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第135回「エデンより彼方に」

エデンより彼方に 監督…トッド・ヘインズ
脚本…トッド・ヘインズ
撮影…エドワード・ラックマン(『エリン・ブロコビッチ』)
音楽…エルマー・バーンスタイン
衣裳…サンディ・パウエル(『ギャング・オブ・ニューヨーク』)
キャスト…ジュリアン・ムーア、デニス・クエイド
デニス・ヘイスバード、パトリシア・クラークソン


2002年米(配給ギャガ・コミュニケーションズ)/上映時間1時間43分

<CASTジャック&ベティ>
ジャックの評価 /ベティの評価

…金かえせ!! / …いまひとつ
…まあまあ/ …オススメ
…大満足!!観なきゃソンソン


J/ 『エデンより彼方に』はまるで1950年代の映画を観ているような錯覚を起こしてしまうね。

B/ 私もタイトルを観た瞬間にそう思ったわ。文字の雰囲気が昔の映画みたいなのね。それと少々大仰な音楽がかかるのよね。いかにも往年の 映画音楽っていう感じのやつが。それで誰が作曲したのかと思ったらエルマー・バーンスタインだっていうんでビックリしちゃった。『荒 野の七人』『アラバマ物語』のね。もう80歳を超えているはずよね。またまだこういう人が健在だったのね。

J/ また季節は秋なのだけれど、色彩が見事だったね。まるでテクニカラーみたいでね。あの森の中の紅葉を観ていて、『ハリーの災難』を 思い出しちゃった。

B/ 衣裳と家のインテリア、あるいは衣裳と外の風景。それぞれがかなり強い色彩なのだけれども見事に調和しているのね。あの色彩感覚は すごいものがある。点で観るといかにも昔のハリウッド調なのだけれど、そういう風に全体のコーディネートで観てみると、むしろ感覚 はヨーロッパ的なのかなという気もするわね。

J/ トッド・ヘインズ監督は『ベルベッド・ゴールドマイン』でも独特の色彩感覚を出していたからね。ペドロ・アドモドバル監督に近いセン スがあるような気がする。もちろん個性は全然違うけれども。

B/ 衣裳、セット、色彩、音楽、タイトルデザイン。なるほどこれだけ凝っていれば、1950年代の映画を観ているような気分になるわけね。

J/ またストーリーも堂々たる「メロドラマ」だものね。雑誌に紹介されるような理想の家庭…旦那は一流企業で重要な役職に付き、もちろん 一戸建ての立派な家を構え、奥さんは家庭的で子供にも男の子女の子ひとりずつに恵まれ、社交界でも中心的な役割を果たしっていうのが 夫婦それぞれの恋のために崩壊していくっていう話だからね。

B/ しかもそこには様々な障害があり、結局は別れが訪れる…もうこれぞメロドラマの王道を往くっていうところかしら。表面だけ観ればね。

J/ 実際監督は、ダグラス・サーク監督の50年代のメロドラマを細部まで研究したらしいからね。そういうドラマツルギーに乗っ取って忠実 にやっている。出会いから別れの場面の演出までね。ここまでやると下手したらコメディになりかねないギリギリのラインってところまで ね。

B/ ところがコメディにはならないのね。奥はかなり深いような気がするの。

J/ まず、時代設定でしょう。この映画を観ていると確かに当時作られた映画を観ているような錯覚を起こさせるし、そこがこの映画の面白い ところなのだけれども、1957年だからね。よく考えればあの時代にはこんな映画を作ることはご法度だった。黒人の男と白人女性の不 倫の恋なんて…

B/ 1957年といえば、キング牧師による最初のワシントン行進の年なのね。映画界では、シドニー・ポワチエが『夜の大捜査線』『招かれ ざる客』でまさに人気の頂点に達しようかという頃なのね。『招かれざる客』は白人の娘が婚約者を連れて家にやってくるっていうので、 家族がドキドキしながら待っていたら、相手は黒人のシドニー・ポワチエ、まさに彼らには招かれざる客だったていう映画。このあたりが 当時の限界だったのね。

J/ そういえば、ウィテカー家が雇っていた庭師の息子レイモンド、主婦キャシー・ウィテカー(ジュリアン・ムーア)の恋人はエリート大学 の出っていうことだったし、どこかシドニー・ポワチエを思い起こすようなキャラクターと言えなくもないね。ちゃんとその辺まで意識し てこの映画は作られているんだね。

B/ その割にこの映画の中の人々にはそんな時代の流れが意識されてないわね。「ここでは、黒人の暴動なんて有り得ないわね」彼らは自信を 持ってそう言ってたわよね。ここでは黒人だっていい大学に進めるし、黒人の子を傷つけるようなことがあれば、白人の子は学校を即退学 されてしまう。私たちには差別なんてない。本気でそう思っているのね。

J/ これは舞台となった場所柄によるものだと思うよ。この映画の舞台コネティカット州は、地域で言うと、ニューイングランドに属するんだ ね。そういや、ヒッチコックの『ハリーの災難』に似ているってさっき言ったけれど、あれもやはりニューイングランドの州だったことを 思うとなるほどと思うよね。ここにはエール大学があるのを見てもわかる通り教育レベルは高くアメリカでも最も豊かな人たちが住む州の ひとつなんだね。街の名前にはグリニッジだの、ノーフォーク、ストラットフォードなどイギリスの街と同じ名前のところも多いんだよ。 これが何を意味しているかというと、典型的なイギリスピューリタンたちの州ってことなんだね。

B/ 私は父親に「サー」をつけて子供たちが呼んでいるのが印象に残っているのね。いかにも礼儀作法などが厳格で言葉も発音がしっかりし ている。イギリス的な雰囲気は確かにあるなとは思ったのね。

J/ 彼女が雑誌の取材を受けたとき際偶然記者の目の前でレイモンドと話しをするよね。おそらくアメリカ南部ではそんなことをしたら大変な ことになってしまうのだけれど、ここでは「まあ、黒人にも親切にしてあげるなんてお優しい」と美談としてのちほど雑誌に取り上げられ ることになる。この気の毒な人たちにはたまに施してあげるのも私たちにとって大事なことだ。こんな感覚がいかにもイギリス的なんだな。

B/ そんな感覚だから彼らは差別していることに自分自身気付いていないのね。

J/ ところが、本音と建前はまるで違っている。

B/ 父親が亡くなったことに対して慰めの声をかけてあげる。ここまでは美談になるのだけれど、いっしょの車に乗ってどこかへ出かけるって いうことになると、大変なことになってくる。たちまち噂は広がりスキャンダルってことになってくる。仲良しそうに見えた奥さん仲間も 手のひらをかえしたようになっちゃうのね。これが差別でなくてなんなのかしらって思うのだけれど。

J/ もっとも理解があると思われた友達さえも、旦那の衝撃的な不倫、これだって当時はご法度だと思うのだけれども、こちらには理解を示し たのに、キャシーの告白にはたじろいでしまうんだものね。

B/ こんな中で彼女は自分をごまかすことなしに正直に生きた。だからこの映画は単なる不倫の映画ではないのよね。ひとりの勇気ある女性の 映画。そこが実は単なるメロドラマとは違う。50年代の映画とは似て非なる部分がここにあるのね。

J/ 彼女自身色々な葛藤があるんだね。最初から自分の気持ちに素直に生きたわけじゃない。

B/ 夫のことで落ちこんでいるときにレイモンドが助けてくれた。なぜ彼なのかというと、彼女自身彼が自分とは違う世界の住人という意識が あったからこそなのね。彼女自身も白人たちのコミュニティの中にいた。それでかえって親友にも言えなかった夫の不倫のことが言えてし まったというのが本当のところね。

J/ 最初は好奇心から、白人たちの中にひとり黒人として入ったらどんな気持ちがするんだろうって。

B/ レイモンドはその疑問に答えるために、彼女を黒人たち専用のパブに連れていくのね。そこから彼女の意識は変わっていくのね。最初はと まどっていたのに自然に彼とダンスを踊るところまでいく。実は初めてここでふたりは対等になれたという気がするわ。

J/ もっともその時にはまだファースト・ネームで呼び合うところまではいかなかった。一瞬彼女はそのことを口にしかけるのだけれど、でき なかった。街でふたりが車に乗ってでかけたことが噂になれば、とりつくろうとするし、すぐに彼に別れ話をしにいく。本当のどん底に落 された時に、改めて彼の価値に気付き、彼女は自分に正直に生きていくことを選択する。そのとき彼女は初めて彼をファースト・ネームで 呼ぶんだ。

B/ 彼女の気持ちの変化が衣裳の変化に現れているわね。自分自身お気に入りのブルーから、社交カラーの鮮やかな赤に、そしてくすんだ色の 衣裳に変わり、最後はレイモンドと初めて親密になったときと同じ鮮やかな赤と、彼に拾ってもらったお気に入りの薄紫のスカーフの組み 合わせという風にね。

J/ この本音と建前の社会の中で本音で生きていくことの大変さ。実はこれは大昔の話では決してないんだね。今のアメリカの社会。確かに法 的には黒人も平等ということになったけれども、それは差別意識がなくなったこととは全然違う。昨年のアカデミー賞の授賞式でのハル ・ベリーのスピーチを見たってそれは歴然としている。

B/ そう考えると、1950年代のイギリス系の住民たちの保守的な意識と、形だけは差別がなくなったというけれど、本質的には何も変わっ てはいない現代との類似点、ここにトッド・ヘインズは目を付けたのかもしれないわね。舞台を1957年のコネティカット州としたこと には、実はこんな大切な意味があったのじゃないかしら。

J/ この映画のラストは不倫の果てにといったのとは違うすがすがしさがあるよね。それは彼女が勇気を持って自分自身正直に生きたところに あるよね。キャメラが引いていくと春を思わせる白い花が写るラストシーンには、これから待ちうける困難というよりは明るい未来さえ 感じさせる。ジュリアン・ムーアは奇しくも『めぐりあう時間たち』で家族を捨てても自分の心に正直に生きていく主婦の役をやっていた よね。年取った彼女の「後悔はしていない」というセリフ…あれに通じるものがこのラストにあるような気がするんだ。

B/ 静かな中にも心の強さを持った女性、そんな役を演じるとジュリアン・ムーアは本当に素晴らしいわね。そう考えると、この映画のタイト ル『エデン=天国より彼方に』は、雑誌に取材されるような絵に描いたような生活から遠くに離れていくことを意味しているのだけれど、 本当は彼女自身の心の中にこそ「エデン」はあったという風に思えてくるわね。

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