大禍津日神
オオマガツヒノカミ
別称:大綾津日神(オオアヤツヒノカミ)(大屋毘古神)性別:?系譜:伊邪那岐命をしたときに生まれた神神格:災厄の神、祓除神(ハラエノカミ)神社:宇良神社
 いかにも不吉な感じのする神名だが、実際にその通りで、本来は死者の世界の穢れの神格化であり、人間の生活に災いをもたらす凶事を司る神である。 とはいえ、この神も”災い転じて福となす”の例に漏れず、神社の祭神としては厄除けの守護神として信仰されている。
 神話では、黄泉の国からこの世に戻ってきた伊邪那岐命が、筑紫国日向の橘の小門の阿波岐原で、黄泉の国の穢れを洗い落とすために禊祓をする。 その際、水中に洗い落とされた穢れから生まれたのが大禍津日神だった。このように、黄泉の国、つまり死者の国から持ち帰った穢れから疫神が発生するという神話は、汚穢(オワイ)を洗い流す禊祓の儀式の由来を説明するものと解釈されている。つまり、人間が不幸に見舞われたり、寿命を待たずに病気で不意に死んだりすることは、黄泉の国の穢れに起源するという信仰を表したものである。日本の神の多くは自然神であるが、それとは別に、産巣(ムスビ=生命力)、言霊(言葉)、知恵、力といった観念や神の働きなどを神格化した、いわゆる観念神といわれる神がいるが、大禍津日神はそうした部類に入る神である。「マガツ」とは、吉凶の今日の観念を表すもので、それを神明とするこの神は、前述したように世の中に凶事をもたらす原因となる穢れを支配する神ということになる。
 ちなみに、吉を表すのは直ヒ(ナオヒ・フォントなし)であり、伊邪那岐命御祓をして八十禍津日神(ヤソマガツヒノカミ)とともに大禍津日神が生まれたそのすぐあとに、その禍を正すために、穢れの落ちた体から神直ヒ神(カムナオヒノカミ)と大直ヒ神(オオナオヒノカミ)の二神が生まれている。これは、禊祓の儀式が持つ「浄の観念」と「不浄の観念」という両面を表したものと解釈できる。そこから、吉である神直ヒ神と大直ヒ神が、善、正義、清浄、平安を象徴するのに対して、凶である大禍津日神は、悪、不正、汚穢、災厄を象徴する存在であると考えられているのである。

 そういう、本来災厄の神である存在がどうして守護神としての機能を発揮するのかということに関しては、次のように考えられている。もともとこの神は、単なる厄疫神ではなく、祝詞などの呪の言葉と関係する神であり、神祭りの時に神に対して間違った言葉を奉じると災厄をもたらすという一種の言霊的な神霊だったという。逆にいえば、正しく祀れば凶事の災厄から人々を守護する力を発揮するということになる。いずれにせよ、災厄をもたらす(支配する)神だからこそ大切に祀って、逆に災いを除いてもらうようにするという神さまなのである。