮影…アフォンソ・ベアド
音楽…アルベルト・イグレシアス
キャスト…セシリア・ロス、マリサ・パレデス
ペネロペ・クルス、アントニア・サン・ファン


1999年スペイン(ギャガ、東京テアトル他)/上映時間1時間41分

<CASTジャック&ベティ>
ジャックの評価 /ベティの評価

…金かえせ!! / …いまひとつ
…まあまあ/ …オススメ
…大満足!!観なきゃソンソン


J/ ペドロ・アルモドバル監督の映画っていうと、独特の色遣いの美術は一級品だけれど、風変わりな映画を作る人っていうイメージがあった。 日本のタイトルだって『神経衰弱ギリギリの女たち』とか『バチ当たり修道院の最期』とか(笑)いかにもキワモノっていう感じで。

B/ 出てくる女優さんもとっても、強烈な個性の人が多いわよね。ロッシ・デ・パルマなんて自分のことを「私の顔ってまるでピカソの絵みた いでしょ」なんて。(笑)

J/ それで、この『オール・アバウト・マイ・マザー』でこの監督は、ついに本物になったという気がした。これは大変な傑作だった。無駄な ところがまるでなくて、これ以上にないほど完璧に出来た映画という気がする。

B/ お話の進め方がとっても上手で、引き込まれていってしまうわね。えっどうなるの、えっそうなるの、ワァーっみたいに。省略して、場面 を最小限に刈り込んでいって、かつ小気味いいリズムで映画が進んでいくから、話のわりに重たくも感じないし、一気に観れてしまうのね。

J/ 意外に始まり方は、乾いた感じなんだよね。病院の集中治療室が映って、ひとりの瀕死の男がベッドに横たわっている。チューブがいっぱ い延びてて、その先をたどると機械があって、計器の針が白い紙にまっすぐな線を引いている。「脳死です」って宣告されて。予告編を見 てたから、とっても意外な気がした。

B/ その脳死の知らせを聞いて、電話で献体のセンターにそのことを伝えるのが主人公のマヌエラ(セシリア・ロス)なのね。テキパキと仕事を こなして。元アマチュア劇団員というので、脳死問題のマニュアル・ビデオで、家族を失った女性という設定で演技をしてたりするのね。 この人はとっても素敵な人よね。だから映画にすぐ入っていけるわね。

J/ 彼女にはひとりの息子がいる。誕生日で母親は、夕食を作っている。息子はテレビを見ている。ヘンな体操みたいな番組をやっているのだ けれど、それが終わって映画が始まる。それが『イヴの総て』。「お母さん、映画始まっちゃったよ」ふたりともこの映画が好きで、楽し みに待っていたみたいだね。こういうのとっても微笑ましいね。

B/ いいシーンが映るわね。イヴっていう女の子は、大女優のベティ・デイビスのお芝居を毎日観にきてるの。毎日ステージ・ドアの前で彼女 が出てくるのを待って、その姿を見ることが日課になっている。「あの子、こんなに雨が降るのにまたきてるわよ。」「私楽屋に入れてあ げるわ」っていうんで、その大女優の友達が、イブをはじめて楽屋に入れる、まさにそのシーンが映し出されている。

J/ その後、映画の展開がまるで『イヴの総て』に沿っていくような形で進んでいくんだよね。うまいねぇ。映画への最高に幸福なオマージュ の形とも言える。

B/ 息子の誕生日にお母さんが本を贈るわね。それが、カポーティの『カメレオンのための音楽』だったの。その序章を息子に読んで聴かせる シーンが印象的ね。

J/ ちょっと読むよ。「こんなきつい職業に自分がつくとは考えもせずに、ある日、書き始めたのだ。しかし神から才能を授かるとしても、必 ずや鞭もそえられている。その鞭は自らを鞭打つためのものだ。」これは監督がとっても共感した部分かもしれないね。同じ作家としてね。 だから「こんなつらい文章だなんて。プレゼントこれで良かったのかしら」っていう母親に、作家になるのを夢見る息子が、とってもいい と言う。ある部分この息子っていうのが、監督自身と重なる部分があるのかもしれないな。

B/ この映画は、アルモドバル監督らしく相変わらず出てくる人たちは、ちょっと風変わりな人たちばかり。女装したゲイ、レズの大女優、彼 女のパートナーでドラッグ中毒の女優、女にもなりきれない、心は男を引きずるゲイなど。この人たちは、世間的にはマイノリティで、弱 い立場にある人ばかりよね。カポーティの小説も世間からはみ出した人たちが主人公になることが多い。監督としては、彼の小説と自分の 映画作品の中に同じ種類のものを見出していると思うのね。そういう意味でも『カメレオンための音楽』だったのかも。

J/ 男の子が、母親に若い頃の写真を見せてもらう。アマチュア劇団で『欲望という名の電車』をやっていた頃の写真。けれども写真の半分は 切り取られている。それで彼は気づく。そういえば、「若い頃の母親の写真は、みんな半分切り取られている。切られた半分はお父さんが 写っていたに違いない。それで僕の人生も半分切り取られているような気がする。」それで母親に誕生日のプレゼントに、お父さんのこと を教えてくれほしいって言う。

B/ 本当にそうしたいのか、念を押してお母さんは、約束をするのね。きっと振り返りたくない過去があるに違いないのだけれど、そこは母の 愛よね。

さあてと、「ここからは映画をこれからご覧になる方は、後でお読みになってください。この映画はストーリーに意外性があるので、読ま ないほうがいいかと思います」(ペコッ)さぁ、思いっきりしゃべるわよ。フフフッ

J/ おいおい、どこ見てしゃべってるんだい。

B/ 読者のみなさんによ!鈍いわねぇ。さて、親子で翌日大女優ウマ・ロッホが出演している舞台『欲望という名の電車』を見に行くわね。 映画では、丁度あの有名なラストの場面が上演されていて、お母さんはといえば、涙を流しながら観ている。舞台への感動と、自分の過去 とが交叉した涙なのね。芝居がはねた後、雨の中、二人で楽屋待ちをして。このシチュエーションは『イヴの総て』のよう。

J/ ああ、まさか男の子が死ぬとは思いもよらなかった。タクシーに乗ったふたりの女優にサインをねだって、雨の水滴のついたガラス越しに ノートとペンを見せる姿が結構目に焼きつくんだよね。その車を追っていたところを車にはねられる。ぶつかってひび割れる車の窓。横倒 しになるキャメラ。雨がザンザン降っている。母親が駆け寄ってくるその足が映されて、遠くには放り出された母親の赤い傘。で、次の シーンでは、もう息子が脳死になったことが医師から伝えられる。すごい急展開。

B/ 皮肉にも、今度は自分自身が、息子の献体の決断を迫られることになるのね。ここであのファースト・シーンの乾いたタッチと、彼女の 出演していたマニュアル・ビデオのわざとらしさが、効果的になってくる。現実の重さが観客にも痛いほど伝わってくるのね。

J/ 結局、彼女っていうのは『欲望という名の電車』の舞台で息子の父親と出会い、愛し合い、けれどもその後傷つけられ、自分が演じた『欲 望という名の電車』のステラと同じように夫と決別し、『欲望という名の電車』の舞台を観に行って、息子をまた今失う。でもその後この 舞台によって、女性たちと不思議な連帯感のある関係を築き、再び生きはじめる。そんな風になっているんだね。『イヴの総て』そして このお芝居。これが映画にたくみに織り込まれて、ひとつのキー・ポイントになっているね。

B/ 自分の職を活かして、息子の心臓を移植をされた人が入院した病院を探し当てるじゃない。私はどうなるかと思った。ちょっと前に『ハーツ』 っていう映画があったじゃない。あんな展開は嫌だなと。気持的にはとってもわかるの。でもそれをやったら、それは母親という地位に 甘えた暴力になっちゃうのね。それは無償の愛とは違うのね。でもこの映画は、隅っこでじっと見ているだけだった。退院して奥さんと 嬉しそうに出てくる男性を一目見ただけ。お金持ちの息子さんと結婚した娘の結婚式を隅っこで見つめ、誰にも気付かれずに帰っていった 『ステラ・ダラス』のようにね。

J/ その上、息子との約束を果たすため、息子が存在したということを彼の父親に知らせるため、一度は傷つき、誰にもお別れも言わずに去っ た街バルセロナに行くんだ。ツライ決断だけれどね。

B/ 投げやりになることなく、ただ息子のことを思うばっかりに、そうした行動を取る。母の強さよね。

J/ あのシーンは素晴らしかったな。電車に乗っているマヌエラが映る。続いて電車がトンネルに入る。電車のライトがトンネルの天井に反射 してどんどん奥深くに進んでいく。トンネルの先は闇。過去へと旅している感じがとってもよく出ている。トンネルの先に明かりが見えて くる。そうすると、視界がパーッと開ける。丘から見下ろすバルセロナの街の全景。キャメラがズームしていって、次はサクレクール寺院 が横移動のキャメラでサーット流れる。そして胡散臭い若者たちがたむろす街に出てくる。その間ずっとハーモニカの音楽が流れつづけて いる。ものすごく美しい。感情と音楽、映像、すべてが一体となって迫ってくる。各々のシーンがまるで音楽のように流れて、涙が出てき たよ。

B/ 過去に向かっているのに、あの一連の流れが、前に進んでいるという感じを与えるのね。主人公の感情の流れが、見事に映像化されている とも言えるわね。

J/ この映画にはふたりの母親がでてくるね。主人公のマヌエラと、シスター・ロサの母親。この母親は、マヌエラとは対象的に子供に対して 心を開くことができない。子供への思いはいっしょなのだけれど、なにやら理解できないところがあって、それが怖くて子供に近づけない みたいだね。

B/ まあ、シスター・ロサがあの世界に飛び込んだのも、母親への反発ということもあるからね。ロサがお手伝いさんにと連れてきた女性には、 「なんであんな女を連れてくるの」ってあからさまに嫌な顔をするのね。彼女は結構贅沢な邸宅に住んでいて、一定の価値観の中で、安全 に暮らしてきていたから、自分が理解できないものについて、恐怖心を持っていると思うのね。

J/ 同じように子供を愛する母親でもあれだけ違う。しかし、いざとなると母はやっぱり強いね。『風と共に去りぬ』のメラニーにしても、自 分の身を犠牲にする危険があっても、子供を産もうとする。

B/ 女は大変なのよ。でもね、それに甘えちゃうと、イヤなおばさんになっちゃうの。

J/ この映画には、色々な女性がでてくる、心が女のアグラードも含めてね(笑)、けれどみんな決して甘えてはいないね。とっても誇りを持っ て生きている。それがいいんだね。

B/ 劇場で、女優さんが来てなくて、上演できなくなったときに、代わってアグラードが身の上話をするじゃない。「お金はお返しします。で もせっかく来られたから、私がお話をします。帰りたい方は、出ていってくださってかまいません」って。良かったわねぇ。ヘンなのが出 てきたってやっぱり帰っちゃう人もしっかり写るわけ。

J/ その辺ちょっと残酷だよね。

B/ でも、そんなことは最初から判りきっているという感じで、堂々と話しをするの。とってもツライ話しなんだけれど、とっても面白可笑し くね。それがなんだかとっても感動的なの。

J/ 自分に対して誇りを持っているからこそなんだよね。マヌエラがシスター・ロサの子供を父親に抱かせているところを、偶然ロサの母親に 見られる。その父親っていうのが、女の格好をしているから、後で「一体あれは誰なんだ」って聞かれるわけ。彼女としては、あんなヘン な人に自分の孫を抱かせるなんて、一体どういうことって気持ちがそこにある。マヌエラはなんて答えるんだろうって思った。

B/ ひょっとしたら、真実を言えば、彼女が取り乱すことは判りきっている。「あれが、私の娘を殺した男なの」って、だから嘘をつくかと思 ってた。

J/ でも本当のことを言うんだね。それが一番いいことだと信じている。それで黙って静かに子供を連れて出ていく。この映画、もうこれだけ でとってもいいなぁと思う。画面には、先に乗ってきた電車が右に左に走るとこだけを写す。それで時間を置いたことがわかる。これもシ ンプルでいいね。マヌエラは、子供のおばあさんも母親だからこそ、いつかわかる。ただ今は時間が必要だ。それがちゃんとわかっている。 そこまで考えて、きちっと話しをしているんだね。

B/ 母親ならいつかはわかる。この映画の女性たちには、連帯感のようなものがあるわね。それぞれがいくつかの偶然の糸でつながって。どの 人も社会的な地位からすると、弱者なのだけれど、とっても誇りを持って生きている。それがお互いにわかるの。だから哀しみも分かち合 える。それが彼女たちの強み。女たちが集まってワインで乾杯し、話しをするシーンは、そんなのがとっても良く出ていて良かったわ。

J/ まったくもって、見事な映画。監督自身の思いがいっぱい伝わってくる。一映画ファンとして、楽しませてもらった、映画や演じた女優た ちへの感謝の気持ち、それと自分のお母さんへの思い。

B/ この映画のラストは、希望を持って終わる。それが、今を生きる女性への応援歌にもなっているのね。誇りをもち、甘えずに一所懸命に生 きてけば、何か光が見えてくるもんですよって。すべての女性に、そして男性にも観てもらいたい映画だった。

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