緑豊かな日本では、木の神や森の神が数多く存在する。
それこそ各地の山や森のそれぞれの神霊がいるといってもいい。
そうした神の多くは名前もない神であるが、そんな中で木の神として名高いのが五十猛神である。
名前の「五十」は「豊かさ」をたたえる心が込められている。
ふつう木の神というと、たとえば鎮守の森の高い樹木に宿る神霊をイメージするかもしれないが、五十猛神はそういう意味での木の神ではない。
この大地に生えている樹木のすべて、つまり木種を司る神である。
我々の周りの緑豊かな環境を作り出す植樹の神、あるいは人間がいろいろな形で生活に利用する木材の祖神なのである。
日本の在来木造住宅は、基本的にこの神のお世話になっているわけである。
五十猛神は、高天原を追放された父の素盞鳴尊と共に朝鮮半島の新羅国へ天降り、層尸茂梨(ソシモリ=現在の韓国江原道春川群の午頭山とされる)の地に住んだ。
天から天降るとき、五十猛神は多くの樹木の種を携えてきたという。
しかし、新羅国で暮らすことを嫌った素盞鳴尊は、土の船を作って日本に渡った。
このとき、五十猛神は多くの木種を新羅国で植えることなくそのまま日本に持ってきた。
そして国土全体にその種を植えたので、日本には青々とした樹木が茂る山々が連なるようになったという。
そうした神話の中の活動から、古くから各地で祀られていた名もない樹木の精霊が五十猛神として信仰されるようになった。
また、全国をめぐって植林事業を終えた五十猛神は、その後は紀伊国(和歌山県)に移ったとされている。
紀伊国といえば山が連なり樹木生い茂る、日本でも有数の木材の生産地である。
日本人の生活は、木の文化ともいわれる。
日本の伝統的な住宅は、木と紙で作られていた。
いうまでもなく紙も、もとをただせば木である。
このように木は、日本の生活文化の中で非常に大切な役割を果たしてきた。
それだけに日本人は、樹木を貴重で神聖なものと考え、そこに宿る神霊を祀ったのである。
ことに樹木の多い山には有力な神霊が宿る。
こうした神霊も広くとらえれば山の神である。
山の神の中でも特に樹木の繁殖を司る専門的な役割を持つのが五十猛神ということになるだろう。
民俗信仰の山の神にはさまざまな性格を持った神霊がいるが、その中でも特に林業の関係者に信奉されている山の神がいる。
そうした土地には山の神の日というのがあって、人々は山仕事を休んで山に入らないことにしている。
これは、山の神が木を数える日だから、邪魔をして怒りに触れないようにするためだともいわれる。
このように木を管理する山の神もまた五十猛神なのであろう。
なお、「古事記」には、伊邪那岐命、伊邪那美命が万物の神を生んだとき、風の神の次に木の神久々能智神(クグノチノカミ)を生んだとある。
この神は一応別の神と考えられているが、その性格はほとんど一緒で、植林、木材の神としてともに祭神とされている神社も多い。