【1000HIT 記念短編小説 其の一】

 

 

ザー・・・・・・・

昼前に降り出した雨は やむどころか、依然その強さを増しながら 灰色の空から落ちてくる。

時刻は午後6時の少し前。

季節は冬・・・・12月・・・年末だ

街は会社帰りの人や学校帰りの人で溢れている。

 

カン・・・・・・・・カン・・・・・・・・・カン・・・・・・・・

『第三新東京市 :第D交差点』 と、書かれた青い鉄の看板に 雨水が溜まり それが滴り落ちて、

道に捨てられた空缶とぶつかり、 奇妙で規則正しい・・・・そしてどこか 悲しい音楽を奏でている。

むろん、騒がしい街の音のなかで行き交う人々の耳には そんな音は届かない。

カン・・・・・・・カン・・・・・・・・・・

「みー・・・・・・・・・・・・・・・みー・・・・・・・・・・」

注意すれば その人知れず奏でられるハーモニーに、奇妙な音が混じっている事に気づくだろう。

 

看板の下。

植え込みの影に隠れるように置かれた 汚いダンボール箱からだ。

 

カン・・・・・・・カン・・・・・・・・・・

「みー・・・・・・・・・・・・・・・みー・・・・・・・・・・みー・・・・」

 

たまにそのそばを 人が通るが 皆そのまま立ち去ってしまう。

あたりが騒がしくて 気が付かないのか、それとも 気づかぬふりをしているのか・・・

 

その時、向こうから 幼い女の子を連れた 母親がやってきた。

夕飯の買い物帰りなのか、大きな袋をさげて なおかつ、女の子の手も引いているので

とても傘がさしにくそうだ。

しかし、女の子の方はと言うと 雨が珍しいのか はしゃいでいる。

その時、女の子の低い目線が ダンボールを見つけた。

途端に 彼女の瞳は 好奇心でいっぱいになった。

思わず 立ち止まる女の子・・しかし、母親はそんな事に気づかずに先に歩こうとする・・

「ねぇ・・・ママ・・・・・・」

女の子は 母親の手を引いて 彼女を立ち止まらせた。

「どうしたの?」

母親は すこしかがんで、女の子の指差すところを見た。

そして 一瞬 その顔に 複雑な表情が浮んだ。

 

「ねぇー あれ、 なーに?」

「・・・・・・・・・・」

「ママー・・・なーに?」

「何でもないわ、 さ、早く帰って 夕飯にしましょう」

そう 言うと 母親はかがんだ背を伸ばして、女の子の手を引っ張って 歩き出した。

「えー・・・なに?ママー教えてよー」

手を引っ張られて 歩きながら 女の子は非難の声を上げる。

しかし 母親は何も答えなかった。

 

ダンボールから だいぶ離れたところまで来て、 なごりおしそうに 女の子は一度だけ 振り向いた。

しかし、 もうそこからは ダンボールは見えなかった。

 

木の葉の下に置いてあるとはいえ、ダンボールには少しずつ雨が染み込んで、 茶色から黒に変色し始めている。

「みー・・・・・・・・・・・・・・・みー・・・・・・・・・・・・・・・・・・みー・・・・」

気のせいか、聞こえる声も 小さく なっているようだ・・

このまま おそらく 翌日、 掃除をしに来た人が見つけるまで このダンボールは忘れられるのだろうか・・・

この寒さでは・・・ダンボールの中身はきっと・・・・

 

と、−−−−−

 

ダンボールの前に 靴が止まった。

革の、女物の通学用の 靴だ。

靴の主は、 その場に立ち止まったまま 立ち去ろうとはしない。

足の上を見てみる・・と、傘が目に入ってくる。

水色の 大きくも無く 小さくも無く・・・ 何の柄も付いていない傘。

しかし、その何の変哲も無い 傘は 不思議なほど その少女によく似合っていた。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「みー・・・・・・・・みー・・・・・・・・・・」

 

少女は無言でそのダンボールを見つめている。

不意に、 彼女はスカートの裾が 地面に触れないよう気をつかいながら しゃがみこんだ。

少女の来ている服は このあたりに ある中学校のものだ。

「・・・・・みー・・・・・・・みー・・・・・・」

すっ・・・と 白くて細い 腕が その汚いダンボールへ伸びた。

雨が当たって その腕をぬらしてゆく・・

そして、ゆっくりと、そのふたは 開けられた。

 

「みー・・・・みー・・・・・」

泣き声が大きくなる。

 

中を見た少女の目に 軽い驚きが浮かぶ。

しかし、少女のその瞳を見たものの方が よほど驚くだろう。

なにせ、瞳の色は 赤いのだから・・・・

「・・・・・みー・・・・みー・・・・・」

ダンボールの中には うすい緑色のタオルにくるまれた 白くて とても小さな 小猫がまるくなっていた。

綾波レイは しばし その小猫を 見つめていた。

 

ザー・・・・・・・

 

・・・雨は 前よりも 強くなってきたようだ・・・・

 

雨の日の贈り物 −前編−


 

しゃがんだ姿勢のままで じっとしていたレイは 小猫を持ち上げようとしてみた。

しかし 手がぬれているため これでは猫につめたい水が付いてしまう・・

仕方なく 彼女は 小猫をくるむタオルごと 持ち上げることにした。

「みー・・・・みー・・・ みゅ!」

小猫はとても小さく、 あまり力の無い彼女にも 楽に持ち上げられた。

あまりの軽さに レイは戸惑いながらも 猫をしっかりと胸に抱えて ゆっくり立ち上がった。

両手でちゃんと 持ち直し 、・・傘は首をかたむけて なんとか支えた。

彼女はまるで 何事も無かったかのように 歩き始めた。

 

行き交う人々は 皆 早足で 彼女を追い抜いてゆく

うまく 傘がさせず、雨が彼女の右肩を 濡らしている。

でも レイは ゆっくり ゆっくり 歩いていった。

 

(・・・・・・・・・・・私・・・・・・・・・・・・なぜ?・・・・・・・・)

 

信号を待ちながら レイは考えはじめた・・

(私・・・・・・・なにしてるの・・・・・・・・・?)

視線を 自分が抱いている 物体に落とす。

この猫が捨てネコであることは レイにだって すぐに理解できた。

しかし 問題なのは なぜ自分が 今 こうして 捨て猫を 抱いて歩いているのか、

彼女には 自分ことなのに あまりよくわからなかった。

気が付いたら ごく自然に行動していたのだ。

まるで そうするのが当然かのように。

 

「・・・・むー・・・・・・・・むー・・・・・」

自分の胸のなか・・・・タオルにくるまれた小猫が くぐもった泣き声を 小さく上げているのが感じられる。

 

レイの目が わずかに細くなる。

不思議と 嫌な気分じゃない・・・・・・むしろ、とても気持ちがいい。

小猫の重みが とても愛しく感じられる。

(こんな気持ち・・・・・はじめて・・・・・)

信号が青になり 、周りの人が 歩き始めた。

レイは タオルを抱く力を 少し 強くした・・・

 

 

ガタン・・・

立て付けの悪さを 証明するかのような音を立てて 玄関のドアが閉まった。

ドアに付いている 郵便受けには あふれんばかりに郵便物が詰まっている。

どれも 近所のスーパーなどのチラシだ。

ドアのノブも 少し錆びていて キチンと カチャリとは閉まらない。

しかし、鍵などしたことのない 少女には たいした問題ではないようだ・・・・

 

片手で 器用に傘をたたんだレイは 小猫を落とさないように注意しながら

傘を入り口の脇に立て掛けた。

片手を使って 靴を脱ぎ、 壁の電気のスイッチを入れながら 部屋の中へと進んだ。

 

チ・・・チチ・・・・・・・・・・・・・・・パッ!

 

幾度かの点滅の後 部屋が明るくなった。

がらんとした・・・・・何も無い部屋だ。

窓の脇のベッドと 薄汚れたカーテン・・・・散在する薬と 無造作に置かれた下着・・・

・・・水道・・使った形跡の無い台所・・

・・・水が少し入ったコップ・・・

・・・・

 

ほとんど 数えるほどしか物が無い。

普通の人間ならば 不自由な環境だろうが、 レイにとっては恐ろしく無駄の無い 生活空間だ。

いつもなら 買ってきたコンビニのサラダを 何度か口に運び 水を飲んで 制服を脱いでシャワーを浴びて寝てしまうところだが

今日は少し事情が違う。

なにせ ネコを拾ってきたのだ。

 

部屋を見渡したレイは しばし考えた後 小猫をタオルごと そっとベットに置いた。

注意深く タオルをどけると 少しすすけた 白くて小さい猫が現れた。

体を小さく丸め 顔を自分のおなかに埋めている。

レイは 自分の手を そっとその猫の背中に当てた。

ゆっくり上下している・・・ 眠っているのだろう。

レイはしばし、やさしくその小さな背中をなでていた。

 

(・・・・・・・・・あたたかい・・・・・・・・)

なんだか自分の手の方が よほど冷たく思える。

 

ふわふわの感触を味わっていたレイは 急に立ち上がると 台所の脇の 冷蔵庫の前へと歩いた。

冷蔵庫と言っても レイの胸のあたりまでしかない小さな物だ。

ほこりが積もり 使った形跡はまるでない。

 

ガチャ・・・・・・

彼女は 扉を開けると 中を覗き込んだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・氷・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・薬のビン・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

他にはなにも入っていない・・・

パタン・・・・・・・

開ける前から予想がついていたのか?

表情一つ 変えずにレイは扉を閉めた。

 

再び猫のもとに戻ると 彼女は もう一度猫にタオルをそっと かぶせた。

それから少し手を止めて考えた後、 タオルの周りを自分がいつも使っているシーツでくるんだ。

最後に タオルの上に少し隙間を空けて 灰色の猫の横顔が見えるのを確認すると、

玄関で靴をはき、傘を手にして扉を開けた。

 

どこかにいくつもりである。

 

 

 

 

・・・・・・・ガー・・・・・・・・・

「はい! いらっしゃい〜」

店内に 景気の良い声が響いた。

着いたのは スーパーだ。

 

レイは入り口で きょろきょろと四方を眺めた後、まず 色とりどりのタオルが売っているところに来た。

その中から 一番ふわふわしたタイプの できるだけ大きなものを手に取ると、すたすたと

こんどは食器売り場へと足を運んだ。

茶碗・・・・・・湯飲み・・・・・・お皿・・・上の段から ずずっと眺めたレイは 一番下の段に目を止めた。

彼女は 少し しゃがむと、 なるべく 平らで 底の浅い 平べったいお皿を 吟味しはじめた・・

陶器のものとプラスチックでできたもの・・・二つを手に持ち見比べた後

プラスチック製のくまの絵がついたものを持って 立ち上がった。

 

(なんか・・・今日はえらく楽しそうだな・・・・)

レイが店内に入ってきてから その行動を眺めていた レジの中年の男は 軽い驚きとともにそう思った。

・・・なにを隠そう彼はこのスーパーの店長だ。

 

レイはこのあたりでは ちょっとした有名人だ。

ほとんど何もしゃべらない 水色の髪の少女・・・しかもとびきりの美人ときている。

おまけに その目の色は 真紅だ・・・・・これで 有名にならないほうがどうかしている。

この稼業を20年やっている店長にしてもレイのようなお客は始めてだった。

そんなわけで、初めて店にやってきた時から どうもその彼女の行動には 興味がわいてしまうのだ。

 

しかし、つまらないことに 一週間に一度 来る 彼女の買うものは決まっていた。

・・・・・・・・出来合のサラダと食パン・・・・・・それとたまに 石鹸・・・・・・・・

みごと 100% 完璧にそれだけだった。

おかげで彼は レイがその商品を持って 無言でレジにやってくる前に 税込みでのその値段を暗記してしまっている。

しかも 店の中を回るルートまで 毎回毎回 同じだ。

 

・・・・・・・・・『ロボットのような子』・・・・・・・・・店長の印象は ぶっちゃけた話これであった。

でも 、今日のあの子はどうだ?

入ってくるなり いつもとは違う方向に歩き始めて 驚いたと思ったら、こんどはタオルとお皿を手に取ってる。

買うものがいつもと全然違う。

しかも どうやら買う時に考えて まよっているようだ。

さらに 今までずっと彼女を気にしていた彼にだけわかることだが レイの表情は どこか この買い物を楽しんでいるかのようだ。

どれもこれも 彼にとっては驚愕すべき事実である。

でも、店長にとって それがとても嬉しいことなのは確かだった。

 

(よし!今日はサービスしてやろう・・・) 店長はそんな事を考えていた。

 

・・・・・・・ガー・・・・・・・・・

と、また お客が入ってきた。

「あっ! いらっしゃーい!」

 

これまた 常連だ。

この子はほぼ毎日やってくる。

買うものは毎日違う・・・・・・ごく普通の主婦が買うような 夕飯の材料だ。

ただ それを買う子が、まだ中学生くらいの男の子なため 非常にこれまた印象深い。

・・・ペコ・・・

しかもいつも 店に入ってくると 私に軽く会釈をする・・・今時少ない 礼儀正しい子だ。

 

「挽肉は・・・・まだ残ってたよなー・・・」

独り言を言いつつ シンジは買い物カゴ を手に取った。

「ケチャツプと トマトペーストと・・・・」

ぶつぶつ言いながら シンジは手慣れた感じで テキパキと買い物を済ませてゆく。

あっという間にカゴの中は いっぱいになった。

そして、家を出る時に赤い髪の少女から言われた事をシンジはふと、思い出した

「あ、そうそう・・牛乳を買ってこいっていってたな・・・アスカは毎日飲むからなぁ・・」

買い物中は 饒舌になるのか、シンジは良くしゃべる。

重くなったカゴを下げながら 牛乳の売り場へと歩いていった。

(あれ・・・・・・学校の 制服だ・・・・)

 

売り場にいた先客は シンジと同じ中学の制服の少女だ。

「あ・・・・・綾波・・・・・・・」

「・・・・・・・・・!・・・・・・・・・・」

呼ばれてレイは 小さなパックの牛乳を持って 振り返った。

 

・・・・・ドクン・・・・

「・・・い・・・・・・・碇君・・・・・・・」

 

そこには 買い物カゴを持ったシンジが 驚いた顔で立っていた。

シンジが驚いたのは レイがここにいること・・・・も、少しあるが、なによりも 彼女の顔が原因だ。

いつもは透き通るほど白いレイの顔は 真っ赤に染まっていた。

なまじ 色が白いので それがとても良く目立つ・・・腕まで赤い・・。

それに どことなく 落ち着かない様子で 視線をさまよわせている・・・いつもの落ち着いた彼女からは 想像できない。

まるで なんと言うか・・・その・・・・・いたずらしている所を見られた子供のようだ。

「・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・」

しばし 無言の時が流れる・・・

先に口を開いたのはシンジだ。

「・・・・・綾波も・・・買い物?・・・」

「・・・・・・・・うん・・・・」

「僕は 晩御飯の買い物なんだ 今日はミートソースにしようと思って・・・」

「・・・・・・・・そう・・・・・」

「綾波も、晩御飯買いに来たの?・・・」

「・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・」

 

シンジの顔を見るような見ないような・・何処を見て良いのかわからないようなしぐさをしていたレイは

問われて黙り込んで 下を向いた。

「・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・違う・・わ・・・」

 

「・・・・?・・・・・・」

 

「・・・・ネコ・・・・・・・」

 

「え・・・・ネコ?・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 

「・・・・・その・・・・牛乳?・・・・・・・」

 

・・・・・・コクン・・・・・・

下を向いたままレイは小さくうなずいた。

水色の髪が少し揺れ、その隙間から まだ赤く染まったほっぺたが見える。

 

「綾波・・・・ネコ飼ってたっけ?・・・」

二度ほどレイの家に行ったことのあるシンジだが ネコなど見たことはない。

「・・・・・・・・・・・・」

レイは無言だ

「・・・・ひょつとして・・・・・・」

その時 シンジはレイの持っているものに 気がついた。

(大き目のタオルと・・・・底の浅いお皿・・・)

そして牛乳・・・こうきて わからないわけはない。

 

「・・・拾ったの?・・・・」

 

−−−ビク!−−−

核心を突かれて レイの肩が震える。

「・・・・そうなんだ・・・・」

それを肯定と受け取ったシンジは 納得顔になった。

依然として赤い顔をして うつむいているレイを見ていたシンジは

何とも言えず ほほえましい あたたかい気持ちになった。

(そうか・・それで いろいろ買いに来たんだ・・)

 

「綾波?・・・」

「・・・・・・・」

「そのネコ・・・小猫?」

・・・・・・コクン・・・・・・

「そ・・・それならね・・・」

シンジは 買い物カゴを下に置くと 沢山の牛乳が置かれている棚の方を向き、何かを探し始めた。

「えーっと・・・」

その横で下を向いていたレイは そっと上目ずかいにシンジが自分の方を見ていないことを確認すると

顔を上げて シンジを見た。

「あ・・これこれ・・・・・・・」

シンジは数ある牛乳の中から 一つを選ぶと それを掴んだ。

それをレイに見せると、

「これは乳糖を分解した 牛乳でね、牛乳を飲むと おなかが痛くなっちゃう人用のものなんだ

まだ小さいネコはお腹をこわしやすいから これの方が良いと思うよ・・・・はい、」

そう言って レイにその牛乳を差し出した。

事の成り行きについていけないレイは 大きな目を更に大きく開けて

その牛乳のラベルを見つめた。

「・・・・・・よ・・・余計なお世話だったかな・・・・?」

「・・・・・・・・!・・・・・・」

バツの悪そうなシンジの声に レイは自分の持っていた 牛乳をいそいで もとあったところに戻すと

おずおずと、シンジから牛乳を受け取った。

 

「あ・・・・・・・ありがとう・・・・・」

レイの感謝の言葉に 自分もすこし顔を赤くしたシンジは それを隠すように、慌てて 置いてあったカゴを持ち上げた。

「・・・・ミサトさんの受け売りの 知識なんだけどね・・・・・・」

しかし、更にミサトのうんちく豆知識を思い出したのか 小さく声を上げた。

「・・・・・・・あ、・・・・・・」

 

「・・・・・・・?・・・・・・・・」

「そのままじゃ 冷たいから 少し火に掛けて温めた方が良いよ」

 

「・・・・・・・・・・・・温める?・・・・・・・・・」

「そう・・小さな鍋にでも入れて コンロで・・・・」

そこまで話して シンジはふと 考え込んだ。

 

(そんなもの・・・綾波の家にあったかな・・・・)

考え出すと 不安な材料がどんどん出てくる。

(それ以前に、あの台所は使えるのかな・・しかも、あの部屋には暖房設備なんて無いような気がするし・・)

シンジはちらりと レイを見た。

(綾波には悪いけど・・大丈夫かなぁ・・・)

「あ・・・あのさ・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・何?・・・・・・」

「あの・・・・世話・・・手伝おうか?・・・」

「・・・・・!?・・・・・・・」

狐につままれたような顔になったレイはシンジを 不思議そうに 見つめた。

シンジは その視線に、今とっさに自分の口を突いて出たセリフを思い返して、慌てて弁解をはじめた。

「い・・いや・・別に変な意味じゃなくてさ、綾波は 慣れてないみたいだし

・・ほら!あの・・・料理はいつもやってるし・・」

(ネコのミルクのどこが料理なんだ・・)

「あ、あははは・・だ・・・駄目かな・・・・」

勝手にしゃべる自分の口に シンジは頭の中で突っ込みを入れる。

 

どうも シンジはレイの視線が苦手である。見つめられると すぐに 思考がどこかに行ってしまう。

赤い顔でしどろもどろなシンジを 見ていたレイは 逆に落ち着いたのか、その顔を見て

少し目を細めた。

(綾波が笑ってる・・・)

シンジの思考能力はすでに ゼロ

 

・・・・コクン・・

レイは小さくうなずいた。

その顔は とても嬉しそうだ。

(!?・・・・・・い・・・今のは どういう意味だろう?・・・・駄目って事に対するうなずきかな?

そ・・それとも お願いするって事かな?・・・・ええ・・・・どっちだろ・・・)

困惑するシンジの前で レイはゆっくりとレジの方へと歩いていった。

「・・・・・・・・」

混乱したままなんとなく それについて行くシンジ。

 

二人はレジに並んだ。

「はい、どうぞー」

 

レイはレジに商品をならべた。

ピ・・・ピ・・ピ・・

軽快に店長はバーコードを読み取って行く。

「えー、全部で1125円・・・だけど、お嬢ちゃんはいつも来てくれるから1000円でいいよ、まけとくよ!」

隣のシンジを気にしつつ、マネーカードを差し出したレイは その言葉に 驚いた顔で店長を見た。

「・・・・・え・・・・・」

「お嬢ちゃんは 美人だから特別に、だよ、」

中年の男は 実に嬉しそうに 微笑んだ。

経験した事の無い出来事に すっかり驚いた顔のまま固まったレイは そのままの顔で横のシンジを見た。

「良かったね 綾波。」

今度はシンジも レイに笑いかけた。

その顔を見てレイは 少し表情を和らげると、ほほを染めて 店長の方を向いた。

「・・・・・・・・ありがとう・・・・・」

 

ピピ・・・・ピ・・・ピ・・・

今度はシンジがレジの番だ。

ふと、シンジは先に支払いを済ませたレイの方を見ると 彼女はビニール袋を両手で持って

自動ドアの前で 自分の方を向き 無言で立っている。

シンジを待っているのだ。

(あ・・・・・手伝ってもいいって事だったんだ・・・・)

シンジは胸をなで下ろした。

「・・・・・・円です。」

「あ、はいはい・・・」

シンジのマネーカードを受け取った店長は にやりとシンジに笑いかけると、

「お客さん・・・あの子・・・お客さんのコレですか?」

そう言って 右手の小指を立ててみせる 店長。

「え・・・?・・・・・い、いや!!ち!!違いますよ!!・・そんな・・・」

「はーっはっはっ いやぁーこれは失礼!」

 

「まいどありー」

いつもよりひときは大きな店長の声に 送られ、レイとシンジはスーパーを出た。

 

 

「・・・・・・・・・・・・・・どうしたの?・・・・」

「え?・・・な・・なにが?」

「だって・・・・・・・・・・・・今・・・・・・・・お店で・・・・・」

「あ!あは・・あはは・・・な、何でもないよ!なんでも!」

「・・・・・そう・・・・・」

 

レイの家までの道はとても短かった・・・・時間にしたら3分くらいだろう。

レイと何を話して良いかわからなかったシンジにとっては とても助かった。

 

ガチャ・・・

「・・・・・・・・・・」

「・・・・お、・・・・・・お邪魔します・・・・・・・」

 

無言で部屋の中に入ったレイの後に続いて シンジがおっかなびっくり 玄関をくぐった。

 

(相変わらずな部屋だな・・・・・)

シンジは以前、訪れた時と まったく変っていない 部屋の中を遠慮がちに見回した。

(アスカの部屋とは大違いだ・・・)

何かの用事でアスカの部屋に入る時は やっぱり意識して、どきどきしてしまうシンジだが

この部屋には女の子っぽさのカケラも感じられない。

ある意味、シンジのかわりに 心拍数が上がってるのは さっきからシンジに背中を向けているレイのほうだ。

 

ドキ・・・ドキ・・・ドキ・・ドキ・・

(・・・いかりくん・・・)

シンジと二人っきりで自分の部屋にいる事から来る鼓動の高鳴りなのだが 彼女にはどう対処して良いかわからない

でも、嬉しいような はずかしいような 不思議な気持ちだ ・・嫌じゃない・・・

 

「綾波・・ネコは・・・・・これ?」

ベットの真ん中に タオルとシーツで二重巻きにされた物体を目にしたシンジがたずねた。

問われて 初めてシンジの方に向き直ったレイは シンジの指差すものを見て うなずいた。

 

「・・・うん・・・」

レイは 、すっ・・と その前に移動すると かがんで シーツとタオルをゆっくりはずした。

 

「・・・・・・かわいいね・・・・・」

横からそれを覗き込んだシンジは率直な感想を述べた。

「・・・・かわいい?・・・・」

「そう・・・思わない?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・良くわからない・・・・」

無表情のまま眉をひそめるレイを見下ろしたシンジは少し楽しそうに言った。

「じゃあ・・なんで拾ってきたの?」

 

・・・ぴく・・・

 

レイの目が大きくなる。

(・・・・・・・どうして?・・・・・・・・私・・・・・・)

言われてみればもっともな意見だ。

しかし 依然としてその答えは 彼女の中には無い。

難しい顔で 黙りこんで しまったレイに シンジは話し掛けた。

「あ・・・あのさ、その・・随分汚れてるみたいだからお風呂場で洗ってあげた方が良いんじゃないかな?」

「・・・お風呂場・・・」

「・・そう・・」

 

「・・・・うん・・・・・そうするわ・・・」

神妙な顔でうなずいたレイは さっそくネコを両手で抱き上げると シャワールームへと歩いていった。

 

その後ろ姿を見送ったシンジは、 台所の方へと行った。

( こ・・・これは・・・ )

案の定 台所にはまったく使った形跡が無い。

流しには少し水の流れた後はあるが、その周りには ほこりが積もっていた。

(綾波・・・・・どんな生活してんだろ・・・)

 

レイが買ってきたタオルの封を切り、ベットの上に置くと 今度は 小猫をくるんでいた 汚いタオルを奇麗に洗い、

それを雑巾の変わりにして 台所のまわりを奇麗に掃除した・・・・・実に手際が良い・・・すっかり主婦業が板についている。

「人肌の温度・・・人肌の温度と・・・・」

そして 買ってきたミルクを洗ったばかりの小さな鍋に注いだ。

 

「きゃ!」

レイの短い悲鳴が聞こえたのはその時だ。

「綾波? 大丈夫?」

鍋を置くと、シンジは手についた水を払いながら シャワールームの方へ進んだ。

(制服に水でも 引っかけられたのかな?・・・ネコは水を嫌うから・・・)

考えながら シンジはバスルームのドアの前までやってきた。

・・・・シャー・・・・・・・

ドアは半分ほど開いている。

バスルームは 洋式のユニットバスタイプのもので、トイレと湯船の仕切りが無いタイプだ。

お風呂に入る時やシャワーを浴びる時は 特殊なカーテンで 仕切って使用するのだ。

半分開いたドアから 見えたものは閉められたカーテンと キチンとたたまれ、脇に置かれた制服だけだ。

・・・・シャー・・・・・・・

「にゃにゃ!にゃー」

「・・・・・あ!・・・・逃げては駄目・・・・・」

中からは 苦戦しながらも、どこか楽しそうなレイの声が聞こえる。

(大丈夫そうだな・・・)

それを聞いたシンジはそう安心して・・・・・・・・・・?・・・・・・・・

(キチンとたたまれた・・・・・制服!?

そう、あろうことか レイはネコを洗うのに、自分もいっしょにシャワーを浴びているのだ。

カッ!

顔の毛細血管が一瞬にしてすべて開いてしまったシンジ。

(あ・・あわわ・・・・)

なぜか 抜き足差し足で シンジは音を立てないよう 泡を食って 台所へ退散した。

ドッ・・・ドッ・・・ドッ・・・ドッ・・・ドッ・・・

心臓が勢いあまって口から出てきそうだ。

 

(え・・・えーっと・・・・ミルクを・・)

などと考えながらも シンジの頭の中には 以前、 不慮の事故で眼にして以来 消えた事の無いレイの裸が

ものすごい勢いでフラッシュバックしていく・・・しかも 本人の意思とは完全に無関係にだ。

 

(落ち着け・・落ち着け・・・そうそう・・・・ミルクを人肌に・・・)

レイの姿をやっと脳味噌のすみっこに追いやり 、結論にたどり着いたシンジだが

神は無情にもその努力を打ち砕いた。

 

・・・・シャー・・・ キュ!

レイがシャワーを止めた音・・・・

 

シャ!

レイが 防水カーテンを開けた音・・

 

バサッ・・・

おそらく バスタオルを 取った音・・・

 

ガチャ!

おそらく バスルームのドアを開けた・・・・って!

 

(服を着てる音が無いいいぃぃぃ!)

 

シンジは 頭の中で絶叫した。

そう、前の時も レイはシンジの前で 平然と裸でいたのだ。

 

ペタ・・ペタ・・・

どこか 水っぽい気がする 歩く音・・・

「・・ニャーオ・・・」

ネコの声・・

 

(ああ・・・ああ・・・うう・・おお)

頭の中に存在する 文字列が あ行しか使えなくなったのか、混乱を極めたシンジは それでもほぼ条件反射的に

右手・・・つまり、壁の方向を向いた。 そのままギュツと 両目を強く閉じる。

 

ペタ・・ペタ・・・ペタ!

 

「碇君?」

 

 

 

 

 


レイと 家に 二人きり・・・・

ピンチだシンジ!

はたして、もっとピンチになってしまうのか?

さらなる騒動を起こす レイと捨て猫!今度はなにが起こるのか?

次回

雨の日の贈り物 −後編ー

お楽しみに!

 

・・雨の日の贈り物は 彼女にとても大切なもの・・


 

後編を読む

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