175. 贈り物のしかた (2014/09/27)


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自分は人に贈り物をあげるのがヘタなほうだと思う。そもそも人になにかあげることが少ないし、会社でも餞別やお祝いなどは連名に乗っかるし、自分から言い出すこともない。人に喜ばれる贈り物をするのって、結構人間の総合力というか経験がものを言うと思う。

もう亡くなってしまったのだけど、母方の姉つまり私からすると叔母にあたる人が大阪に住んでいて、よく私の誕生日に子供の頃はLEGO(ブロック)とか大人になってからはブランドもののネクタイを送ってくれていた。私はもらってばかりで大人になってからもお返しをしてこなかった。でも、バレンタインデーにゴディバのチョコレートをもらったときがあって、そのときはさすがにホワイトデーに何か送らないといけないと思った。そこでまあチョコの値段はニ三千円ぐらいだろうということで自分もそのぐらいのものを買って返そうと思った。

悩んだ過程は省いて結果から言うと、新宿の東急ハルクでペットボトルケースを買って送った。以前叔母さんにはコーヒー豆とかナイフとフォークのセットを贈ったりもしたのだけど、このペットボトルケースが一番喜ばれたらしい。その最大の理由は、人に見せびらかすことが出来たからだそうだ。人づてに聞いたので確かなことはよく分からないけれど、叔母は社交的でよく外で友達と会っていたらしく、そのときにペットボトルケースにペットボトルを入れて持ち歩いて、甥からもらったんだと友達に見せていたのだそうだ。

なるほど、コーヒーやナイフとフォークだったら自分の家に友達を招待しないと見せられない。それに、コーヒーが苦手な人だっているだろうし、ナイフとフォークを使うような料理をするのは当時の年老いた叔母には難しかっただろう。その点、ペットボトルケースは人に手軽に見せられる。

正直自分はこのペットボトルケースという製品をなんとも思っておらず、現に自分用には持っていない。でもそれがここまで喜ばれるとはとても意外だった。贈り物というのは、相手に喜ばれるものが一番だというのは頭では分かっていたのだけど、次点として送り主にも関係するものにするべきだと思っていた。つまり、赤の他人ではなく肉親それもかわいい甥(笑)からの贈り物だったら、商品券なんて送るんじゃなくてちゃんと選んだもののほうがいいんだけど、送り主の個性の出し方というのはちょっとよく考えなければならないのだと思った。自分が好きなコーヒー豆とか、自分が気に入ったナイフとフォークのセットなんかを贈るんじゃなくて、自分が叔母のことを考えたうえで選んだもの、という選び方が一番なのだと思った。

でも実のところ叔母とは年に一回ぐらいしか会っていなかったし、叔母がどんな人なのかもそんなに知らなかった。趣味で絵を描いていた人なので、それを考えると画材を贈るのが一番だったのかもしれないけれど、画材なんてよく分からないし、ちょっと調べたものを贈ってもニワカもいいところだと思う。ついでにちょっと自慢をすると、叔母は市が主催するコンクールに応募して堺市長賞をとったことがあり、亡くなったときに葬式で堺市長から弔電をもらったので葬儀会社の人が驚いていた。まあ市長賞なんて校長賞とか審査員特別賞みたいなものだから大したものではないのだろうけれど。

そして先の贈り物が喜ばれたもう一つの理由として、東急で買ったので東急のラッピングで届いたからだと思う。自分は正直百貨店の包み紙なんて一応多少は高級感を感じるものの別にそれほど気にするわけではなくもっぱら中身のほうに関心が強いし、むしろ百貨店で高い買い物をさせてしまっただとか、割高だからモノは値段不相応だろうといったマイナスの印象すら持ってしまうのだけど、やっぱりある程度歳をとった世代の人だと百貨店の包み紙というのはそれなりに威力があるんじゃないかなあと思った。というのはあくまで私の推測であり、叔母から直接でも間接でも聞いたわけではない。ただ、百貨店で買って送ったのはたぶんこれが唯一だったと思う。

叔母からの贈り物も、有名な百貨店のラッピングに包まれた海外高級ブランドのネクタイだったし、前述のゴディバのチョコも高級ブランドでめっちゃ高かったことから、そういうものが好きな人だったんだと思う。ちなみに当時私は叔母がよく利用していた百貨店の仕事もしていて、当時流行っていたデータウェアハウスという購買情報を全部入れたデータベースをガーッと色んな側面から分析するシステムの構築に関わっていたので、今だと多分無理だけど当時面白半分に叔母の購買データを検索してみたらヒットした。どの店でいくらで買ったのかまで分かってしまった。

当時先輩から、どういう風に個人情報をまとめたら高く売れるのかという話を冗談で聞いた覚えがある。ただ単純に名前と連絡先の名簿を作るのではなく、年齢性別なんかが重要なんだと言っていた。単なる名簿よりも、年齢性別などで特徴づけられた名簿のほうが価値が高いのだそうだ。購買金額の高い顧客の名簿なんかをぶっこぬけると高く売れそうだ。しかし最近のベネッセの個人情報流出事件なんかを見て分かるように、バレたら社会的に抹殺されるだろうし、訴えられて個人に対して億以上の賠償金の支払いを命じられることもあるらしい。いまではどの会社も個人情報の扱いは厳重なので、たぶんよっぽどうまくやらないと持ち出すことは不可能だと思う。でもぶっちゃけ当時は自分の私物のノートPCを客先に持って行って顧客の重要なシステムに平気でつなげていたことがあった。かれこれ十年以上前の話なのだけど。

話を戻してまとめると、自分をかわいがってくれる大人へのお返しには、少額なものでよいから相手が自分とのつながりを他人に自慢しやすいような、持ち運びしやすい何かが良いのだということ。いま思いついたものでこの条件に当てはまるものというと、携帯電話のストラップなんかいいかもしれない。実用性に乏しいのと、相手が携帯電話を持っていることが前提になるのだけど。…ちょっと考えてみると意外とこの条件を満たすものって少ないかもしれない。ほかになにがあるだろう。万歩計、キーホルダー、財布、と少し値が張るものならまだまだありそうだ。叔母が送ってくれたようにネクタイとか、女性ならスカーフなんてのもいいかもしれない。ハンカチもそういえば贈り物の定番か。スポーツやる人ならタオルでもいいかも。ハンカチは女の子だったら刺繍なんか入れるといいかもしれない。

この叔母にはもう一つ、送ろう送ろうと思って結局送らなかったものがあったのを思い出した。スーパーフルーツだ。叔母は糖尿病だったので甘いものが食べられなかったらしい。スーパーフルーツを知らない人のために説明すると、こいつを食べると一定時間だけ自分の舌の味覚がおかしくなって、酸っぱいものを甘く感じるようになるらしい。スーパーフルーツとレモンの詰め合わせなんて面白そうじゃないだろうか。デパートは贈り物商戦にこういう工夫した商品を開発したらいいと思う。

じゃあ逆に自分が大人として親戚の子供に何か贈り物をあげるときは一体なにがいいだろうか?…それはもうみんな子供の立場が十分わかっているだろうから説明の必要はないんじゃないだろうか。

親しい人には残るものを、親しくない人には消費されて消えるものを送るといい。この場合の親しいとか親しくないとかは自分の主観ではなく相手の視点で考えなければならない。子供にとって親戚のおじさんおばさんがどういった存在なのかを考えれば分かってしまう。まあ相手が子供だったらあんまり気にしなくていいとは思うけれど。相手が大人だったら、親しい相手に高価な贈り物を贈るのは問題ないが、大して親しくもない相手から高価なものをもらってしまったときの気まずさを考えると、むやみに高いものは贈らないほうがよい。

自分は子供のころ、叔母がやたら高価なLEGOブロックやネクタイをプレゼントしてくれることを嬉しく思いながらも、悪いなあと思う気持ちも結構あった。特に叔母が年金暮らしの中からやりくりしているのだという話を母親から聞いたあとでは。でも自分が稼ぐようになって大人になった立場から考えてみると、もしかわいい姪がいたらなにかあげたくなるだろうから、いまとなっては叔母の気持ちはすごく分かる。甥や姪じゃなくても、何の血縁もない近所の子供とちょっと仲良くなって小遣いの足しをあげてみたい。まあ赤の他人の子供に勝手に金品を与えるのは教育上問題があるので、たとえやりたくてもやってはいけない。どうしてもあげたい場合は親の許可を得なければならない。

この気持ちをうまくビジネスにしたのが、多分ケータイの課金ゲームなんじゃないかと思う。プレイヤーはまず自分が勝つために課金するけれど、課金で手に入ったアイテムを親しい相手にあげることが出来るゲームもあって、絆とかなんとか言っているけれどぶっちゃけ金で尊敬を勝ちうる微妙な行為だと思う。でもそこにはWin-Winの関係が成り立っている。ゲームの勝ち負けだけや電子上のデータのやりとりなら教育上の配慮は必要ないわけだし。トレーディングカードの現物とかだと当てはまらなさそうだけど。

いま日本は不景気がずっと続いているけれど、こういう風にお金を人間関係に変換する仕組みが無くなっていっていることも大きいんじゃないかと思う。上司が部下に奢ることも減ってきているし、金持ちのオヤジが夜の街で散財とかマイナスに見られるし、季節の贈り物なんかは虚礼の廃止とか言って下火になってきている。しかし逆に人間関係はなぜかますます重要視されるようになってきている。よくわからない。金品がダメなら人間関係っていったいどこで作られるのだろう(これはさすがに言い過ぎか)。バレンタインデーが業者の陰謀だという話はよく聞くけれど、陰謀結構、ビジネスになっている上に人間関係にとっても良好なのでこんな素晴らしい文化はないと思う(ただしイケメンに限る)。

私が毛嫌いしているAKB48の握手券や総選挙とかアイドルへの貢ぎ行為なんていうのも、そんな贈り物ビジネスなんだと思う。独身男性なんて小金が余ってるんだから、若い女に気持ちよく贈り物して感謝されるなんてまさにWin-Winだ。でも下品なのがイヤなんだよなあ。テレビでいったん放映されたアニメのDVDやBlu-Rayを買う行為だって、あれはファンの間では一種のお布施だとみなされている。アイドルのおっかけだってそうだ。もっと上品な形で贈り物をするビジネスを考えれば、広く浸透して儲かるんじゃないかと思うのだけど、いったいどんなものなら可能なのだろうか。寄付の見返りに名前を刻むやつとかあるけれど、なんだか味気ないよなあ。お目当ての子のいる店に定期的に通うスタイルとか?接客が一瞬で終わるものではなく、ある程度時間が掛かって親しくなれることが条件か。スポーツクラブなんか当てはまりそうだ。文化系ならカルチャークラブとか。英会話教室なんてぶっちゃけそうなんじゃないかと思う。これらのビジネスのポイントは、出費する側に施しの気まずさがなく、お金を受け取る側にもサービスを提供するという明確な理由があることだ。

ちょっと話が大きくなりすぎたのでそろそろ〆るけれど、人間関係の基本ってなにかしてあげたりしてもらったりすることだと思うので、気持ちよく贈り物をしたり、今回はほとんど触れなかったけれど贈り物をもらうときも相手が満足できるような受け取り方をすることが大切だと思う。

とキレイに終わらせようと思ったけれど一つ学生時代のモヤモヤを思い出したので書き残しておく。友人Aから高価なシャープペンをもらって愛用していたのだけど、あるときそのペンを友人Bに貸したら運悪くその友人Bが道路に落とし、ペンは車にひかれてボロボロになって使えなくなってしまった。友人Bは私に平謝りして弁償すると言っていた。私はそのペンが高額だということを知っており、そして友人Bがあまり裕福ではないことも知っていたので、仕方ないから代わりにペンを買って返してくれればいいと言ったら、その場にいた友人Aが私ではなく友人Bに怒り出した。私はいったいどうすればよかったのだろうか。


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gomi@din.or.jp