HANATARE
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◇宮仕え無常◇

薄曇りの土曜日。そんな今日が過ぎると9月が終わる。今月は、入社して以来1、2番目を争うくらい忙しい月だった。帰宅してもなかなかキーボードに手がかからずに、とりあえず体を横たえる日々が続いた。それでも、そんな忙しさを新鮮だとも思う。今までが逆に暇過ぎたし、そんな日々もそれはそれで辛かったから。

忙しくなった理由は二つあって、一つは単純に依頼されてくる検査の量が増えたこと。もう何度か言った気もするけれど、俺の仕事は試験管をカチャカチャやってるイメージで合ってる検査職。

そしてもうひとつの理由は、法律改正に絡む書類審査の仕事が次々と舞い込んできたため。これが本当に辛い。19時頃、日常の検査業務を終えて疲れ切った俺の目に飛び込んでくる岩のように固い文体の塊りは、誰かがとうもろこし畑の真ん中で口ずさむ牧歌的な独り言のように俺の脳の表面をつるつると滑ってゆく。そんな文字列に楔を打ち込むように、必死で書類に意識を押し付けながら審査を進めてゆくものだから、会社を出る頃にはとにかく脳がパンパンになっている。ほんと、この書類審査の仕事だけは早く終わって欲しいのだけれど・・・…。

 

来るものは拒めず。げに悲しきは宮仕えかな。

 [ '06/09/30(土) ]




◇お金の世界◇

インドでは、今レトルトカレーが大人気らしい。急速な経済発展を遂げるその影で、手料理を作る余力を失った女性達が好んで利用しているようだ。インドの食卓にはカレーは欠かせない。仕事は忙しくなったけれどお金はあるのだから、そのぶんカレーのための手間はお金で解決しようというわけだ。

それってどうなんだろうね。俺は一抹の物寂しさを感じてしまうけれど。だって各家庭それぞれで親から子へと伝統的に守り伝えられてきたカレーを作るという伝統が、お金を稼ぐ代償に失われていくなんて。幸せを求めるという点で、なんだか本末転倒な気がしてならない。

ネットを見渡せば仕事へのストレスを吐露した文章が溢れ、街にはそのストレスをお金を使って解消するための癒し産業がいたるところで賑わいを見せている。ストレスを溜め込んで稼いだ金でストレス解消。なんだかこれも、本末転倒な気がする。

お金ってなんだろう。

俺はお金は豊かに暮らすために必要だけれど、それを稼げば稼ぐだけ幸せに暮らせるものでは無い気がする。というはやはり、お金を稼ぐために失う豊かさもあるから。簡単に言えば、お金を稼ぐことで得られる豊かさは、お金を稼ぐことで失う豊かさを犠牲にして得ているということ。失う豊かさというのは自由だとか、人によっては健康だとか。どっちの豊かさが自分にとって幸せなのかは人それぞれだから、そのバランスを考えて生きなくちゃいけないと思う。

そしてこんなことをウダウダと考えている俺は言うまでも無く厭世的な人間で、お金で得られる豊かさはそんなに大切じゃないんだけれど、全く必要ないわけでもないので仕方なく働いている。今の世の中はお金が無いとかなり暮らしにくい構造になっているからな。でも何をするにも金が必要な世界にしちまって、お前らそんなに金で得られる豊かさが幸せなのかよって、たまに世界中の人間に問いただしてみたいって思うこともあるよ。

 [ '06/09/25(月) ]




◇アサヒノウラ◇

次から次へと押し寄せる紺碧の荒波に、ただひたすらにサーフボードをぶつけて乗りこなし続けたかのような、身芯にズシリと重い疲労感の残る忙しい一週間だった。

金曜日の朝、最早習慣となってしまった部屋の中でくるくると踊るような動きで身支度を整え駅へと向かう。嗚呼、今日の仕事もどう整理して考えても忙しいなあ。そんなことを思いつつ、改札の前でいつも財布を入れているポケットに手を入れる。しかしそこから出てきたのは携帯電話。

「げ!」

どうやら財布と携帯電話を間違えて入れてきたらしい。携帯電話も当然必要なんだけど、間違えて財布用のポケットに入れてしまったようだ。会社までの定期は財布の中に入っている。財布は……どこにも入っていない。

「やっちまった……。」

心の中でそう呟き、くるりと駅に背を向ける。普段ならば有り得ない時間帯に着く家路。肩越しにすれ違うサラリーマン達は皆誰も少し疲れた表情をしているように見える。週末だもんな。

その波をかき分け歩くうちに、いつしか体は不思議な高揚感に包まれてゆく。いつものこの時間帯には歩けないはずの道程。死ぬほど歩き慣れた道なのに、歩くことが許されない時間帯に歩いてみるだけで世界はこんなにも違って見えるのか。毎朝浴びて歩いている朝日を裏側から覗く。草木のざわめきが反対側からやってくる。鳥が歌う。駐車場のガードマンの顔がいつもより面白く見える。

 

そして結局始業には到底間に合わない時間の電車に乗る。いつもよりガラガラの車両が新顔だなと言って僕を飲み込む。時間なんてどうでもいい。今度は何が、見えるだろうか。

 [ '06/09/23(土) ]



◇秋雨の朝◇

平日の朝、いつもと同じ時間に家を出て、いつもと同じ信号の前で足を止める。空からはシトシトと降り続く雨。冷たい空気が秋の到来を告げている。突然、背後で響く大きな物音。振り向くと、おじいさんが自転車ごと転倒している。すぐさま駆け寄り、声を掛けつつ自転車を起こし直す。おじいさんはお礼を言いつつも、何か納得のいかない表情。そのままフラフラと、再び走り出して行った。

何の気無しに、そのおじいさんの後姿を見送る。すると数十メートル走り出したところであろうか、再びおじいさんの体が左右に大きく揺れる。嫌な予感。そしてその予感は的中し、数秒後におじいさんはそのまま側道の街路樹に身を埋めていた。前から飛び出して来た小学生の集団を避け切れなかったらしい。飛び出して来たと言うのはおじいさんの言い分で、俺にはそうは見えなかったけれど。大人が転倒するというのは思いのほか子供にとっては怖いものだ。子供達は神妙な表情でおじいさんを眺めていた。

「お前達、だめだよ。危ないじゃないか。」

そう言って、おじいさんは街路樹の中から子供達を怒鳴りつける。しかしおじいさんが本当に憤りを感じていたのは子供達に対してではあるまい。恐らくは自己の意識と衰え行く身体能力との間で広がる齟齬に、葛藤を感じずにはいられないのだろう。そんなおじいさんの気持ちを慮り、今度は声を掛けずにその前をスッと通り過ぎる。武士の情けだ。とは言いつつも、やはり手を差し伸べるべきだったのではという思いも断ち切ることが出来ない。親切とお節介の境界線はどこにあるのだろうか。そんなことを思い、数メートル歩いた先で再び後ろを振り返る。

 

答えを知る者はただ独り、雨の街路樹の中に埋まり濡れる。

 [ '06/09/16(土) ]


◇佐賀のがばいばあちゃん◇

先日紹介した「佐賀のがばいばあちゃん」。文庫本を早速買って見た。

読んでいて、なんとなく記憶のある箇所がある。ああそうだ、著者である佐藤洋七さんのコントで見たことあるんだ。なるほどなあ。あのネタはこのおばあちゃんから生まれたものだったのか。

そんなことを思いながら読み進む。話は思っていたよりも涙を誘う話が多かった。

 

そして涙もろい俺。

 

 [ '06/09/14(木) ]


◇夢の旅◇

人間死ぬまで夢を持て。その夢が叶わなくても所詮夢だから。

先日耳にした素敵な言葉。「佐賀のがばいばあちゃん」という文庫に載っている「おばあちゃん語録」のひとつらしい。この方は実在の人物で残念ながらもうお亡くなりになられようだけれど、そのお話は文庫の他に映画や漫画にもなっている。

夢を担いで歩くというのは楽しいものだけれど、時として苦しい。夢旅の道中にはふと気付くと道を逸れ、深い森の中に迷い込んでいたり、眼前に茫洋たる暗黒の海が広がることもある。そんな時に、これはとても優しい言葉だと思う。

ちなみに「がばい」とは佐賀の方言で「すごい」という意味なんだって。他の語録も聞いてみたいな。今度文庫を買ってみよう。

 [ '06/09/12(火) ]


◇ガチャピンBOX◇

先日とある知人より、ガチャピンBOXのご意見ご感想メールが送れないとのご指摘を頂きましたので修正致しました。その他にもご迷惑をおかけした方がいらっしゃいましたらお詫び申し上げます。

今日はむっちゃ暑いなあ。過ぎ行く夏の最後の抵抗。

 

 [ '06/09/10(日) ]


◇お台場◇

お台場は、なんでお台場って言うのか知ってる?江戸時代にアメリカが来航してきた時、大砲を置いて迎え撃った場所だからだよ。レインボーブリッジの下に幾つかの小島があるじゃん。あの場所で。もっとも来航したアメリカ船を見て日本は対抗するのを諦めたから、実際には大砲は撃たれなかったんだけどね。

なんて、友人から聞いた薀蓄のウケウリだけれど。休みの日にレインボーブリッジを越えてゆくお台場は、普段仕事で通り過ぎるお台場と違ってどこか優しく柔らかな空気に満ちている。そして傍らには気の置けない仲間達。あっという間に過ぎてゆく時間の中で、日頃の疲れやストレスが緩やかに洗い流されてゆくのを感じる。そして楽しかったという言葉が自然と口をついて出る幸せを素直に嬉しく思う。

 

単身東京に出ててきて10年。色んな人に出会い、独りでは歩けないことを知る。

 [ '06/09/09(土) ]


◇ホテルカリフォルニア◇

どこまでも続くハイウェイ。吹きつける熱風に髪が揺れる。辺りにはコリタス草の甘い香りが漂い、遥か前方に見えるのはホテルカリフォルニア。♪ウェルカムテューザホッテルカーリフォーニャ♪

て、これはTHE EAGLESの名曲「HOTEL CALIFORNIA」に対する俺のイメージ。本当はもっとしっとりした曲なんだけどね。暗いハイウェイを彷徨い辿り着いた先はホテルカリフォルニアだったみたいな。でもいいです俺にとってのホテルカリフォルニアはいつでも明るく輝いているから。

HOTEL CALIFORNIAはほんとに聞いてて気持ちのいい曲。特にドライブにはよく合う。大好き。この曲のモデルとなったビバリーヒルズホテルにも、いつか行って見たなあ。

 [ '06/09/05(火) ]


◇パセリ◇

緑色のピグモンを連想させる小さな葉の群集が、蛍光灯の優しい光に照らし出され鮮やかに輝く。その輝きの美しさに惹きこまれるように、思わず右手を差し伸ばす。

そして家の冷蔵庫に鎮座する一房のパセリ。パセリって、どうやって食せば良いのだろうか。しばし頭を悩ませる。例えば、味噌汁に入れたらどうだろう。シャキシャキして意外に合うんじゃないだろうか。あ、玉子焼きに混ぜてしまうのもいいかもしれない。色的にも味的にもいいアクセントになりそうだ。ネギ代わりに納豆にでも入れるのもアリかもしれないな。ていうか、思いつきだけで物を買ってしまうこの性格をまずどうにかせねば。買う前に少しは考えようぜ自分。

 

結局は、刻んでトマトと和えてサラダで食べる。味よりも、その健康的なイメージに心を満たされる。

 [ '06/09/01(金) ]


◇再載◇

8月18日に書いたはずの文章が消失してしまっていることに気付く。確か、雨の日の話を書いたのにな。たぶん自分の操作ミスだと思うけどあまり心当たりが無い。まあ心当たりがあればたぶんその時気付くから、たぶん消失なんてしてないんだろうけど。

書いた文章が消えてしまうというのは意外と寂しいなと思う。どんな駄文でも一度書いたものには小さな思いが入っているから。朧気な記憶を頼りに思い出しながらもう一度書き直してみる。

◇神鳴り◇

何も無い空のどこに、これだけの水を隠しておけるのだろうか。手品のような大雨。これだけ大量の水があれば、きっと空には魚だって棲める。

その後で、さっき撒き散らした水を全て回収しようかというような快晴。かと思えば再びの大雨。どうやら今日は空に棲む神様の機嫌が悪いらしい。何か嫌なことでもあったのだろうか。火星の神様に、変なロケットをうちまで飛ばすなと叱られたとか。月の神様に、変な建物を勝手にうちに建てるって言われたとか。

そして神鳴り。神の怒り。暗雲を切り裂いて、それは白刃のようにきらりと光った。

〈 '06/08/18(金) 〉

こんな文章だった気がする。ちょっと違ってるところもある気もするけど、まあいいか。

 [ '06/08/31(木) ]


◇神輿◇

リンギのハナは祭りの華。足運びにも自然と力が入る。威勢のいい掛け声が家の前で木霊する。何十人もの担ぎ手の肩の上で夏の光に照らし出された神輿は、気分良さそうにその体を揺すっている。

神輿という文化には関東に来て初めて触れた。島根では山車のほうが一般的だから。神輿、去年は何度か担いだけれど、今年はまだ一度も担いでいないな。箪笥の奥で去年買った鯉口は眠ったままだ。

 

さっきまで家の前にあった掛け声が、いつの間にか遠のいている。夏が過ぎ行く。

 [ '06/08/29(火) ]


◇暖簾◇

仕事帰りに、ふと無性に旨い日本酒が恋しくなる。

地元駅の改札を抜け、少し歩いたところで見慣れた紺色の暖簾を潜る。家からほどほど近くにあるその店は、ほどほどに旨い日本酒を何時の季節でも出してくれる。そのほどほどは、どちらも俺を満足させるには十分である。お決まりの地鶏の唐揚げを頼みながら、出てきた日本酒を口に運ぶ。

そういえば、派遣でうちの会社に勤めていた若い男性に言われたことがある。よく一人でそんなこと出来ますねって。自分だったら寂しくて絶対出来ないって。ファミレスが精一杯らしい。

そしてそう言われた時に俺が思ったことは、ああそういう感覚もあるんだなという感想。一人で呑み屋に入ることを、寂しさと関連付けて考えたことはあまりなかったから。彼女とだって行くけれど、一人で行くのも悪く無い。たぶん俺の場合はひとり呑みの風情に憧れているところがあって、むしろそれを格好いいと思っているから。きっと似合ってないだろうけれど。

 

むしろ、ファミレスに一人で入るほうが気を遣うけど。それはちょっと緊張する。

 [ '06/08/22(火) ]


◇高校野球◇

火の出るような真っ直ぐが、キャッチャーミットにズドンと収まる。白刃を連想させるバットが、強く鋭く振りぬかれる。白球が空を舞う。真っ白なユニフォームが土色に染まる。

高校野球は、どうしてこうも素晴らしいのだろうか。それはきっと個と集合の素晴らしさの結晶だからだろう。様々な個性のある選手が集まって一つのチームとなり、そのチームが集まって初めて試合が繰り広げられ、そんな試合が集まってよくやく高校野球の大会となるのだ。

でもきっと、高校野球の素晴らしさはそれだけではない。生まれてくることの素晴らしさ、人生の尊さ、若さの美しさ。そういった様々な魅力を高校野球は内包している。

今年の甲子園決勝は壮絶な試合となった。別にどちら側を応援していたわけでもなかったのに、観ているだけで底の見えない海のようにグイグイとその内容に惹き込まれる。攻撃側のチームにランナーが出るたびに、守備側のチームよ頑張れと拳に力が入る。酒なんて飲む気にもなれない。その試合には酒呑みの余興にしてしまうには勿体無な過ぎるほどの感動と気高さがあったから。

 

結局延長15回を闘い1-1の同点で再試合。テレビの前で立ち上がり、思わず両手を打ち鳴らす。

 [ '06/08/20(日) ]


◇夏蝉◇

仕事場からの帰り道。道端の芝生の上に置き去りにされた一つの虫篭。少年はどこへ消えたのだろう。

虫篭の中には一匹の蝉。どのくらいの間、そうして置かれているのだろうか。土の中で地上に出る日を夢見て6年間を過ごし、やっと辿り着いた楽園で彼らに与えられた時間は一週間。人にとっての10年間が、およそ1日で過ぎてゆく。そんな彼らの儚い時間を、虫篭の中で過ごすのは余りに切ない。たとえ数時間でも。邪知暴虐の王よ。今すぐこの場に馳せ参じ、罪の無い蝉を開放してやるのだ。そして今後二度と己の虚栄心の為に儚い命を悪戯に弄ばないと誓うのだ。

油を撒き散らすように、蝉達の鳴き声が広がる。暑苦しいその鳴き声も、彼らが今過ごしている時間の本質的な美しさを思えばどんなオーケストラだって敵わないと思う。

 [ '06/08/17(木) ]


◇土のちから◇

島根の生家から東京へと戻ってきたときに、俺が心地よくないなと思うことの一つに土の少なさがある。

綺麗に舗装され装飾された東京の大地。しかしそこには何の温もりも存在せず、それはただ人が人のみの世界を築くために敷き詰められた死の石敷きに他ならない。土の温かみを体に覚えて東京へ戻ってきたとき、それはなんと殺伐としたことか。

土の大地は踏みしめるもののみならず、生命の母である。啓蟄の頃の草木や虫の高揚感を、土を通して感じることが出来た素晴らしさをどうしてこの地は放棄してしまったのだろうか。自然と共存することは決して自然のためのみではなく、むしろ人にとってとても力強い生命力をもたらしてくれるのに。

敷き詰められたアスファルトの床を秩序とするならば、土の大地は感動だ。どちらも必要なものではあるけれど、アスファルトの秩序はもう少し土の大地の感動に遠慮がちに敷かれていればいいのに、と思う。

 [ '06/08/16(水) ]


◇おたまはん◇

島根に帰省した時に、おたまはんを買ってきた。

おたまはんとは、鍋に用いるおたまでも、近所のおばはんでもない。島根で生まれたタマゴかけ御飯専用醤油のことである。って、島根の人以外でも今では結構知っているのかもしれない。関東のスーパーでも売られているしね。

おたまはんは当然だがタマゴかけ御飯によく合う。普通の醤油とどう違うのかと言えば、おたまはんのほうがまろやかで塩見にカドが無くタマゴの味を引き立たせる風味を醸し出している。そしてこのおたまはんの醸し出す風味こそが、正に俺にとっての島根の香りなのだ。というのも俺の生家の近くには大きな醤油醸造元があり、その周りにはいつも醤油麹の醸し出す甘い香りが漂っていた。今でも帰省した際にその芳しい香りに触れる度に「嗚呼、くさいなあ。」と思う。そして、とても安らぐ。

 

おたまはんは美味しいタマゴかけ御飯以外に、俺に島根の安らぎを運んできてくれるのだ。

 [ '06/08/14(月) ]

 


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